「卓球って、ずいぶんチマチマした競技ね」と、家人がオリンピックのテレビ放送を観ながら言った。それで思い出したのが、三国一朗さん(昭和30~50年代に活躍した司会者)のことだ。 三国さんは、野球について「丸太ん棒でボールを叩いて、ワーワー言いながら走りまわって、どこがおもしろいのか?」と言った。 それを真似れば、ゴルフは、「象の耳かきみたいな棒で球を転がして、ただ穴に入れるだけで、喜んだりガッカリしたりするのは滑稽千万」となるわけで、むろんそのことはすべてのスポーツに言えるだろう。では、そういうスポーツがなぜおもしろいのだろうか。 人間はそもそも競い合い(争いごと)が好きな生物であって、当然にランキング(順位争い)が気になる体質を持っている。努力が成功(成長)につながる場合があり、それが他の分野の自信に拡がることがある。 と、まぁカタいことを言えば、その辺がスポーツの価値だろう。そして、さらに大きいのが仲間ができることだ。私には(生涯を通じての)スポーツ仲間はいないが、酒友はいる。下戸から見れば、バカ話をして酔っぱらって、翌朝んじなって頭が痛いと騒ぐアホであり、これも、丸太ん棒で球を叩き~と同じ理屈になるのかもしれぬ。
昨日は病院へ行った。家を出る時点で、甲子園では大阪桐蔭が3対1でリードしていた。私は同校の春夏連覇ありと見ていて、条件はただ1ツ、エースの藤浪君が打たれる試合が必ずあるが、そのとき2番手の党首が粘れることであって、そういうゲームがいつになるかが愉しみだ。 整形外科の診断は3分間の会話と10秒間の注射で終わるが、なぜかこの病院は、最後の支払いと薬のノート作りの事務処理が長い。待合室のテレビを観ると、桐蔭のリードは3点に広がっているが、藤浪君は2点取られている~と、私の視線の先に禿げ頭のオッチャンが入って来て、観戦のジャマになった。 まさか、「右でも左でもいいから、ちょっと寄ってくれへんか」とも言えないので我慢していると、オッチャンが何かに気付いた彼のように、私の方を振り返り、ペコリと頭を下げた。顔にスミマセンと書いてあって、同時に何かにおびえたような表情になった。 私は車いすに乗っている。長身短足だから、座高は大きく見えるだろうし、砂漠にわずかな雑草が生えているような巨頭、薄茶色のサングラス、大柄なチェックのシャツに、古めかしいステッキ~オッチャンから見れば怪しい老人であったのだろうと思う。 オッチャンが視界から消えてすぐに、桐蔭が1点を追加して必勝形となった。 そうだなぁ、車いすとステッキとサングラスと無毛頭っていうのは、(車いすは別として)、病院の待合室には不似合いなんだろうなぁ。