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転居の歴史  3

2013-03-06 21:54:19 | 日記
1960年代、庶民の憧れは団地生活だった~と、よくテレビの(昔を懐かしむ)番組のナレーションにあるが、私と家人にとっても、その通りだった。 6畳1間の民間アパートから住宅公団の団地(2LDK)に入居することは、すなわち、子供を持てることだった。子供は愛の結晶だというが、そんなことより、にぎやかな家庭が希望だった。昭和39年7月の末だった。会社の同僚であるAさんが小型トラックで引っ越しを手伝ってくれた。新居には家人の嫁入り道具が茨城から搬送され、テレビや冷蔵庫は前日までに義妹の知人が運んでくれていたから、当日の荷物は蒲団などが主だった。カンカン照りの猛暑の日だったし、当時のトラックにはクーラーがなかったから、汗は遠慮なく流れた。 新丸子のアパートから、横浜市戸塚区(といっても最寄り駅は大船)の団地まで2時間前後だったかと思うが、着いたときは、ほぼ脱水状態にあった(その頃は、飲み物の自動販売機はない)。 すでに何日か前に入居したのであろう1階の部屋のベランダから声をかけ、水を1杯ほしいとお願いすると、豊かなヒップを短パンに包んだ、私達と同年代と見える婦人が、大きなグラスに氷を浮かべた水を御馳走してくれた。その水の味については原稿用紙3枚に書いて余りある。団地生活は、収入の額などのこともあって、ほとんどが30歳前後の夫婦が世帯の中心だったから、我が家を含め、小さな子供が日ごとに増えた。 少し間、その団地の現況がテレビで紹介されたが、番組のテーマは、助け合う老人達のようなものだった(家人の友人も、一人でずっとそこで暮らしている)。 数日前、前述のAさんに電話したら結膜炎を患ったそうで、きいてみると、この病気は高熱が出たり、すぐに奥方に伝染したりして、かなり大変なもののようだ。Aさんも古希の年齢。あの、団地への引っ越しから49年が経つ。 東京オリンピックのあった年だった。

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