ある日私も

2024-09-18 16:14:00 | 天地真理
天地 真理 


いつも見る 青空なのに
なぜか違うの どこか違うの
恋のはじまりを感じる 今
四つ葉のクローバ さがす野原で
太陽のように あなたがまぶしいの私
きっと恋をすると すべてかがやくのね
ある日突然に 私も 私も

きのうきた 砂浜なのに
なぜか違うの どこか違うの
恋の歓びにときめく 今
けんかの真似をして 春の渚を
裸足のままで あなたを追いかける私
きっと恋をすると 甘えたくなるのね
ある日突然に 私も 私も

四つ葉のクローバ さがす野原で
太陽のように あなたがまぶしいの私
きっと恋をすると すべてかがやくのね
ある日突然に 私も 私も





1972年6月1日発売されたアルバム「ちいさな恋/ひとりじゃないの」に収録されていた曲です。

作詞:わだじゅんこ  作曲:浜口庫之助。

天地真理さん、亡き妻(ふうちゃん)が大好きだった歌手です。

とは言っても、好きなのは彼女や彼女の曲ではなく、ただ単に「真似がしやすい」歌手だったと言うだけのこと。(笑)

よく、真似して歌っていたのは、この曲ではなく「恋する夏の灯」。

 ♫ あなたを待つの テニスコート、木立ちの中のこる 白い朝もや・・・

他界してから20年以上経ちますが、今でも歌声が聴こえてきます。






















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下町の青い空

2024-09-18 05:06:56 | マスターおすすめ曲
森昌子 



下町の青い空 空を写して
川が行く 川が行く
ランランラン…
悩みに胸がくもる時
明るい声で子守唄
うたってくれる 母さんの
ああ 母さんの 川が行く

下町の格子窓 窓に小さな
花が咲く 花が咲く
ランランラン…
祭りの笛がひびく頃
袂に抱いた夢ひとつ
わかってくれる 友だちの
ああ 友だちの 花が咲く

下町の細い露地 露地に笑顔の
灯がともる 灯がともる
ランランラン…
暮しの風がしみるとき
明日があると温かく
ささえてくれる 恋人の
ああ 恋人の 灯がともる





この歌(曲)を聞いていると、そこに時代の安定性のようなものを感じます。

歌の中に時代を映す影がありません。

時代に不安定さがなく、人々が安心しきってその中で生きている、そんな感じでしょうか。

しかし、実際は高度成長が続いていた日本、石油危機に襲われ、戦後初のマイナス成長に陥った年でした。 

だからこそ、こういった歌に希望を乗せたのかも知れません。。

ああ 今の時代の不安定さも当時並み?。(苦笑)











































































































































































































 


































































































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恋人達の神話

2024-09-18 04:45:24 | マスターおすすめ曲
テレサ・テン


子供たちがベッドで 夢の箱舟に乗るころ
時は悲しみだけを 脱ぎすてて
明日に 着換えるけど
もしも生まれ変わって ちがう人生があるなら
青い空を自由に泳いでる
鳥になってみるけど
愛されて傷ついて
死にたくなるほど 泣きぬれても
この世に私を授けてくれただけで
涙を連れ添う そんな生き方もある

硝子窓に夜明けの やわらかな陽ざしが差せば
時は小さな未来 用意して
今日に 目覚めるけど
めぐり逢って別れる それが人の宿命ならば
花のように綺麗な時だけを
過去に残す それだけ
愛されて傷ついて
死にたくなるほど 泣きぬれても
心と身体は切り離せないけれど
昨日を見捨てる そんな生き方もある

この世に私を授けてくれただけで
涙を連れ添う そんな生き方もある




ラフカディオ・ハーンは、その作品「怪談」の中で、「なぞらえる」ということについて語っていますが、この言葉は適当な英訳はないそうです。

つまり、それに見合った考え方そのものが欧米の宗教や思想がないということかもしれません。

例えば、敬虔な宗教心の持ち主であるなら、誰だって仏像のひとつでも奉納したいと思うものですが、資力がないものにはそれができない。

その場合には仏像の代わりに、姿のいい石を飾って、それに香華を手向けることによって、仏像を造ったと同じように仏に心を通じることが可能だといいます。

また、憎しみの対象になる人物がいたとしますと、その男(または女)に直接、憎悪をぶつけることが不可能な場合、その憎むべき相手の代わりに藁人形を作り、

丑三つ時に五寸くぎを打ち付ければ、その憎悪の気持ちが通じて、相手を苦しめることができるともいいます。

・・・怖いですねぇ~(笑)

この「・・・の代わりに・・・」という考え方が、「なぞらえる」なのかも。

人間の心の中にある宇宙は、他人と共有できるものとできないものががあります。

生まれたばかりの赤ちゃんの心は、おそらく無垢で垣根も壁もなく、誰とでも交流できる自由な宇宙のはずですよね。

それが成長するにつれて、人は心に垣根を巡らせ壁を作り、自ら宇宙を狭くする・・・とくに、日本人は。(笑)

心の宇宙の広がりの豊かさ、それは他人の心を思いやる優しさに通じます。

あのひとがいま、何を考え、何を欲しているのか推し量る優しさ。

石の仏でもなく、藁の人形でもなく、何も見えない、何もない空間に、その空間に存在するであろう人の心情に自分の心を「なぞらえる」、大切なことです。





























































































































































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