中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

天国への道のり1(カンボジアー東南アジア紀行 4)

2010年04月21日 10時58分14秒 | 東南アジア紀行
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(伝統のダンス)

(天国への道のり)
カンボジアで22歳のガイド嬢から、
仏教のことを訊ねられる前から、
日本人は宗教のことを知らない人種として、
世界一だと何かで読んだことがある。
自分に照らし合わせて、実のその通りと感じた。

カンボジアの気温は30℃以上もあり、湿度が高い。
湿度の高い中を太陽に焼けた石造遺跡を見るのは、
蒸気で一杯のお風呂に入っているようで、
汗が止め処も無く出てくる。
それでも蒸し暑い中を石造仏教遺跡の見学は進んでいった。
午前中観光して昼食、
午後シャワーを浴びてシエスタならぬ昼寝をして、
午後三時頃からまたジャングルの中を観光して歩く。

午後の昼寝の意味がやっとわかった。
一日をスルーで観光したら、
ガイドさんも観光客もダウンしてしまうに違いない。
まして、朝日の昇る遺跡、
夕陽が沈む遺跡を見ながらであるから。
朝5:00待ち合わせ、
夕方8:00頃の帰宅では、
お昼休みが無ければくたくたで、
明日はオヤスミということになり兼ねない。
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(バンテアスレイの天女)
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(モナリサをしのぐ謎の微笑み)

仏教遺跡であるから仏教とは切り離すことが出来ず、
カンボジア訪問前に仏教の勉強をしておくべきであったと悔やまれる。
しかし、ここで恥を掻いたために、
玄奘やお経、大乗仏教と小乗仏教の違いなど、
勉強することになったから、
これはこれで良しとしなければならない。

大乗仏教と小乗仏教について恥を掻いた話は前回したが、
どのように違うかはまだ話していない。

その前に西遊記の三蔵法師 
玄奘について少し触れておいた方が判りやすそうである。

玄奘三蔵は、天竺から仏教の経典をたくさん持って帰った。
釈迦が教えた経典の数は定かではないが、
八万四千巻とか八万五千巻とか言う。
その一部の経典を帰国後中国語に翻訳して,
玄奘は一生をおわりたいと思ったらしい。
ところが時の皇帝は、自国の防衛と他国への侵略を考えて、
玄奘に、沢山ある西国の国々について、
知識を披露するよう求めた。

国々はどんな広さで、どんな人種が住んでおり、
文化は?軍備は?
皇帝が求め、聞きたいことをまとめたのが、
「大唐西域記」であるという。
どの国は人柄温厚でとか、人柄激しやすいとか、
土地豊饒、作物豊穣であり、国は豊か、
軍備は整っているとか、といった具合である。

持ち帰った経典の翻訳も、精力的にこなし、
その翻訳経典数は実に二千五百巻に及ぶという。
その経典かどうかは判らないが、戦渦に巻き込まれたり、
火災に消失するのを恐れて、
一部は敦煌莫高窟の壁に塗りこまれ保存されていたニュースは、
耳目に新しい。

さて、その経典とは、一体何が書いてあるかというと、
実は人間が極楽へ行くための道のりが書いてあるというのだ。
お釈迦様は人に極楽へ行く方法をお経にして書き残した。
そのお経の数は、八万五千巻あるという。
つまり、極楽へ行く方法は、
実に八万五千通りもあるというのだ。

ところがタバコを止めることさえ難しい人間が、
このお経の通り身を処すことはなかなか適わない。
そのお経の一つに沿って、
身を奉げれば極楽へ行けるのである。
自分の身を教典に沿って律して(難行苦行して)、
自ら極楽を勝ち取る教えを小乗仏教というのだ。

一方で人がそんな難しいこと(タバコを止めると同じ位に難しい)は
出来ないと考えた法然は
「南無阿弥陀仏」を唱えれば、
阿弥陀様は極楽(天国)へ行かせてくれると、説いた。

「南無阿弥陀仏」=
「どうか阿弥陀様極楽へ行かせてちょうだい」という意味。
これが法然の説。「南無阿弥陀仏を唱える」これは「お願い」。

一方で「南無阿弥陀仏を唱える」
=「阿弥陀様どうもありがとうございます。
極楽へ行かせていただけるそうで」
これが親鸞の説。これは「お礼」

とにかく「南無阿弥陀仏」を唱えれば極楽(天国)へ行ける。(法然上人)
あるいは「南無阿弥陀仏」を唱える気持ちさえ持てば、
極楽へ行ける。(親鸞上人)
両方とも極楽へ行くのはあなた任せ、
この教えを大乗仏教と言うのである。

日本人の仏教は「あなた任せで、
どうでも良いから、うまくやって、どちらにせよ、
極楽へ行かせて頂戴」ってところだ。

人間なんていつも楽をしたがる。
こんなに簡単なら私もこの教えで極楽へ行こうと、
日本では、どっと仏教信者が増え仏教が広まっていった。
鎌倉時代のことである。


その中で楽をせず、
しっかり御仏の教えに従った人が極楽へ行けるのはわかるが、
自分勝手にやりたい放題の人が、極楽へ行きやすいと、
説いた親鸞の気が知れない。

御仏の慈悲はこんなにも懐深いものなのであろうか?

(話しついでに、玄奘三蔵法師の亡き骸は、
先の大戦で日本軍が発見し、頭骨を日本に持ち帰り、
現在は埼玉県岩槻市の慈恩寺に埋葬されている。
そしてその一部は、時の総理 佐藤栄作が、
台湾の日月潭の湖のほとりにある玄奘寺に分骨したことを、
その後の台湾旅行で知った。)
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(さいたま市岩槻区の慈恩寺)
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(玄奘三蔵墓碑)






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