森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

手にした「自由」は

2016-04-04 | 思い・つれづれ
友人のririkoさんと久しぶりにランチを楽しんだ。
ririkoさんは以前より一層出不精になっているので、ランチ目的というより
ゆっくりお喋りしたいということで、当初の目的だったオシャレな店ではなく
「星乃珈琲」を選んだ。

 

彼女はひとしきり「専業主婦」として「夫に気を遣う生活」を愚痴った後、
「私と犬は自分が守るって言うのよ~」とうんざりした様子で付け加える(笑)

「守ってくれる人」がいない私にしてみれば贅沢な悩みだと思うけれど、以前
自分は「籠の鳥」だと嘆いていた頃に彼女に誘いかけても、なんだかんだと理
由をつけて家から出ようとしなかったので、「籠の中」が彼女にとっては居心地
の良い安全な場所であり、その中に留まるのは自身の意思だと私には思えた。

実際、その日も彼女は少しの待ち時間も人に酔うし、冒険も嫌だということで
人気で並ばねば入れなかった店を諦めたのだから、彼女自身、そのことを充分
に判っているのだと思う(笑)

私はと言えば、昨日もとんでもないことを言うお客(さんは付けたくないくらい酷い!)
に仰天したばかりで、もはやこの世には礼儀というものは無くなったのかと
またもや嘆きたくなるほどに仕事で散々な目に遭ったばかりだった。

なので、働かなくていいなんて、私にしてみれば羨ましいことこの上ないよと話し、
「夫婦も長くなれば色んな不満がお互い出てくるだろうけどね」と共感もする。
それぞれの立場のどちらがいいなんて、誰にも判らないとは思う。
良い所と苦しいところが、背中合わせなのだろう。   でもいろんな女性の悩みを
聴くにつけ、「貴女はまだ恵まれていると思うよ」と言い、短く楽しい時間は過ぎた。

そして彼女は会ってから2時間ちょっとで、留守番のわんこが待つ家にいそい
そと帰って行った。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、すっぽり空いた数時間。私は家に帰るにはまだまだ早い。
でも娘の家に寄るにはふうちゃんの昼寝時間に当たるので迷惑だろうと、街を
一人ブラブラ歩くことにした。

本当に久しぶりの一人の街歩き。
昔は「子供たちが大人になったらどんなにか自由な生活が待っていることだろう」
と思っていた。

と言っても家族との生活を煩わしいと思ったことはない。  大袈裟かもしれないけど
離婚してからずっと、いつか待っているはずの「一人の人生」を、覚悟して生きてきた。
どうせそういう日が来てしまうのなら、失ったものばかりを数えるのは止そう。
引き換えに手にするものを、心待ちにしながら生きる方が楽しいじゃないかと。

ところがいつまで経っても「自由」な時間はなかなか手に入らなかった。
時間というのは、たとえ休日であろうが、努力しなければたちまち消えて無くなって
しまうものなのだ。
時間は「作る」もの。 待っていても訪れない。こんな風に突如空いた時間は
滅多にない「贈り物」。

まずは銀行の用事を済ませ、雑貨屋を覘き、本屋に行き、それからゆっくりと
お城のある公園を回って早くも散り始めた桜を眺め、家具屋をぶらりと歩き、
手芸店で布を観て次に作るモノを想像しながら家路に就いた(何も買わずに)

 

 

 

      
         (ガラケーで撮った画像なのでいまいちです;)

さぁ 明日からまた仕事、頑張ろう☆
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