令和6年5月の旧富岡倉庫活動報告
セカイト西出入口前テント内活動
◯5月26日(日)天気(曇り)久々のまちなか広場の骨董市が開かれ、シルクル広場・おかって市場は大賑わい。東京、埼玉からも若い人達が見え、伝道活動は大盛況でした。伝道師6名、力を込めて対応できました。今日はセカイト西出入口前テント内活動で、テントはおかって市場さんが設営撤去してくださり大助かりでした。天気も曇り空、程よい天候に恵まれての活動。伝道師は和気藹々と楽しく活動できました。(K澤壮子 記)(活動伝道師 J保千代子 Y村和子 Y野まゆみ H野里美 U原一美 K澤壮子)
お客様のご感想ノートより
・まゆでつくるぐんまちゃんを、かわいく、たのしくつくれました。(群馬県2名)
・この体験ができて楽しかったです。(埼玉県4名)
・繭に触れる機会がなかなか無いので、子どもに見せられて良かったです。(埼玉県2名)
・まゆでぐんまちゃんをつくれたのでうれしかったです。(東京都3名)
・貴重な体験を子どもにさせられて良かったです。(東京都4名)
・四人四様、個性あふれる顔にできあがりました(東京都4名)
・顔をかくのが楽しかったです。(長野県4名)
🏠群馬県60名(23組)・埼玉県20名(6組)・東京都15名(5組)・神奈川県3名(1組)・長野県6名(2組)・不明2名(1組)
「5月1回 都道府県内訳とお客様総数」1都4県:合計38組106名
骨董市が開かれていたため、とても沢山のお客様が来て下さいました。セカイト職員の方がインスタにあげていただくとの事で写真撮影に来られました。いつもお心配りご配慮本当に有難うございます。
本日たまたま見えたお客様にお話をお聞きしていたところ元工女さんでした。昨日の総会時に上毛新聞記者さんより「元工女さんを知りませんか。」とのお問合せがあったので偶然に驚き、ご了解を得て直ぐに記者さんを紹介させていただきました。繭クラフト作成後に30分強の時間、当時のお話を伺う事ができました。
〇「元工女Kさんのお話」 話者:元工女Kさん(出生旧妙義町 現富岡市在住) 聞き手:U原
・片倉製糸で昭和39年から1年間働いた。当時15歳。
・繰糸を担当(5:00~13:00と13:00~22:00の2交替で1週間交替)。一枠10で20並んでいて二人で100ずつ担当。糸を繋ぎ直すのが仕事。立って作業。作業中は休憩なしでトイレのみ。作業中音楽が10:00と15:00に流れた。当時の流行歌で演歌が多かった。時間の目安になり楽しみだった。
・作業着はジャンパーと帽子が支給された。
・手の指と指の間が荒れて支給品の酢酸を塗った。
・全員住み込みで、妙義・榛名・浅間寮(6~8名部屋で部屋長さんが1名いた)。自分は榛名寮。
・食堂で3食食べた(水曜日は麺類)。先輩はパンの差し入れがあった。
・お風呂は大きいのがあり、洗濯場と物干しもあり不自由はなかった。
・富岡市内の医師が常駐していた。盲腸になり医師の診断で市内の医院で手術し傷病手当をもらった。
・製糸場のグラウンドで運動会をして楽しかった。慰労会で畠山みどりショーを団体バスで東京に見に行った。
・工男さんは見たことがなかった。
・富岡市上小林に飯塚製糸(家族数名と社員5名程)があったのを覚えている。
・今でも当時一緒に働いていた人や長く働いていた人との交流はあるので連絡できます、との事でした。
拙い聞き手にKさんは当時の事を大変よく記憶されていてはっきりとお話下さいました。今でも当時一緒に働いていた方々との交流があるのは素晴らしいと思います。その方々との交流が更に記憶を鮮明にしていると思われました。大変貴重なお話を心よくお話いただき感謝と御礼を申し上げます。有難うございました。文責は全て拙い聞き手にある事を記させていただきます。後日上毛新聞記者さんより「Kさんと知人元工女さん数名に取材出来ました、本当に良かったです。」との連絡をいただきました。(U原一美 記)