2014年4月27日
今日から、本格的に旅をスタート!!
2日間のバカンスと仕事を終えて、旅モード全開。
乗合タクシーに乗り、大きなバスセンターへ。
どこ行けばいいのか分からないが、とりあえず耳のつぶれた職員に
「ジェルセレーム?」と聞いてみる。
そして、耳を指さし「JUDO PLAYER?」と聞くと、「YES」とのこと。
私の耳も見せると喜んでくれて、丁寧に行先を教えてくれる。
高校時代に柔道の稽古で先輩につぶされた耳がイスラエルで初めて役に立ちました!!
発車寸前のエルサレム行きに飛び乗った。
ほぼ兵士で満席状態の中、一席だけ空いていた。
体格の良さと軍服の違いから、上官なのだろう。縦社会の世界では、基本的に怖い上の人には近寄りたくない。どこの国も同じなのだろう。
バスを降り、トラムという路面電車に乗りたい。
異国の地では乗り物に乗るのも一苦労だ。
切符を自動販売機で買うために前の人のボタン操作を真似ようとも覚えられず、結局周りの親切な人が押してくれて買うことができた。
ヨーロッパのような街並みの新市街から、
旧市街へ。
銀座と京都が隣り合っているような感じだ。
城壁の中に入ると一気に雰囲気が変わる。地球の歩き方を頼りに、
地域最安値のドミトリーがある宿を探す。
12人部屋1泊2000円弱。+1日150円で貴重品ロッカーを付けた。
海外版引きこもってしまった方達に、簡単に挨拶を済ませると、早速迷路探検だ。
このエルサレム旧市街は周囲4kmくらいの城壁
に囲まれ、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地が混在している不思議な場所だ。
なぜ、そうなったのは、私に聞かないでほしい。(笑)高校時代、世界史の授業というか、
全ての授業に置いて、寝てしまっていた。授業料が無料だったので、遠慮していたということにしておこう。
今になって勉強しなかったことを後悔しているが、もしたくさん勉強していたらこんな人生を歩んでなかったとも思うので、これでよかったのしれない。
ダビデの塔
キリスト最後の場所聖墳墓教会
30分くらいのんびり登った丘の上にあるキリストが昇天したと言われる昇天教会
皆が何か儀式なようなことをしている。
何だかわからないが、何となく一緒に裸足になって、瞑想して交じってみる。
なんだか、私も昇天したくなってきた。
とゴールドマンに変身して、
昇天!!
意識が空高く舞い上がっていった!!
暑く乾いた気候の中を歩き回る。
夕方宿に戻って、日本から持ってきた
「そうだったのか!現代史」池上彰
さんで復習と予習をした。
本の中を読み込み、今、自分がいるこの場所で、
侵略と戦争と和平、解決しない難しい問題が現在も続いている。
様々な民族紛争によるテロ事件など日本にいるとほとんど考えることもないし、たまにテレビで目にしても遠い国の話だ。
それが、今は現実として「ここ」にいる。
不思議な感じがする。
いつの間にか寝てしまっていた。
起きて、フロント前のリビングでボーっとしていると、何やら騒々しい人々が宿に入ってきてチェックインをしている。
筋骨隆々の体育会系黒人集団、どこかのラグビーナショナルチームなのだろうか、私は質問してみた。
返ってきた答えは、「UNソルジャー from フィジー」。
風が吹き始めた。
初対面にも関わらず、会って10分くらいで意気投合し、一緒に食事に出掛け色々と会話する。
イスラエルとシリアが戦争を起こさないように、国境付近でチェックしていることなど先ほど本で読んでいた世界が今この前にやってきた。
私はそれからの2日間この国連フィジー兵士達と行動を共にした。
彼らの人に対する接し方は、抜群に素晴らしく、学びの多いものであった。
例えば、イスラエル兵士は人々に対して威圧的で上から目線の対応をする。民族間でも、そのような風潮があった。
そんな中で彼らは、アラブ人にもユダヤ人にもその他の国の人々にも、
上でもなく、下でもなく、
それ以上でも、それ以下でもなく、
公平・公正に接する。
相手を尊重しつつ、フレンドリーなのだ。
その結果、相手が心を開いて笑顔になる。そんな場面を共に行動させてもらった2日間で数々見た。
そして、SOSO隊長の任務の話からオーストリア、エジプト、イラク、ティモール、ニュージーランドなどの話を聴いた。
時には命掛けのミッションもあったそうだ。
「平和のために、大きな国が小さな国にお金を与えるのをやめるといい。大国がお金をあげて、代わりに戦争やテロをさせている。」
フィジーは裕福な国ではない。国連に加盟して、お金を出せない代わりにこのように兵士を出している。
その現場で働く隊長の言葉一つ一つが重く私の胸に突き刺さる。
「北部のアラブ人(パレスチナ人)は、ユダヤ人を嫌っていないんだよ。だけど、ユダヤ人がアラブ人を嫌っているんだよね。」
なぜなのか?
私の英語力では分からないし、そう簡単に答えの出る問題でもない。
一緒にお酒を新市街まで30分かけて買いに行く中で聞いた話は貴重だった。
「さあ、yama飲もう!!休む時は、リラックス!!それが、フィジー流だ」と、
皆それぞれが酒をどこからか調達してきて、宿のフロント前の宴が始まった。
今日から、本格的に旅をスタート!!
2日間のバカンスと仕事を終えて、旅モード全開。
乗合タクシーに乗り、大きなバスセンターへ。
どこ行けばいいのか分からないが、とりあえず耳のつぶれた職員に
「ジェルセレーム?」と聞いてみる。
そして、耳を指さし「JUDO PLAYER?」と聞くと、「YES」とのこと。
私の耳も見せると喜んでくれて、丁寧に行先を教えてくれる。
高校時代に柔道の稽古で先輩につぶされた耳がイスラエルで初めて役に立ちました!!
発車寸前のエルサレム行きに飛び乗った。
ほぼ兵士で満席状態の中、一席だけ空いていた。
体格の良さと軍服の違いから、上官なのだろう。縦社会の世界では、基本的に怖い上の人には近寄りたくない。どこの国も同じなのだろう。
バスを降り、トラムという路面電車に乗りたい。
異国の地では乗り物に乗るのも一苦労だ。
切符を自動販売機で買うために前の人のボタン操作を真似ようとも覚えられず、結局周りの親切な人が押してくれて買うことができた。
ヨーロッパのような街並みの新市街から、
旧市街へ。
銀座と京都が隣り合っているような感じだ。
城壁の中に入ると一気に雰囲気が変わる。地球の歩き方を頼りに、
地域最安値のドミトリーがある宿を探す。
12人部屋1泊2000円弱。+1日150円で貴重品ロッカーを付けた。
海外版引きこもってしまった方達に、簡単に挨拶を済ませると、早速迷路探検だ。
このエルサレム旧市街は周囲4kmくらいの城壁
に囲まれ、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地が混在している不思議な場所だ。
なぜ、そうなったのは、私に聞かないでほしい。(笑)高校時代、世界史の授業というか、
全ての授業に置いて、寝てしまっていた。授業料が無料だったので、遠慮していたということにしておこう。
今になって勉強しなかったことを後悔しているが、もしたくさん勉強していたらこんな人生を歩んでなかったとも思うので、これでよかったのしれない。
ダビデの塔
キリスト最後の場所聖墳墓教会
30分くらいのんびり登った丘の上にあるキリストが昇天したと言われる昇天教会
皆が何か儀式なようなことをしている。
何だかわからないが、何となく一緒に裸足になって、瞑想して交じってみる。
なんだか、私も昇天したくなってきた。
とゴールドマンに変身して、
昇天!!
意識が空高く舞い上がっていった!!
暑く乾いた気候の中を歩き回る。
夕方宿に戻って、日本から持ってきた
「そうだったのか!現代史」池上彰
さんで復習と予習をした。
本の中を読み込み、今、自分がいるこの場所で、
侵略と戦争と和平、解決しない難しい問題が現在も続いている。
様々な民族紛争によるテロ事件など日本にいるとほとんど考えることもないし、たまにテレビで目にしても遠い国の話だ。
それが、今は現実として「ここ」にいる。
不思議な感じがする。
いつの間にか寝てしまっていた。
起きて、フロント前のリビングでボーっとしていると、何やら騒々しい人々が宿に入ってきてチェックインをしている。
筋骨隆々の体育会系黒人集団、どこかのラグビーナショナルチームなのだろうか、私は質問してみた。
返ってきた答えは、「UNソルジャー from フィジー」。
風が吹き始めた。
初対面にも関わらず、会って10分くらいで意気投合し、一緒に食事に出掛け色々と会話する。
イスラエルとシリアが戦争を起こさないように、国境付近でチェックしていることなど先ほど本で読んでいた世界が今この前にやってきた。
私はそれからの2日間この国連フィジー兵士達と行動を共にした。
彼らの人に対する接し方は、抜群に素晴らしく、学びの多いものであった。
例えば、イスラエル兵士は人々に対して威圧的で上から目線の対応をする。民族間でも、そのような風潮があった。
そんな中で彼らは、アラブ人にもユダヤ人にもその他の国の人々にも、
上でもなく、下でもなく、
それ以上でも、それ以下でもなく、
公平・公正に接する。
相手を尊重しつつ、フレンドリーなのだ。
その結果、相手が心を開いて笑顔になる。そんな場面を共に行動させてもらった2日間で数々見た。
そして、SOSO隊長の任務の話からオーストリア、エジプト、イラク、ティモール、ニュージーランドなどの話を聴いた。
時には命掛けのミッションもあったそうだ。
「平和のために、大きな国が小さな国にお金を与えるのをやめるといい。大国がお金をあげて、代わりに戦争やテロをさせている。」
フィジーは裕福な国ではない。国連に加盟して、お金を出せない代わりにこのように兵士を出している。
その現場で働く隊長の言葉一つ一つが重く私の胸に突き刺さる。
「北部のアラブ人(パレスチナ人)は、ユダヤ人を嫌っていないんだよ。だけど、ユダヤ人がアラブ人を嫌っているんだよね。」
なぜなのか?
私の英語力では分からないし、そう簡単に答えの出る問題でもない。
一緒にお酒を新市街まで30分かけて買いに行く中で聞いた話は貴重だった。
「さあ、yama飲もう!!休む時は、リラックス!!それが、フィジー流だ」と、
皆それぞれが酒をどこからか調達してきて、宿のフロント前の宴が始まった。