富岡製糸場世界遺産伝道師協会 世界遺産情報

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は日本で初めての近代産業遺産として2014年6月25日付でユネスコ世界遺産に登録されました。

現地研修会「前橋市街地の絹遺産を訪ねる」

2016年05月08日 23時33分54秒 | 世界遺産伝道師協会

現地研修会「前橋市街地の絹遺産を訪ねる」

 

4月22日(金)、近藤会長を始め26名の伝道師が、前橋市街地にある絹遺産等を巡る研修会を行いました。

全行程を徒歩で回るという初めての試みです。参加者は前橋公園の駐車場に集合しました。

講師陣は、近藤会長、中嶋副会長、町田睦理事、そして特別講師として村田敬一先生が参加されました。晴れて少し暑くなりそうな空の下を9時に出発、まずは公園内の一角にある「星野翁碑」に向かいます。臨江閣別館の20m南にあり、高さ約3mほどの大きな碑ですが意外と見落とされている存在です。参加者の多くも初めて知ったという顔です。

民間初の器械製糸所である水沼製糸所を創設した星野長太郎の経歴、業績等が刻まれています。題額は松方正義、撰文は清浦圭吾とあり、中央との人脈の太さを感じさせます。

臨江閣は修復改修工事のため、今年3月から平成29年7月まで閉館中です。村田先生が資料を配付され、本館・茶室・別館の歴史、建築について詳しく興味深く解説されました。初めて先生の解説を聴く参加者から「すごいですね」と耳打ちされました。

次は岩神町の「藩営前橋製糸所跡の碑」です。前橋藩が1870(明治3)年、住吉町に日本最初の器械製糸所を設立、3か月後に移転した場所です。ここが実質的な器械製糸発祥の地であることを知る人はほとんどいませんでした。

そこで、伝道師の発案により碑を建立する計画が持ち上がりました。近藤会長、町田理事が中心となって碑の建立委員会を立ち上げ、伝道師を始め、賛同する個人・団体から寄付を募りました。努力の甲斐あり碑の建立に必要な資金が集まりました。2010(平成22)年12月、多くの関係者を集めて除幕式が開催されました。実現に向け大奮闘した町田理事も、今回の解説をしながら感慨深そうでした。

続いて順序は逆になりますが、住吉町の17号線の交差点脇にある「日本最初の機械製糸場跡の碑」を町田理事の解説で見学。

次は徒歩で4分ほどの「旧安田銀行担保倉庫」です。管理している前橋商品市場の村上さんに開けていただき建物内に入ります。大きな煉瓦倉庫の中はひんやりしていてホッとします。

村田先生の解説で1・2階を見学します。この建物は群馬商業銀行付属前橋倉庫として1913(大正2)年、建造されました。煉瓦造2階建、小屋組は木造のキングポスト・トラスです。

村田先生の解説があると、普段はぼんやりと見過ごしてしまう細かな造作にも見所がたくさんあることに気づかされます。

倉庫から南に400m下ると広瀬川です。悠々と流れる水が堰の所で白く泡立ちながら落ちています。「交水堰」です。かつて前橋には多くの製糸場がありましたが、規模の大きさがずば抜けていたのが交水社でした。交水堰の名は交水社が必要な水を取り入れていたことに由来するようです。

中嶋副会長から沢山の資料が配付され、前橋の製糸業の歴史や製糸場のあった場所等について解説がありました。交水堰の下流に交水社の工女さん達が回り道をしないで街へ出かけられるように架けられた橋「絹の橋」があります。

名前は後世、改修時に付けられたもので、いかにもロマンチックなイメージの橋です。

ここから広瀬川を400mほど遡った17号線の厩橋脇にある「前橋残影の碑」に行き、町田理事の解説を聴きます。前橋発展の礎となった生糸の町を象徴した碑です。

前橋テルサ付近の店で和やかに昼食を摂りました。参加者同士の交流も図られたようです。

昼食後、中嶋副会長の解説で「前橋生糸改所跡の碑」を見学。1861(文久元)年、輸出生糸の粗悪品排除のため、前橋に生糸改所が設立されました。現在は「前橋プラザ元気21」となっています。

50号線を南に渡ってすぐの所に「旧勝山社煉瓦蔵」があります。前橋出身の生糸商、勝山宗三郎の勝山社によって1903(明治36)年に生糸等の保管用に建てられたものです。現在は飲食店として活用されています。建物の脇での町田理事の解説に続き、店長のご好意で2階の内部まで見学できました。この建物の解説もしてくださった村田先生が所用のため、帰られました。

続いて下村善太郎の墓所、龍海院に向かいます。善太郎は生糸商として成功し、前橋への県庁誘致で先頭に立ち、前橋の発展に私財の投入を惜しまなかった人です。前橋市初代市長でもあります。墓域の広い敷地内に眠っています。中嶋副会長から善太郎の業績等の解説がありました。龍海院は前橋藩主であった酒井氏の初代から15代までの歴代墓地がある名刹です。

  

次に県庁のすぐ南にある清光寺を訪ねました。1879(明治12)年に吉田松陰の妹で楫取素彦の最初の妻となった寿によって本願寺説教所として創立されたのが始まりです。かつては旧前橋城内だった所です。

本堂に通され、ご住職から寿、楫取素彦に関する詳しいお話を伺いました。奥様、ご子息からもお茶の接待を受け、一日歩いてきた参加者もホッとできました。近藤会長が現役時代に仕事上のご縁があったそうで、暫くぶりの再会をお互いに喜ばれていました。

清光寺を辞し、前橋市役所の北、県庁通りに面して立っている下村善太郎の銅像を見学しました。現在の銅像は、1983(昭和58)年、赤城国体を機に再建されたものです。

 最後の見学地は、前橋公園内にある高さ約3㍍の「前群馬県令楫取素彦君功徳の碑」です。下村善太郎ほか市内の有力者が発起人となり、1892(明治25)年に完成しました。養蚕振興、教育の普及等に尽力した楫取の功績が刻まれています。書は金井之恭です。碑は最初に建立された所から、この場所に落ち着くまでに2度移設されています。

 4時半頃公園内の集合場所に戻り、簡単な挨拶の後解散しました。少し暑くなってきた陽気の中を徒歩で約5km、13か所の研修でした。

疲れはあったものの講師陣の素晴らしい解説で沢山の収穫があり、満足そうな参加者でした。

最後に、特別講師の村田先生、前橋商品市場の村上さん、清光寺の住職ご夫妻に感謝いたします。

講師の近藤会長(各見学場所で補足説明)、中嶋副会長、町田睦理事にはお疲れ様でした。

 

        (Y.I記)

 

 

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