アリダ・ヴァリが枯れ葉の舞う墓地の道を行く。オータムコートの衿が風に向かって立つ。道の途中でジープにもたれながら待つジョセフ・コットンの方には視線も贈らず、足早に去って行く。ご存じ、映画『第三の男』のラストシーンである。
この映画にはもうひとつ、「暗い道を風船売りの車が通る。薄明かりが風船を大きく壁に映して不気味で、どこかのんびりとした絵を描く」場面が話題になるが、私がもっと好きなのは、悪徳ギャングのオーソン・ウェルズが、暗い物陰に潜んでいて、そこへ猫がやって来て、チラッと照らされたライトにウェルズの上等そうな靴が光、猫がそれにジャレつくという場面だ。
監督キャロル・リードの心憎い演出と言うほかはない。
子どもの頃の思い出はすべて断片的とは、誰もが言うことだが、子供時代だけでなく、青春時代も中年の頃も、還暦を過ぎてからも、振り返ってみれば、思い出はすべて一場面、ワンシーン的ではないだろうか。 つまりは映画のワンカットと同じなのではないかという気がする。
我が家の古い写真を一括管理している長女が時々、昔のものを1枚選んできて、「やっぱり写真って大事ね」と言ったりするが、その通りであって、それがないと、あの日、あの時も忘れてしまう。
今日(25日)は三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地に押し入って、切腹自殺した日である。45年前のあの日の思い出は、おありだろうか。私は、「夕方頃になって、現場を訪れた石原新太郎さん」の姿が瞼の裏に残っている。
この映画にはもうひとつ、「暗い道を風船売りの車が通る。薄明かりが風船を大きく壁に映して不気味で、どこかのんびりとした絵を描く」場面が話題になるが、私がもっと好きなのは、悪徳ギャングのオーソン・ウェルズが、暗い物陰に潜んでいて、そこへ猫がやって来て、チラッと照らされたライトにウェルズの上等そうな靴が光、猫がそれにジャレつくという場面だ。
監督キャロル・リードの心憎い演出と言うほかはない。
子どもの頃の思い出はすべて断片的とは、誰もが言うことだが、子供時代だけでなく、青春時代も中年の頃も、還暦を過ぎてからも、振り返ってみれば、思い出はすべて一場面、ワンシーン的ではないだろうか。 つまりは映画のワンカットと同じなのではないかという気がする。
我が家の古い写真を一括管理している長女が時々、昔のものを1枚選んできて、「やっぱり写真って大事ね」と言ったりするが、その通りであって、それがないと、あの日、あの時も忘れてしまう。
今日(25日)は三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地に押し入って、切腹自殺した日である。45年前のあの日の思い出は、おありだろうか。私は、「夕方頃になって、現場を訪れた石原新太郎さん」の姿が瞼の裏に残っている。
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