会社の購買課に居た頃のこと、下請けのSさんと話していて、彼がいつも高級そな腕時計をしているのに気づいた。「すごいですね!100万円ですか?」と訊くと、「まさか、そんなにはしません」と笑顔になった。普通のサラリーマンの給料が10万円あるかないかの頃である。Sさんは町工場の副社長的な存在であって、オーナーの息子だったから、金はあっただろう。そのうちに外注先全体の寄り合い小旅行のようなものがあって、当然にSさんも参加した。いつもの作業服姿でなく背広である。彼には背広は似合わなかった。旅行があるので仕方なくその辺の洋服屋で既製品を買ってきたのだと想像された。私は、Sさんは腕時計マニアなのではないかと思った。そしてもう1つ余計な心配をした。仕事の際に高級品を腕に巻いていて、傷をつけたりしないのだろうかということだった。その頃は、もう誰かから聞いて、Sさんの時計は50万ぐらいだと知っていた。背広はオーダーメードで2万円で楽勝だったのも憶えている。
次女が、ちょっと洒落た腕時計をしているので褒めたら、「これ、3,000円」と言った。たぶん、使い捨てだろう。しかし、たとえば子供の結婚宴か何かに招かれて、きちんとした装いをした時でも立派に通用する品だ。時代が変わったのである。安くて見栄えのするものがナンボでもある時代になったのだ。こういう話をすると、必ず、でもホンモノはやっぱりいいと言う人が出て来るものだが、それはそれでいい。腕時計のおしゃれに限らず、たいていの着飾り、付け飾りは、自己満足が起点なのだから。
次女が、ちょっと洒落た腕時計をしているので褒めたら、「これ、3,000円」と言った。たぶん、使い捨てだろう。しかし、たとえば子供の結婚宴か何かに招かれて、きちんとした装いをした時でも立派に通用する品だ。時代が変わったのである。安くて見栄えのするものがナンボでもある時代になったのだ。こういう話をすると、必ず、でもホンモノはやっぱりいいと言う人が出て来るものだが、それはそれでいい。腕時計のおしゃれに限らず、たいていの着飾り、付け飾りは、自己満足が起点なのだから。