「アトボー、出せや!」、守備側のチームが攻撃側のベンチに向かって怒鳴ると、しぶしぶという感じで1個のボールが出てくる。試合中の使用球は、攻撃チームが持つ決まりだった。 昭和25年頃の田舎町の中学生の草野球の一場面である。
アトボーとは、打者がファウルを打ってボールが場外に飛び、それを補欠が探している間、別のボールを出してボールを続けるためのもので、別の球(other ball)の茨城訛りである。当時、軟式球は1個100円だった。現在の金銭価値との比較は難しいが、焼きそばやラーメンの値段などから考えて、ま、千円程度だろうか。だから、ボールは貴重品だった。 キャッチボールは、ヤマが擦れてツルツルになったもので我慢して、新品やそれに近いものを試合に使うようにしていた。 ボール代は、金属廃品を集めて売って工面した。八百屋の息子が、家から古いリヤカーを持ち出して、それをみんなで引いて鉄クズを集めた。町の工場や個人宅をまわった。朝鮮戦争が始まっていて、そのおかげで日本にいわゆる金ヘンブームがやって来た。私達のリヤカー引きも、その一端と言えた。試合が終わると、両チームの全員がグラウンドの外の道や畑に散って、ロストボールを探した。それでもたいてい、1個か2個の行方不明があって、それを後日、登下校の帰りに発見するという偶然もあった。 家の前の路地のキヤッチボールでも、ニューボールは気持ちがよかった。今の中学生は、古い球を用いることはないだろうし、ボールだって安いだろう。ボールを失くしても、どうということはないだろう。アトボーなんて言葉も、もちろんないだろう。
アトボーとは、打者がファウルを打ってボールが場外に飛び、それを補欠が探している間、別のボールを出してボールを続けるためのもので、別の球(other ball)の茨城訛りである。当時、軟式球は1個100円だった。現在の金銭価値との比較は難しいが、焼きそばやラーメンの値段などから考えて、ま、千円程度だろうか。だから、ボールは貴重品だった。 キャッチボールは、ヤマが擦れてツルツルになったもので我慢して、新品やそれに近いものを試合に使うようにしていた。 ボール代は、金属廃品を集めて売って工面した。八百屋の息子が、家から古いリヤカーを持ち出して、それをみんなで引いて鉄クズを集めた。町の工場や個人宅をまわった。朝鮮戦争が始まっていて、そのおかげで日本にいわゆる金ヘンブームがやって来た。私達のリヤカー引きも、その一端と言えた。試合が終わると、両チームの全員がグラウンドの外の道や畑に散って、ロストボールを探した。それでもたいてい、1個か2個の行方不明があって、それを後日、登下校の帰りに発見するという偶然もあった。 家の前の路地のキヤッチボールでも、ニューボールは気持ちがよかった。今の中学生は、古い球を用いることはないだろうし、ボールだって安いだろう。ボールを失くしても、どうということはないだろう。アトボーなんて言葉も、もちろんないだろう。