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税金泥棒

2021-03-27 10:52:24 | 日記
税金泥棒という言葉を聞くと、すぐに中学時代を思い出す。教師たちのことだ。Kは教頭だった。定年(当時の低年齢の数字は知らぬが)に近い老人で、担当は農業だった。その授業は週に一度で、まず速読の私に教科書を読ませる。私の声を聴きながら(あるいは聞いていないのか)、日当たりのよい窓辺に立って目を閉じる。「ヤボ、ぬかして読んでるじゃん」と小声で誰かが言い、私も数行パスして朗読を続ける。これが授業だった。Kは完全な税金泥棒だった。私の朗読が終わると、Kはほかの優等生に「今のところで重要なのは何か?」と訊き、その答えを聞くと頷き、そのころには授業終了のベルが鳴った。

Kの渾名は農長だった。某日の昼休みにKが中庭で、自分で作った農作物を分別しているのを見て、誰かが「ノウチョウ!」を野次った。それをどこで耳にしたのか音楽担当のNが青い顔をして2階にある私たちの教室へ走り込んで来た。Nもまた税金泥棒である。中学の3年間、Nから音楽の授業を受けていたが、誰も楽譜を読めないのである。Nが力を入れていたのは音楽を教えることではなく、自分の乗ってきた自転車をピカピカに磨くことだった。Nは「いまここにいた者、みんな名前を書け!」と怒鳴った。

私たちの時代は教師不足で代用教員制度まであった。教員資格がなくても大学を出ていれば中学校の教壇に立てたのである。現在はそれほどひどい教師はいないだろうが、ダメなのはいると思う。いつの世にも税金泥棒は存在する。それはもちろん教師に限らない。税金泥棒は法律違反ではないから、警察の御厄介になることはないが、時にはその上を行くのもいる。●●省の××長逮捕、なんていうニュースを見ると、無力教師の税金泥棒なんてかわいい方なのかもしれないが。でも教わった方の損害は決して小さくはない。

2021-03-27 10:33:25 | 日記
「Nさんにお線香送っておいたわよ」、娘が家人に言う。「ありがとう」、家人は簡単に返事するが、私は何となくほっとする。Nさんと家人は娘達が高校生の頃からのママ友であって、付き合いは長い。そのNさんの御主人が先日亡くなった。コロナ時代だから、通夜、葬儀は身内だけで行われる。家人も電話で「これが少し落ち着いたら伺います」と言っていたよだ。そのことを察した娘が、とりあえず線香を送ったのだ。もちろん小文を付けただろう。大企業の広報にいるから小文を書くのは馴れている。傍で見ていて私は「正しい礼法だな」と思った。落ち着いたら会いましょうというのは、不確実な約束である。夫の死後、まもなく線香と悔やみ文が届く。それを霊前に置くとき、Nさんの胸中には、あるしみじみとしたものが流れるのではないか。そんな想像をした。

いすゞ自動車の部品を作る一次下請の会社に勤めていた。購買部の中間責任者だった。兵隊で言えば第一線の中隊長であるのだが、私はよく遅刻した。生産会社の始業は8時である。始業と同時に下請会社からどんどん電話がかかって来る。その電話をK子が捌いた。もちろんほかに男性課員もいるが、それぞれの今日の一番仕事を抱えている。K子が私宛の電話を引き受ける。頑張る。朝だけではない。K子には残業も頼んだ。申し訳ないと思ったが、K子はどうしても必要な戦力だった。彼女は仕事ができる娘さんだった。当時はコンピュータ時代ではない。電話と紙とボールペン、それと電卓だけが武器だった。それでもK子の仕事は正確であり迅速だった。私は彼女への御礼を考えた。なにしろ20歳の少女からデートの時間まで取り上げているのだ。しかし謝礼といっても、まさかハンドバッグをプレゼントするわけにはいかぬ。K子には社内に恋人もいるらしい。結局、私が選んだ御礼は、ボーナスだった。ボーナスの査定表に二重丸を描き、<著しい成長>と<特別な御配慮を>などと書いて上司にまわした。賞与の次の日、K子に礼を言われたとき、「いやいや、ボーナスの額なんて、上の方で決めること」と応えながら、少しうれしい気分になった。