Echoes / Joshua Breakstone
最近若い人の演奏でもスイングスタイルやバップオリエンテッドなど古いスタイルの演奏を聴く事が多い。
ジャズは過去のアルバムが何度もリリースされ、新たなジャズファンがそれを耳にしてジャズの魅力を知ることになる。古いオリジナルの音源が時代を経てこれだけ繰り返し聴かれるという音楽は他にはあまりないだろう。
その中でも、やはりバップからハードバップの時代のジャズにはジャズの魅力が詰まっている。どんなに新しいスタイルが登場し、変化していっても、ジャズの王道として生き続けるような気がする。
過去、フリーやフュージョンなど幾多の新しいスタイルが生まれても、その中でバップオリエンテッドな演奏をするミュージシャンは必ず存在し、彼らのアルバムも存在してきた。80年代の半ば、フュージョン全盛期でも同じであった。
このバップの伝統を伝承するには、その道に長けた伝道師も必要であった。先日亡くなったフィルウッズもその一人だと思う。中でもバリーハリスという長老がまだ健在だがその代表格であろう。
80年代の新人ギタリストというと当然ロックやフュージョン系の演奏を得意とする者が多かった。1955年生まれのジョシュア・ブレイクトーンがジャズと出会ったのは14歳の時。ギターの練習を始めたが、最初仲間内でプレーするのはもっぱらロックであったという。
しかし、バークレーで本格的に学び、その後ニューヨークでジャズを演奏するようになった。その時、一番教えを受けたのは近くに住むバリーハリスであったそうだ。
そして、ハリスと一緒にアルバムも作った。そして、自然と彼のギターはジミーレイニーのようなスタイルになっていったという。
このブレイクストーンが1986年に、新生コンテンポラリーレーベルでリーダーアルバムを作った。実は、このアルバムにペッパーアダムスが参加している。結果的にこれが、アダムスの最後のコンボでのレコーディングとなった。
アダムスは前年の1985年にガンの宣告を受けたが、治療を続けながら演奏活動は続けていた。体調は必ずしも芳しくなく、一カ月近く自宅で療養する事もあった。しかし、病を押してヨーロッパツアーも行っている。この年のクリスマスホリデイは自宅で休養し、年が明けた86年1月はギグに出掛けたのもほんの数日であった。
そして、翌2月はアダムスにとって最後の大仕事が続いた。
まずは、このブレイクストーンのレコーディングのためのリハーサルがスタートする。前年の最後のリーダーアルバム"The Adams Effect"以来、久々のレコーディングであった。
2月17日はサドメルのオーケストラが誕生して記念すべき20周年であった。本拠地ビレッジバンガードではこれを祝って4日間のスペシャルプログラムが組まれ、OB達も数多く集まった。
リーダーのサドジョーンズはデンマークで病床に伏せていたが、ペッパーアダムスはこのイベントの初日に参加し、ボディアンドソウルでフィーチャードソリストとして元気な姿をサドメルファンの前に見せてくれた。
このイベント出演を終え、19日にこのアルバムが録音された。そして、23日にはモントリオールを訪れ、アダムスのラストレコーディングであるダニー・クリスチャンセンのビッグバンドの録音に臨んだ。病気を感じさせない過密スケジュールであった。
その後も、アダムスは体力の続く限りgigやジャズフェスティバルへ参加したが、7月5日のモントリオールジャズフェスティバルへの出演がファンの前での最後の演奏となった。しかし一人で階段も登れず、車椅子に座っての演奏であったという。体力的にも限界であったが、これをサポートしたのもクリスチャンセンであった。
さて、このアルバムであるが、どのような経緯でアダムスが参加したのかは分からない。しかし、このアルバム作りがバリーハリスの肝いりという事であれば、同郷の旧友ハリスの要請だったのかも知れない。
アルバムに選ばれた曲にもハリスの曲がある。Even StevenはハリスのアルバムLuminescence! で演奏された曲、このアルバムにはアダムスも参加していた。そして、バウエルの曲、Oblivionは実はアダムスが1957年初のリーダーアルバムを作った時に演奏したかった曲だそうだ。スタンダード曲もあるが、選曲もバリバリのバップオリエンテッドだ。
モダンジャズのギターの始祖はチャーリークリスチャン。演奏スタイルも、ブレイクストーンのギターはケニーバレル、タルファーロー、ジミーレイニーといったその後継者を受け継ぐ正統派のスタイルだ。
しかし彼は若い頃はギターはあまり聴かなかったという。初アルバムを作った後に、ジミーレイニーに似ていると言われ始めてレイニーのレコードを聴いたという。リーモーガンでジャズに目覚め、プロになってからもアードファーマーを聴きこんだというように、彼のスタイルの源泉はホーンプレーヤーのようだ。
そういえば、ペッパーアダムスがニューヨークに出てきた直後のデビュー作Detroit Menは、ケニーバレルのギターを加えたクインテット編成であった。それから30年経ち、奇しくもアダムスのコンボでのラストレコーディングとなったこのアルバムも同じギターを加えたクインテット編成だ。
色々グループで、数多くのミュージシャンとプレーし、コンボからビッグバンドまで何でもこなしたアダムスであったが、アダムスのプレースタイルの基本は洗練されたバップオリエンテッドな演奏であったようだ。
1. Oblivion Bud Powell 6:16
2. It's Easy to Remember Rogers-Hart 11:00
3. My Heart Stood Still Rogers-Hart 5:56
4. Even Steven Barry Harris 7:07
5. To Monk with Love Barry Harris 6:22
6. Bird Song Thad Jones 7:15
Joaua Breakstone (g)
Pepper Adams (bs)
Kenny Barron (p)
Dennis Irwin (b)
Keith Copeland (ds)
Produced by Joshua Breakstone
Engineer : David Baker
Recorded at Eras Studio, New York City, February 19,1986
最近若い人の演奏でもスイングスタイルやバップオリエンテッドなど古いスタイルの演奏を聴く事が多い。
ジャズは過去のアルバムが何度もリリースされ、新たなジャズファンがそれを耳にしてジャズの魅力を知ることになる。古いオリジナルの音源が時代を経てこれだけ繰り返し聴かれるという音楽は他にはあまりないだろう。
その中でも、やはりバップからハードバップの時代のジャズにはジャズの魅力が詰まっている。どんなに新しいスタイルが登場し、変化していっても、ジャズの王道として生き続けるような気がする。
過去、フリーやフュージョンなど幾多の新しいスタイルが生まれても、その中でバップオリエンテッドな演奏をするミュージシャンは必ず存在し、彼らのアルバムも存在してきた。80年代の半ば、フュージョン全盛期でも同じであった。
このバップの伝統を伝承するには、その道に長けた伝道師も必要であった。先日亡くなったフィルウッズもその一人だと思う。中でもバリーハリスという長老がまだ健在だがその代表格であろう。
80年代の新人ギタリストというと当然ロックやフュージョン系の演奏を得意とする者が多かった。1955年生まれのジョシュア・ブレイクトーンがジャズと出会ったのは14歳の時。ギターの練習を始めたが、最初仲間内でプレーするのはもっぱらロックであったという。
しかし、バークレーで本格的に学び、その後ニューヨークでジャズを演奏するようになった。その時、一番教えを受けたのは近くに住むバリーハリスであったそうだ。
そして、ハリスと一緒にアルバムも作った。そして、自然と彼のギターはジミーレイニーのようなスタイルになっていったという。
このブレイクストーンが1986年に、新生コンテンポラリーレーベルでリーダーアルバムを作った。実は、このアルバムにペッパーアダムスが参加している。結果的にこれが、アダムスの最後のコンボでのレコーディングとなった。
アダムスは前年の1985年にガンの宣告を受けたが、治療を続けながら演奏活動は続けていた。体調は必ずしも芳しくなく、一カ月近く自宅で療養する事もあった。しかし、病を押してヨーロッパツアーも行っている。この年のクリスマスホリデイは自宅で休養し、年が明けた86年1月はギグに出掛けたのもほんの数日であった。
そして、翌2月はアダムスにとって最後の大仕事が続いた。
まずは、このブレイクストーンのレコーディングのためのリハーサルがスタートする。前年の最後のリーダーアルバム"The Adams Effect"以来、久々のレコーディングであった。
2月17日はサドメルのオーケストラが誕生して記念すべき20周年であった。本拠地ビレッジバンガードではこれを祝って4日間のスペシャルプログラムが組まれ、OB達も数多く集まった。
リーダーのサドジョーンズはデンマークで病床に伏せていたが、ペッパーアダムスはこのイベントの初日に参加し、ボディアンドソウルでフィーチャードソリストとして元気な姿をサドメルファンの前に見せてくれた。
このイベント出演を終え、19日にこのアルバムが録音された。そして、23日にはモントリオールを訪れ、アダムスのラストレコーディングであるダニー・クリスチャンセンのビッグバンドの録音に臨んだ。病気を感じさせない過密スケジュールであった。
その後も、アダムスは体力の続く限りgigやジャズフェスティバルへ参加したが、7月5日のモントリオールジャズフェスティバルへの出演がファンの前での最後の演奏となった。しかし一人で階段も登れず、車椅子に座っての演奏であったという。体力的にも限界であったが、これをサポートしたのもクリスチャンセンであった。
さて、このアルバムであるが、どのような経緯でアダムスが参加したのかは分からない。しかし、このアルバム作りがバリーハリスの肝いりという事であれば、同郷の旧友ハリスの要請だったのかも知れない。
アルバムに選ばれた曲にもハリスの曲がある。Even StevenはハリスのアルバムLuminescence! で演奏された曲、このアルバムにはアダムスも参加していた。そして、バウエルの曲、Oblivionは実はアダムスが1957年初のリーダーアルバムを作った時に演奏したかった曲だそうだ。スタンダード曲もあるが、選曲もバリバリのバップオリエンテッドだ。
モダンジャズのギターの始祖はチャーリークリスチャン。演奏スタイルも、ブレイクストーンのギターはケニーバレル、タルファーロー、ジミーレイニーといったその後継者を受け継ぐ正統派のスタイルだ。
しかし彼は若い頃はギターはあまり聴かなかったという。初アルバムを作った後に、ジミーレイニーに似ていると言われ始めてレイニーのレコードを聴いたという。リーモーガンでジャズに目覚め、プロになってからもアードファーマーを聴きこんだというように、彼のスタイルの源泉はホーンプレーヤーのようだ。
そういえば、ペッパーアダムスがニューヨークに出てきた直後のデビュー作Detroit Menは、ケニーバレルのギターを加えたクインテット編成であった。それから30年経ち、奇しくもアダムスのコンボでのラストレコーディングとなったこのアルバムも同じギターを加えたクインテット編成だ。
色々グループで、数多くのミュージシャンとプレーし、コンボからビッグバンドまで何でもこなしたアダムスであったが、アダムスのプレースタイルの基本は洗練されたバップオリエンテッドな演奏であったようだ。
1. Oblivion Bud Powell 6:16
2. It's Easy to Remember Rogers-Hart 11:00
3. My Heart Stood Still Rogers-Hart 5:56
4. Even Steven Barry Harris 7:07
5. To Monk with Love Barry Harris 6:22
6. Bird Song Thad Jones 7:15
Joaua Breakstone (g)
Pepper Adams (bs)
Kenny Barron (p)
Dennis Irwin (b)
Keith Copeland (ds)
Produced by Joshua Breakstone
Engineer : David Baker
Recorded at Eras Studio, New York City, February 19,1986