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昭和25年

2017-04-06 22:09:07 | 日記
昭和25年発行の「西条八十詩集」をめぐって展開する森村誠一サスペンス『人間の証明』をテレビ録画で観た。先に観た娘が「2時間モノでは無理だ」と行っていたが、その通り、お決まりの作りになってしまった。もう1つ私には、藤原竜也君という俳優の好さが見えない。魅力といったものがわからない。わかったのは、鈴木京香さんが当代一、二を争う美人であるということだった。

昭和25年。プロ野球が2つのリーグに分裂した。セントラル・リーグには巨人、阪神、中日が残り、パシフィック・リーグには南海、阪急が残った。リーグ優勝したのはセが松竹ロビンスであり、パは毎日オリオンズだった。私はなんとしても松竹に勝たせたかった。相手の毎日は、私が応援している阪神タイガースの中心選手(若林忠志、別当薫、本堂保次、土井恒武など)を引き抜いて結成されたチ0ムだったからだった。松竹は勝てると思っていた。第1回の日本シリーズの勝者になると見ていた。投手に真田重蔵、大島信雄がいた。小鶴誠、岩本義行、大岡虎雄のクリーンアップが史上最強である。しかし(これはのちになってわかることだが、チーム間に不和があって)結果として、2勝4敗で終わった。

昭和25年。朝鮮戦争が始まった。日本に金ヘン景気がやって来る。空き缶を集めれば、ナンボかの金になった。1皿30円の焼きそばが食べられた。少年草野球のチームで八百屋の息子が家から持ち出して来たリヤカーを引いて、町の中のあちこちの工場や商店をまわってクズ鉄をもらい集めた。好調の日はリヤカー1杯で300円になった。軟式のニューボールは1個100円で買えた。前に書いた、祖母の遺品の銀のスプーンを1本120円で売るのは、もう少し後のことになる。

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