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アトボー

2015-11-26 17:03:44 | 日記
「アトボー、出せや!」、守備側のチームが攻撃側のベンチに向かって怒鳴ると、しぶしぶという感じで1個のボールが出てくる。試合中の使用球は、攻撃チームが持つ決まりだった。 昭和25年頃の田舎町の中学生の草野球の一場面である。
アトボーとは、打者がファウルを打ってボールが場外に飛び、それを補欠が探している間、別のボールを出してボールを続けるためのもので、別の球(other ball)の茨城訛りである。当時、軟式球は1個100円だった。現在の金銭価値との比較は難しいが、焼きそばやラーメンの値段などから考えて、ま、千円程度だろうか。だから、ボールは貴重品だった。 キャッチボールは、ヤマが擦れてツルツルになったもので我慢して、新品やそれに近いものを試合に使うようにしていた。 ボール代は、金属廃品を集めて売って工面した。八百屋の息子が、家から古いリヤカーを持ち出して、それをみんなで引いて鉄クズを集めた。町の工場や個人宅をまわった。朝鮮戦争が始まっていて、そのおかげで日本にいわゆる金ヘンブームがやって来た。私達のリヤカー引きも、その一端と言えた。試合が終わると、両チームの全員がグラウンドの外の道や畑に散って、ロストボールを探した。それでもたいてい、1個か2個の行方不明があって、それを後日、登下校の帰りに発見するという偶然もあった。 家の前の路地のキヤッチボールでも、ニューボールは気持ちがよかった。今の中学生は、古い球を用いることはないだろうし、ボールだって安いだろう。ボールを失くしても、どうということはないだろう。アトボーなんて言葉も、もちろんないだろう。

一場面

2015-11-26 12:30:54 | 日記
アリダ・ヴァリが枯れ葉の舞う墓地の道を行く。オータムコートの衿が風に向かって立つ。道の途中でジープにもたれながら待つジョセフ・コットンの方には視線も贈らず、足早に去って行く。ご存じ、映画『第三の男』のラストシーンである。
この映画にはもうひとつ、「暗い道を風船売りの車が通る。薄明かりが風船を大きく壁に映して不気味で、どこかのんびりとした絵を描く」場面が話題になるが、私がもっと好きなのは、悪徳ギャングのオーソン・ウェルズが、暗い物陰に潜んでいて、そこへ猫がやって来て、チラッと照らされたライトにウェルズの上等そうな靴が光、猫がそれにジャレつくという場面だ。
監督キャロル・リードの心憎い演出と言うほかはない。
子どもの頃の思い出はすべて断片的とは、誰もが言うことだが、子供時代だけでなく、青春時代も中年の頃も、還暦を過ぎてからも、振り返ってみれば、思い出はすべて一場面、ワンシーン的ではないだろうか。 つまりは映画のワンカットと同じなのではないかという気がする。
我が家の古い写真を一括管理している長女が時々、昔のものを1枚選んできて、「やっぱり写真って大事ね」と言ったりするが、その通りであって、それがないと、あの日、あの時も忘れてしまう。
今日(25日)は三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地に押し入って、切腹自殺した日である。45年前のあの日の思い出は、おありだろうか。私は、「夕方頃になって、現場を訪れた石原新太郎さん」の姿が瞼の裏に残っている。

一場面

2015-11-26 12:30:54 | 日記
アリダ・ヴァリが枯れ葉の舞う墓地の道を行く。オータムコートの衿が風に向かって立つ。道の途中でジープにもたれながら待つジョセフ・コットンの方には視線も贈らず、足早に去って行く。ご存じ、映画『第三の男』のラストシーンである。
この映画にはもうひとつ、「暗い道を風船売りの車が通る。薄明かりが風船を大きく壁に映して不気味で、どこかのんびりとした絵を描く」場面が話題になるが、私がもっと好きなのは、悪徳ギャングのオーソン・ウェルズが、暗い物陰に潜んでいて、そこへ猫がやって来て、チラッと照らされたライトにウェルズの上等そうな靴が光、猫がそれにジャレつくという場面だ。
監督キャロル・リードの心憎い演出と言うほかはない。
子どもの頃の思い出はすべて断片的とは、誰もが言うことだが、子供時代だけでなく、青春時代も中年の頃も、還暦を過ぎてからも、振り返ってみれば、思い出はすべて一場面、ワンシーン的ではないだろうか。 つまりは映画のワンカットと同じなのではないかという気がする。
我が家の古い写真を一括管理している長女が時々、昔のものを1枚選んできて、「やっぱり写真って大事ね」と言ったりするが、その通りであって、それがないと、あの日、あの時も忘れてしまう。
今日(25日)は三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地に押し入って、切腹自殺した日である。45年前のあの日の思い出は、おありだろうか。私は、「夕方頃になって、現場を訪れた石原新太郎さん」の姿が瞼の裏に残っている。

桃太郎

2015-11-26 12:25:17 | 日記
鬼が島の鬼退治で有名な桃太郎は、かなりケチな人間ではなかったか。鬼が島の鬼というのは、悪徳商法でみんなから金を集め、それを騙し取った奴らである。
その奴らから、金を奪うには、桃太郎ひとりでは難しい。彼はまず、知恵のまわるサル、ITに強く空を飛ぶより早い情報の取れるキジ、そして武闘派のイヌに協力を依頼するが、前金はキビ団子レベルの少額である。彼らは悪徳商会に勝利し、多額の金を手にする。しかし、リーダーの桃太郎が子分の3人に相応の分け前を与えたという話は聞かない。めでたしめでたしで手拍子を打って、結局大金は桃太郎がひとり占めしたのではないか。
以上のような話をすると、桃太郎の出身地とされる岡山の方や、一部の桃太郎ファンの方には怒られるかもしれない。しかし、現代っ子たちは、この話を、昔からの筋書きどおりに聞かせれば、どうしてイヌ・サル・キジは何ももらえないの?と、寝床の中から母親に訊くのではないだろうか。少々マセた子ならば、「イヌ・サル・キジは、正社員ではなくてバイト扱いなのか。でも、大きな仕事だから時給だって千円とか3千円では安いよね」と言うだろうし、最後には、桃太郎はケチと結論づけるのではないだろうか。賢いんだよ、最近の子どもは。

胸部大動脈瘤破裂

2015-11-26 12:15:13 | 日記
先週、俳優の阿藤快さんが表題の病気で急死した。石原裕次郎さんは、最後は肝細胞がんで亡くなったが、その前にやはり動脈瘤破裂で倒れ、奇跡の復活を為したが、そのときにがんが発見されている。夏に、藤田まことさんも同じ病で急死している。以上のお3人は著名人であるが、まったくの無名の私も、5年前に胸の瘤が裂けた。以前にも書いたが、この発作は何の前ぶれもなく、いきなりやって来る。左胸の上部から右の腹部にかけて、カミソリの刃を丸めた球が走り抜けるような激痛だ。ただし、痛みは3分か4分で、失神に近い状態になる。体内の出血で血圧が急降下するためである。私はその3分の間に、目の前にあった電話機をとって、救急車を呼ぶことができた。後から考えれば、偶然の連続だった。裕次郎さんは、そのときそばに人がいたが、阿藤さんはたぶん、手の届くところに携帯電話がなかったのだろう。私も、そのとき庭に出ていれば、何時間かあとに帰宅した家人に、遺体を発見されるという結果になったはずだ。
最近、PPという言葉があって、これは身体がピンピンしているうちにポックリ死ぬという意味だそうで、つまりは理想の死である。大動脈瘤破裂による死は、そのPPに当たる。私がもし、今後大きな苦痛を伴う病気になれば、あああのときに~と思うだろう。それに、神の定めた私の寿命(地球にいる時間)は、たぶん、あのときまでだったと思うからだ。