私の胸部大動脈瘤破裂の手術が始まったのは8月24日の午後3時を少し過ぎた頃だった。家人と娘達は、医師から「極めて深刻。危険な状態」との説明を受けていた。当然のことであって、この病気は即死(心臓がすぐに止まるわけではないが、保って数時間)のケースが多く、河野一郎さんや藤田まことさんがその例だ。 後になって癌で亡くなる石原裕次郎さんも、これで倒れ、慎太郎氏は、生存確率3パーセントと告げられたそうだ。 しかもその時の裕次郎さんは50歳前であり、私は74歳なのだ。 家人と2人の娘は、表玄関に近いロビーにいた。外来の患者さん達や職員も次々と帰路につく。 手術室はどうなっているのか。長女が気分が悪くなってソファに横たわる。 家人と次女が雑談を始め、長女が「心配じゃないの?」と咎めると、「すべてはドクターに委ねるしかない。そして、すでに3時間が過ぎている。もしダメなら、もう結果は出ているはず」と次女が応え、これぞまさに正論である。この辺のことを、長女は、血液型の差だと説明する。 いま8月24日午後6時。2年前のこのとき、私は手術台の上で、生死の境目を彷徨していた。 8時間のオペで私の血液の80%が見知らぬ誰かのものと入れ替わった。家人は、血液が換わったことで、「お酒が呑めない体質にならないかしら」と期待したようだが、それはなく、私の目の前には、生還記念日の水割りのグラスがほほえんでいる。 365日×2+1(閏年の分)=731日か。なんだか、申し訳ない気がしてくる。