森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

朝ドラ「エール」で「インパール」

2020-10-13 | 映画ドラマ
NHK「朝ドラ」の「エール」では、今戦争の真っ只中。
主人公祐一も、軍の要請で慰問のために戦地に向かうこととなった。

北九州出身の作家「火野葦平」がモデルの作家「水野」と洋画家「向井潤吉」がモデルの
画家「中井」が同行したが、二人はいち早く最も無謀と言われた「インパール作戦」の前
線に向かった。

その間、祐一はラングーンに待機していたが、その後戦地から戻ってきた中井から、現地
の兵士たちの悲惨な状況を、彼の絵によって知らされる。

 

しかし、水野は「この実情を伝えるのが作家の使命だ」と、未だ戻らずに同行していた。
そして、中井は強い目で祐一に語った。
「日本は負けます。命を尊重しない戦いに未来はありません」

(※このインパール作戦については、以前こちらのコメント欄でみなあんさんと語った記録があ
ります。)

昨日に続き、今日の放送回でも祐一は「兵士たちの戦意高揚に貢献する曲」を作ることに
疑問を抱こうとしていない。が、この後、現地で兵士たちの現実を目の当たりにすること
で、恐らくそんな「自分」を責めることになるのだろうと思う。

火野葦平は、戦時中は従軍作家として多くの本を書きもてはやされたというが、戦後は戦
争責任を追及され、1948年(昭和23年)から1950年(昭和25年)まで公職追放を受けたと
いう。彼らが「戦争がもたらす狂気の中にあった」のは否めないけれど、それでも本来は
真面目で誠実な人格であった人にとっては、後々まで自らを責める結果となる気がする。

実際に火野は、追放解除後は自らの戦争責任に言及した「革命前後」など、数多くの作品に
よって再び流行作家となったが、死因が心臓発作だったとされていたことを、遺族はのちに
「自殺」であったと公表している。祐一のモデルとなった古関は、「火野は兵隊のもっとも
深い理解者であり同情者であった」と記しているという。

ドラマでは、祐一が「予科練」の映画の曲を書くことになり、練習生たちの生活する場に自
分も滞在し、二つの曲を作った。その際、「明るく元気な曲調」のものと「短調」の曲のど
ちらかを選んでもらうシーンがあり、教官たちの多くが「明るい」方を選ぶのだが、練習生
全員が「短調」の曲を選ぶという結果になった場面があった。

実は作った本人も、そして心ある教官の一人も、やや哀愁を帯びたこの短調の曲が気に入っ
ていた。私は、古関氏のこれまで作った多くの曲を耳にしたことがあり、恐らく戦後も人々
の心の中にあった「哀しみ」や「憂い」「郷愁」などといったものが、ずっと歌われ続けた
理由なのだろうと感じていたことから、このエピソードが強く心に残った。

やはり当時も彼の気づかぬところで、心の深いところで「戦争に向かう哀しみ」のような思
いが、「在った」のだと。たとえ気づかぬふりしても、彼の曲中にそれはしっかりある気が
して。
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