gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

韓国の人

2011-08-13 13:54:38 | 日記
「おまえの家もこっちの方か?」、学校の裏門を出るとA君がうしろから追いかけるように声をかけてきた。昭和21年4月。前年の12月から住んでいた茨城の小さな村から約10キロ離れた中程度の町に転居し、その日が初登校であり、5年生になる1日目だった。A君の家は、町はずれにあった我が家より更にはずれた場所にあって、そこは韓国人で、A君の父親は約10軒、30人ほどの同族を束ねる長だった。当時、第三国人は日本の法律に縛られることなく(治外法権というか)ドブロクを造り、煎餅を作って稼いでいた。A君の家へあそびに行くことはイコール煎餅をご馳走になることで、空腹少年だった私にはありがたかった。彼はやがて、早大に進み柔道部のエースとなる。   いまはどこの町にもある焼肉店だが、昭和50年代までは焼肉は韓国料理店の高級メニューだった。ヤキトリ屋へは自腹で行けるが、韓国店の焼肉は上司の財布で~という差があった。昔はエバラのタレなどの既製調味料もなかったから、美味な焼肉は遠かった。蒲田の韓国店の美人女将の「とう(どう)?ウチの肉、ウチのアチ(味)?」という掛け声を思い出す。あちらの女性は肌がきれいだとはよく言われることだが、その通りで、焼肉の味も倍加した。  10日から2人の孫が長女と3人で韓国へ夏休み旅行に行っている。長女には、韓国旅行で知り合った安さんという親友ガイドがいる。安さんは、3.11のとき電話をくれた人物であり、日本にあそびに来たときは家人も鎌倉のレストランで会っている。 今頃は孫達と食卓を囲みながら「とう?ここの肉、ここのアチ?」と話しかけてくれているのではないか。

コメントを投稿