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2020-11-08 11:43:05 | 日記
「それが、とってもきれいなナスコンなのよ」と家人が言った。何かの着衣の色の説明だった。「ナスコン?」と訊くと「そう、お茄子の色」と言う。「茄子は紫だろう?」、私は茄子は紫色の代表だと思っていた。この問答は何十年も前のことだが、今でも私は、ナスはムラサキ色だと思っている。

「信号の青はブルーとグリーンの2色があって、それぞれの場所によって異なる」とは、友人M君の説だが、本当はどうなのだろうか。私は運転免許を持っていない。もちろん、ハンドルを握ることもなく街路信号色にも興味がない。それでも、たまには信号灯が目に入る。M君の言うとおり、青であったり緑であったりするのあどうか、どちらにしても、Goであるわけだから、運転者に不便はないのだろう。

野球のユニフォームで、ゴチャゴチャした多くの色遣いをしたものを見るとガッカリする。センスが悪いと思ってしまう。スポーツのユニフォームで最高なのはラグビーのニュージーランド代表、オールブラックスのものだ。いかにも強そうに見えるし、実際に強い。

中年女性は喪服姿のときがいちばん美しいと書いたのは井上靖さんであったような気がするが、記憶違いかもしれない。私の母は美人だった。母の父はちょっとした政治家だったので、他界したときは自民党葬が行われた。大勢の弔問客が詰めかける中、黒い喪装の母は際立って美しかった。かつて、石原裕次郎さんが、「母は美人だった。そのことをとても幸福だと思った」と語っていたが、私も同じことを思っている。

自信がない

2020-11-08 11:32:31 | 日記
風呂からあがり、脱衣所の椅子に腰かけた。浴室の隣に洗面所があり、洗面台の前の空間が衣服の脱着の場になっている。いつものように、まず下着の右足部分から始めようと背を曲げた途端にガクンと来た。体が傾いた。反射的に椅子の脚部を探った。簡単なパイプ椅子である。それのどこかが曲がるか折れたりしても不思議はない。どうじに、これは眩暈ではないかとも思った。とにかく、もう一度姿勢を正したら、今度は先刻と反対側に向けてガクンが来た。「危ない!」と声が出た。大声だったのか家人が飛んで来た。「この椅子曲がっていないか?」「曲がっていないわよ、あなたが曲がっているのよ」「ふーん」となったが、家人が「あら?ちょっと腰を上げてみて」と言い、私が洗面台の縁の部分をつかんで立ち上がると、「ああ、これが挟まっていたのよ」と細い棒のようなものを拾いあげた。その棒はサランラップの芯だと言う。食卓で残ったものにサランラップを掛けて冷蔵庫に入れる。あのラップを巻き付ける芯棒というわけだ。なるほど、それが椅子の下に挟まれば傾いて当然だ。ま、結局はなーんだとなるのだが、犯人がわかるまでの100秒か200秒か、私はあれこれ考えた。脳梗塞は20余年前に経験しているから、眩暈→脳梗塞の再発というのはすぐにアt間に浮かぶ。それなら、目の前に手をついて静かに床の上に横になるのがよいのではないか。裸であることも忘れて、そんなことまで考えた。

眩暈とまではいかずとも、ふと体がふらつくことがある。すぐに脳梗塞を疑う。それがクセになっている。要するに自分の体(健康度)に自信がないのだ。そもそも、体がガクンとなるような大きな眩暈があったら、すぐに倒れているはずであって、椅子を探る余裕などないのだが。それにしても、あのラップの芯はどうやって浴室の前までたどり着いたのだろうか。リャンピンが台所からバリアフリーの道をサッカー選手のごとくドリブルしてきたのだろうか。