gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

転居の歴史  2

2013-03-06 21:44:45 | 日記
昭和27年3月に、茨城県龍ケ崎から東京世田谷に転居した。叔父が、その年に創立された日本開発銀行に採用され、龍ヶ崎税務署時代の給料が2倍になり、さらに世田谷で個人経営している名物医院の長女と結婚することになり、さらに(花嫁の父から土地を借りて)家も新築したのだから、叔父にとっては将にわが世の春だった。私も大変だった。まず、どこかの高校の2年に編入学しなければならないわけで、そのことは叔父の妻となるA子さんに(どこに募集があるか)を(滑り止めも含めて)5,6校探してもらった。田舎から都会へ出ることはうれしかった。 茨城の町にも2軒の古い映画館があったが、たとえば劇映画の前に流れるニュース映画は、3カ月から半年遅れのものであり、学校帰りに立ち寄る休憩所はコーヒーショップではなく、今川焼店かカキ氷屋ぐらいのものだった。さらに大きいのが女子高生の服装だった。田舎では、4月から9月を除いて、下半身はズボンだった。都会では、それが真冬でも、コートの中はスカートであり、魅力という点で大差だった。 だから、志望校に滑り込んだときは、3文字なら有頂天、4文字なら夢見心地だった。ま、私自身のことはどうでもいい。やはり欣喜雀躍だった叔父の胸部に、銀行の健康診断で、黒い影がみつかり、9月から求職することになり、年末には肺結核のオペを受けるべく、川崎の登戸病院に入る。その頃、A子さんの胎内に赤ちゃんが宿っていることも判明する。そして、翌28年6月、手術時の輸血に、いわゆる黄色い血が混ざっていて、術後数日で死亡する。新しい家、新しい職場、新しい妻、そして第一子の懐妊。あの転居は叔父にとっては幸福すぎたのだろうか。でも、その程度のハッピーは、どこにでもあるだろうと思うけれど。

コメントを投稿