![1336151](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/8c/f137ab4f51f9762748631ca9e7bcc651.jpg)
(梅畑の中にある馬頭尊)
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(馬頭尊2)
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(馬頭観音3)
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(馬頭観音4)
(松井田宿4)
前回述べた夜泣き地蔵のある丸山坂を登り下りする山道(旧中山道)を進むと、
左右に馬頭尊や馬頭観音などが、
旧中山道の案内役をしてくれる。
道路は曲がりくねっているが、やがて信越本線にぶつかり、
線路に平行して歩くようになる。
しばらくすると右側に碓氷神社の赤い鳥居が見えてくる。
神社の本殿は急な階段を上ったところにある。
神社入り口の赤い鳥居脇には、寛政12年の庚申塔、
文化5年の二十二夜塔が並び、その脇にある昭和二年の道標には、
「碓氷神社ヨリ東 立野 西 高墓 松井田停車場へ一里二丁」と刻まれている。
碓氷神社は由緒ある神社で、伝説によれば、
(1.建久年間(1190~1199)源頼朝公が信州浅間の牧狩りの際、
碓氷神社に祈願せられ、境内に御所を置かれた。このことにより
以来この地を「御所平」と呼ぶようになった。
2.正応年間(1288~1293)鎌倉北条氏
この地信州より関東への入り口なるをもって、
碓氷郷総鎮守として崇敬せらる。
光明天皇(1377)は碓氷郷の一宮と定められ崇敬祈願さる。)
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(碓氷神社の赤い鳥居)
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(庚申塔や道祖神)
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(道しるべ)
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(御所平の信号と踏切)
この碓氷神社の横に踏切と信号機があり、信号は伝説の通り「御所平」と書いてある。
信号で信越線と線路と平行している国道18号を横断する。
線路はあと2kmも西に進めば、JR横川駅に到着する。
国道に沿って歩道を進むと、「小山沢」の信号で中山道はすこし左にそれる。
それた道は100mもしないで、すぐ国道に合流するが、合流地点の手前右側に
「百合若大臣の足跡石((ゆりわかだいじんのあしあといし)」の伝説の石がある。
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(小山沢の信号)
![1410161](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/a6/c074be143103f62ae3762f5b1a0cb94d.jpg)
(百合若大臣の足跡石、石のへこんだところが見える)
説明によれば、
(この石は、百合若大臣が強弓を射たときに、足で踏み潰したので、
石の上が凹んだと言われています。
その昔、百合若大臣という大男の若者がいて、力も相当あったらしく、
大きな弓と長い矢で川向こうの山に向け「よし、
あの山の首あたりを射抜いてみよう」と思いつき、
満身の力を込めて射放った。
その時、後足を踏ん張っていたのが、この石という。
それを見て、家来の一人も負けじと思い、
腰にぶら下げていた弁当のむすびを力いっぱい放り投げ、
山には二つの穴があいた。
それで今でも、二つ穴が、ここから見ると夜空の星のように見え、
この山を「星穴岳」と呼ぶようになったという。
百合若大臣がその時使った弓矢が妙義神社に奉納されている。」
星穴岳は妙義山にあり、伝説の二つの穴が見えるらしい。
(一所懸命妙義山を見たが、見えなかったので、家に帰ってからネットで調べたら、
なるほど、星穴岳に二つ穴があるのを知った。)
遠くからは小さな穴に見えるが、
登山するとその穴は巨大なものだということが解る。
![Image11](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/44/156d3711402dd8b05b3758baaa77602c.jpg)
(写真1.妙義山の星穴岳)
![Hosi041](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/29/66e9cc3cde70948dd29c28d824c95094.jpg)
(写真2.大きい穴)
![Hisi051](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/8d/ca452317822648619daca06d60418a03.jpg)
(写真3.小さいほうの穴)
(以上3点の写真は、下記URL:http://www5f.biglobe.ne.jp/~tana/myougi.htmlのホームページから転用)
分かれた道は再び国道に合流するが、すぐ先に「旧中山道→」の案内看板があるので左折し、
信越線の「十五中山道踏切」と書かれた踏切を渡る。
道路右側に「中山道 左 坂本宿3,0km 右 松井田宿5,3km」の案内看板があり、
旧中山道であることが確認できる。
![1416391](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/ba/ad22c6530738d97c1bd6b4b77361fc76.jpg)
(中山道→の看板)
![1417291](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/0a/2b92833a18a422dddb8bfc84f73ef34c.jpg)
(第十五中山道踏切)
![1420091](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/c8/e5c5ba8ed1d9663a0e1907a30e11bff7.jpg)
(「中山道 左 坂本宿 右 松井田宿」の里程標)
やがて「峠の釜めし」で有名な荻野屋の発祥の地の看板がある。
旧中山道は直進するが、看板の手前を左折するとJR横川駅である。
![1434101](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/63/33882ffd1aca960f06048bfb20995a1e.jpg)
(おぎのやの看板、この駅では週末祝日しか釜飯は買えない)
日本橋をスタートして18日目は、ここから東京に帰る。
まっすぐ歩けば松井田から坂本まで9,5kmであるが、史跡を見学しながら歩くと、
実に23,5km歩数にして約4万歩になった。
4万歩、充実した4万歩がいいですねえ。
毎日読ませていただいていますけれど 雑事に追われて書き込みが出来ないでいます。 ゆっくりさかのぼって 書かせていただきます。もう少しお待ちくださいね。
伝説とはいえ それらしい穴が見えると聞いては私も見に行かなきゃ。 そう言う話大好き。