富岡製糸場世界遺産伝道師協会平成23年度総会・第一回研修会を開催
平成23年5月14日(土)10時から、上毛会館孔雀の間を会場に「平成23年度総会と第一回研修会及び昼食交流会」が63名の出席を得て開催されました。
総会ではまず冒頭3月11日の東日本大震災で被害に遭われた方々に黙とうをささげました。近藤会長は挨拶で、昨日の群馬県学術委員会を報じる新聞記事を紹介しながら率直な感想を述べ、イオン㈱と地域包活性化包括連携協定が締結され新発売となった電子マネー「ぐんまシルクWAONカード」を紹介。世間が大震災で意気消沈する中、伝道師協会はしっかりした活動をしていきたい、と結ばれました。続いて新任の岡野県企画部副部長と今井幹夫先生にご挨拶をいただきました。
議題に先立ち中島良員副会長を議長に選任、第一号議案「22年度事業報告及び収支決算について」と監査結果報告、第二号議案「役員の一部改選について(案)」で竹内一彦富岡支部長が市川武男さんに交代、広報部長が外山政子さんから中島進さんに交代、外山政子さんが無任所で幹事に留任する件、第三号議案「平成23年度事業計画及び収支予算(案)」が原案通り拍手を持って承認されました。第三号議案の中で「富岡製糸場世界遺産伝道師協会支部内規」第4条2項の支部助成金を年間3万円から年間5万円に修正する件、ただし23年度からは年間4万円で運用する提案が承認されました。またワーキンググループの見直し(案)と参加希望者を新たに募る提案がありました。
質疑では、阿久澤博会員から「バイクではナンバープレートに例えば富士山を入れている。検討してはどうか」との提案があり、岡野企画部副部長は「調べてみたい」と答えました。原田邦明会員から「改選された新役員の紹介を」との要請で役員全員が自己紹介し、11時15分と滞りなく議事は終了。また中嶋弘副会長が4月1日付の世界遺産推進課の人事異動について紹介しました。(地域連携係の奥原さんが転出し、江原さんが転入)
研修会は11時30分から、上毛新聞社論説委員長 藤井浩先生が「世界遺産運動とシルクカントリー群馬の未来」と題して講演されました。
講演内容は、3月11日の東日本大震災以来、新聞各社はこれまでにない報道をしている。“言葉の重み”を大切に、記事のあり方が問い直されている。こういう姿勢が「シルクカントリーぐんま」にも通じるのではないか。
「シルクカントリー群馬キャンペーン」を振り返ると、そこに「6人の硯学の教え」があった。1990年の県近代化遺産総合調査が全ての起点であった。「シルクカントリー」を最初に言ったのは1994年のシンポジウムでの文化庁の川村さんだった。これが起点となりキャンペーンがスタートした。
村松さんは94年のシンポジウムで「近代化遺産を再発見することは、自分なりの物語、価値を発見し、新しい時代のわれわれの民の歩みの風土記を編纂していくことではないか」と言った。これは伝道師協会の活動に通じている。
清水慶一さんは「颯爽たる上州」の中で「近代への取り組みを必死になって行ってきた先人たちの、いわば精神の遺産ともいうべき颯爽たる気概を忘れてしまうのはあまりに惜しい」と言っている。近代化遺産総合調査が群馬県から始まったのは縁だった。当時解体される危機にあった安中市の碓氷社本社が残った。もし調査が遅れたら残らなかったかも知れない。二人は「シルクカントリー群馬」の恩人である。
上毛新聞社は「近代化遺産保存キャンペーン」を94年からスタートさせて99年まで続いた。前任の田中ユキヒコ氏が孤軍奮闘しながら立ち上げた。村松さんに相談し引き受けてもらえたが、97年に村松さんが急死。それを引き継いだのが清水慶一さんだった。
群馬が誇る詩人の伊藤信吉さんと96年に一緒に県内の遺産を見て回った。伊藤さんは県民が共有する原風景として「上州は桑原十里 桑の実を喰うべて 唇を朱に染めばや(読人不知)」という詩をよく引用された。このキャンペーンを始めた動機は、時代の変化に対する新聞社としての危機感であった。これからは文化を軸にした新聞づくりをしようと「シルクカントリー群馬キャンペーン」は始まった。
河合隼雄さんは文化庁長官になった時に「文化で日本を元気にしよう」と言い始めた。それを受け2002年から文化プロジェクトを立ち上げた。繋がりのない六合村と桐生が交流を始めた、シルクを繋ぎとして地域と地域がつながることになった。
2003年8月前橋市若宮町にあった新勢館製糸場の倉庫が解体された。もう少し前に世界遺産登録運動があったらと思うと残念。森まゆみさんは「なつかしいという感情は、人間だけが持つ、文化的な感情である」と言っている。なぜ残すのかということを、建築家の藤森照信さんは、村松さんのお弟子さんだが「人は過去の自分と現在の自分とが連続していることを、建物や街並みの景観を通して確認している」と言った。建物を残すということは人の生理的欲求である。それは絹遺産を残すということに繋がる。
キャンペーンで一面のトップに「絹人往来」を掲載した。群馬県人に身近に感じて貰いたいという思いであった。同時に普通の人を取り上げた「私の中のシルクカントリー」もスタート。3カ月が過ぎると情報が集まりすぎようになり1年の掲載予定が2年半、524回も続いた。遡るとシルク遺産は誰もが共有できる遺産であって、連載により共有できる遺産を目に見える形にした企画であった。
今期待しているのは「ぐんま絹遺産ネットワーク」である。これは“文化力を使った街づくり”につながる。東日本大震災を受けてそれを強く感じている。
地域に対する愛着と誇りが伝道師協会の活動と重なり合うことで、群馬県の人々の意識が変わり、精神的なものにつながる動きとなるだろう。
最後に、「伝道師協会の活動はシルクカントリーという理想をビジュアライズさせてくれる運動になっている」、と結ばれました。
藤井先生の高校時代の恩師である近藤会長が謝辞を述べ講演会は終了しました。
会場を鳳凰の間に移し、13時過ぎから全員が参加し昼食会となりました。近藤会長、村田敬一先生、関口政男様に挨拶いただきましたが、松浦課長の挨拶「2点、一点は来年か再来年には世界遺産に推薦になります。もう一点は群馬絹遺産ネットワークで守れるものは守っていきます」に会場から大きな拍手が起きました。
昼食を摂りながら交流を深めるという形式は二回目となりますが、各テーブルでは話に花が咲き大変好評でした。
(文責:K.K)