中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

粕壁宿(旧日光・奥州道中ひとり歩る記 24)

2014年02月14日 11時26分50秒 | 日光・奥州道中ひとり歩る記
(春日部駅前の像)

(春日部宿2)
春日部駅を降りると、駅前はロータリーになっていて、
素敵な彫像が出迎えてくれる。

ロータリーの先へ進むと最初の信号右角に
「ぶらっとかすかべ」と名づけた観光案内所があり、
ここで街案内、日光道中案内を戴く。

信号を渡るとここにも彫像がある。
春日部市の説明では、
「自然の中で詩想を練り歩く若き詩人の姿」と言う。
(詩人の彫像)


日光街道は、次の信号を左折するのであるが、
直進して信号を渡ると、粕壁宿の案内板が目に付く。
この案内板がある場所が、粕壁宿の問屋場があった跡といわれる。
さらに直進すると、左手にしゃれた公衆便所がある。
白壁に「粕壁宿」とあり、浮世絵でこの先にある古利根川が描かれている。

直ぐ目の前に橋があり、大落古利根川をまたいでいる。
橋の横に光る銀色の鉄柱が伸びており、四つに交差した姿は、
巨大な四手網が川にセットされているように見える。
市の説明によると麦藁帽子をイメージしたアーチで、
光と風をテーマにした橋上公園であることが判った。
(浮世絵のある公衆トイレ)

(粕壁宿の案内板)

(古利根川橋と銀色のアーチ)


しかし、ここは日光街道から外れているので、
元の信号まで戻る。
信号を渡って右折すると(春日部駅からくれば左折すると)、
左手に古びた御堂がひっそり建っている。
山中千手観音堂である。

(山中千手観音堂は、江戸時代の俳諧師増田眠牛に由来します。
当時、眠牛は千手観音を背負ってこの地方を行脚していました。
そして、粕壁宿の米問屋伊勢平の家に止宿するようになり、
伊勢平が好意で建てた観音堂で生活し、
眠牛はこの地で一生を終えました。
眠牛を慕う人びとは、
観音堂に墓標を建て千手観音を祀って信仰しました。)とある。
観音堂の脇に眠牛のお墓がある。
(山中千手観音堂)

(増田民牛のお墓)

(米や伊勢平の浮世絵)

(呉服「なべや」のショウウインドウにあった古い写真)


日光道中を先に進むと、伊勢平があり、呉服の「なべや」がある。
また右手には、宿場町を思わせる土蔵や旧家が目に付く。
次の信号に十字架の案内板があり、
直進 北春日部、左 さいたま、右 幸手を表示している。
この標識を右折すると古利根川にかかる新町橋がある。
橋を渡って最初の信号を左折すると、
八坂香取稲荷合社と隣に真言宗智山派 神林山仲蔵院が見えます。
八坂香取稲荷合社の「合社」は、普通「神社」というのに、
どうしてかと思ったら、八坂神社、香取神社、
稲荷神社を合祀しているので、「合社」と言うらしい。
お寺の神林山仲蔵院は、
古いお寺らしく見上げるような大木が見事であった。
(十字架の案内)

(信号脇の旧家)

(宿場町を思わせる旧家)

(宿場町を思わせる旧家2)

(新町橋)

(橋を渡って最初の信号を左折)

(八坂香取稲荷合社)

(神林山仲蔵院)


少し進むと、右折道路があり、右かどに二体の石塔がある。
一つに、「史跡 小渕の一里塚跡」と書いてある。
もう一つには、庚申塔と刻まれているようだ。
一里塚らしきものは何も残っていない。
(小渕の一里塚跡の碑)

(庚申塔)


さらに進むと道路は二股になっており、
右手は旧家の白壁の塀が続き、
中央には、また二体の石塔が建っている。
左手の旧日光道中に面しているお店には、
春日部市が店舗のシャッターに描いた浮世絵、
「桐箪笥製造」の図が描かれている。
中央の二体の石碑、大きい方の前面には「青面金剛」、
左面には「北 日光道」と読める。
一方、小さい自然石の道しるべは、
宝永六年(1709)銘の春日部市最古のものという。
表面が欠けているが、右へは関宿道、左奥州道であったという。
(二股道路)

(右手の白壁の旧家)

(中央の二体の石碑)

(左手の粕壁宿の桐箪笥製造の浮世絵)

(左日光道と見える石碑)


道標にしたがって、左へ進むと国道四号線に合流する。
ここが日光街道(小渕)の信号である。
(国道四号線)




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