中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

幸手市街の歴史を感じる建造物(旧日光・奥州道中ひとり歩る記 30)

2014年05月02日 11時57分05秒 | 日光・奥州道中ひとり歩る記
(岸本家)


(幸手宿3)
幸手宿に残る歴史を感じる建造物には、
紺地に白で「日光街道幸手宿」と書かれた暖簾(のれん)が出されている。
信号を渡ってすぐ右側に小島商店。元薪炭商であり、絹糸商であった。

(小島商店)


少し先の右側にお酒類を商う永文商店、
右側の壁にでかでかと芭蕉と曾良の図が描かれ、

・ 幸手を行ば栗橋の関      焦(芭蕉)
・ 松風をはさみ揃ゆる寺の門   良(曾良)

連句の一部が記入されている。
ここにある曾良が読んだ寺の門は、
幸手市のこの先にある聖福寺にある門を指していると言われる。
芭蕉の詠んだ句の中にある関は、栗橋のどこにあるのだろう。
先行きが楽しみになってきた。

(永文商店)

(永文商店の右側の壁の芭蕉と曾良の旅姿と俳句)


さらに進むと右手に小公園があり、問屋場跡の説明板がある。
その後ろに幸手福祉会館があって、
お手洗いがあるので用のある方はここで済ませて置きたい。

(問屋場跡)


各街道の宿場には、荷捌きをする問屋場があり、
宿場ごとに荷物の運賃が定められていた。

さらに進む、元石炭商の竹村家がある。昭和初期の建物だそうで、
現在は、建物だけ残って生活の痕跡が見られない。

(竹村家)


次いで平井家、元米穀賞でもあり、
味噌を商っていたのか味噌増の屋号があるという。

(平井家)


次が幸手宿の中心となる本陣家、知久家跡。
(知久家は本陣、問屋、名主の三役を兼ね、
幸手宿ではもっとも重要な役割を果たした家柄でした。
初代帯刀(たてわき)は、長野県伊那郡の豪族の出で、
同郷の関東郡代伊那熊蔵より幸手宿の久喜町開拓を命じられ、
諸役を務め、明治三年(1870)に本陣が廃止されるまで、
代々幸手宿の繁栄に尽くしました。
明治六年、知久家の書院で小学校が開設され、
明治九年、明治天皇が東北巡行の折に宿泊されています。)
(幸手市教育委員会)とある
(幸手宿本陣 知久家跡)


その先同じく左手に(ならいち)文房具店があり、
その手前にも古い家が見える。

(古い家)

(ならいち文具店)


この(ならいち文具店)では、
幸手宿について地元の歴史家が調べた歴史書を購入することが出来る。
さらに進むと、同じならびに往時を感じさせる高浜商事の家がある。
ここでは今も昔と変わらぬ肥料店を商っていると言う。

(高浜商事)

これで幸手宿の旧家は終りを遂げる。
「幸手桜まつり」の現地はまだまだ先だ。



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