中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

日本橋(日光・奥州道中を歩く 2)

2013年04月15日 11時05分41秒 | 日光・奥州道中ひとり歩る記
(COREDO日本橋)


(日本橋)
東京駅から歩いて、日本橋にやってきたら、
日本橋の東側に出た。

(日本橋)の信号の向こう左角に、COREDO日本橋がある。
ここは昔、白木屋デパートがあった所。
東急デパートの五島慶太が白木屋を買収したが、
売れ行き不振のため閉店、300年に及ぶデパート業から退いて、
今はCOREDO日本橋になっていて、
テナントが沢山入っている。
ビルディングを見ると船の帆のようで、横浜ミナトミライのホテルや、
ドバイのホテルに良く似た建物だ。

話はさかのぼるが、あまりにも強引な手口で、白木屋を買収したので、
当時、五島慶太のことを、もじって強盗慶太といったくらいである。
現在のCOREDO日本橋も、中に入っているテナントは、
儲かっているのか儲かっていないのか、解からないくらい、
普段の日のせいかもしれないが、お客様が入っていなかった。

しかし外界は、普段の日だというのに、人が沢山出ている。
さすが江戸の中心地と言う感じがする。
日本橋と言うだけで、観光に来ているのだろうか?
そう言うボクも東京見物をしているのだから・・・

(普段の日だと言うのに人出が多い、左手は日本橋三越)
0011

そのCOREDO日本橋のビルの手前の信号を左折すると、
目指す「日本橋」がある。

写真では、「日本橋」の文字が二階の高速道路にかかっていて、
川のうえに架かっている本物の「日本橋」の橋は、この道路の下にある。
なんだか奇妙な感じもするが、これが東京という所だ。

ボクが東京へ始めてきた時、下宿先が世田谷であった。
友人が前もって探しておいてくれたもので、
ボクは何しろ東京は始めて。

(渋谷から「上町」方面行きの玉電に乗って、「松陰神社前」駅で降りろ。
そこから公衆電話で連絡をくれ。)
友人が言ったことを頼りに、渋谷で電車を探した。

電車は確かハチ公前から乗ったように思うが、
路面電車であるはずなのに、
乗車場所が二階にあったのには驚いた。

それから思えば日本橋の文字が、二階部分の高速道路にあるのは、
別におかしくも何でもない。
この「日本橋」の文字は、徳川幕府最後の将軍、
徳川慶喜が書いたものだそうだ。

(二階の高速道路に日本橋の文字はある)
0000

「日本橋」の橋から西に向かい(日本橋)の信号までは、
国道一号線、つまり、東海道と甲州道中につながっている。
近づくと、日本橋の文字の向こう側が、目指す日光・奥州道中である。
詳しく言えば、奥州道中、日光道中、中山道が日本橋を基点に、
並んで進む。

三本の道があるような言い方になったが、
道路は一つで、中山道は直進であるが、
日光道中と奥州道中は約100m先、
(室町三丁目)信号を右折する事になる。
日光道中と奥州道中は、宇都宮まで同じ道を進み、
宇都宮で分岐して、左へ行けば日光へ、右へ行くと奥州白河へ行く。
今回、こうしてボクは奥州へ向っていくことになる。
(室町三丁目の信号)
0015

さて、日本橋であるが、欄干の両側には奇妙な彫刻が置いてある。
西側の欄干には、「うん」と口をつぐんだ獅子が妙なマークを足で押さえ、
東側には「あ」と口を開いた獅子が、
これまた同じ妙なマークを足で押さえつけている。
東西の欄干にある獅子像は、神社やお寺の本堂前にある「阿吽」の狛犬像で、
足で押さえているのは、東京都になる前の東京市のシンボルマークである。
(「阿吽」の獅子像 東側、東京市のシンボル・マークを持っている)

(西側の獅子像)


つまり、東京に入るということは、
世間のあらゆる森羅万象の間を潜り抜けて入る場所、
寺院で言えば本堂、神社で言えば神殿、
人間社会で言えば超金持ちから超貧乏人がいる東京、
政治家が言う極楽社会に入るという事のようだ。

狛犬が足で押さえている元東京市マークは、
現在、東京都水道局が使用しているらしく、
マンホールの蓋にデザインされているのを、よく見かける。
(東京市マーク)

(水道局のマーク)
0002

(水道局のマーク2)
0004

(水道局のマーク3)
0005