もう7~8年前になりますが、中学校の先生(以下、小崎先生)より、「柔道着を集めたので、寄付させてください」と連絡をいただきました。
小崎先生は同じ高校の柔道部という共通項はありましたが、6歳ほど離れていたため(私より若い)、ほとんど関わり等はなかったにも関わらず、私の活動を知り興味を持ってくれていました。
視野が広く柔軟な思考の小崎先生は、生徒たちに未来への可能性を持って育ってほしいという想いを持たれていました。
「今の時代を生きる生徒たちには、今から広い視野を持って生きてほしいと思っています。教師だけではそれはできません。先輩の貴重な経験談をお願いします。」
と訪問した際には柔道を通した海外の人との交流のお話等を生徒にさせていただきました。
その後、小崎先生率いる中学校は県内屈指の柔道強豪校になり、県大会も優勝して、すごいなーと遠くから見ていました。
そんな名監督になった小崎先生も公立中学校の先生。
一定の年数が経つと人事異動があり、新たな中学校へ行かなければなりません。
赴任した中学校は、なんと私の母校。
柔道部はありましたが、地区大会に出れば1回戦負けの弱小柔道部で、部員も少なくいつ廃部になってもおかしくないという状況でした。
ここから小崎先生の大変革が始まりました。
柔道の楽しさ、仲間との絆、前向きに生きる姿勢を生徒たちの目線に立って教えて、そこから少しずつ強くなる喜びと人間性向上の大切さを伝えていきました。
そして、赴任からわずか2年4ヶ月で地区大会を勝ち抜き、県大会も勝ち続け、なんと県大会3位となり、27年ぶりに関東大会にも出場されました。
しかも団体戦メンバー5人のほとんどが中学校から柔道をスタートした生徒ばかり。
環境等の言い訳はせずに、今できることは何なのか?
限られた中でやれることを最大限にやった結果、
生徒たちも「やればできる」ということを体感し、自信をつけて、みんな泣いて喜んだそうです。
置かれた場所で咲く小崎先生。
人を育て、人を伸ばすという事を私も学ばせてもらっています!
PS 偶然にも甥っ子が中学生になってから柔道を始め、小崎先生のもとで学んでいます。
そんな御縁も重なり、私も栃木の実家に帰省するたびに時間があれば中学校に出向いて稽古をさせていただきましたが、どんどん部員が増えていき、生徒たちの目が活き活きしていくのがとても印象的でした。
最後の余談ですが、27年(前)の関東大会出場は、ちょうど私が中学2年生で、なんと出場していました。あの時は2人の強い先輩とほかはヤンキーの先輩が多く、「お前が負けたら終わりなんだから、絶対負けんなよ!!」といつもプレッシャーをかけられながら試合をしていた青春時代を思い出しました。今も昔も修行三昧のようです笑