美空ひばり
島倉千代子
三橋美智也
花摘む野辺に日は落ちて
みんなで肩を組みながら
唄をうたった帰りみち
幼馴染(おさななじみ)のあの友この友
ああ誰(たれ)か故郷を想わざる
ひとりの姉が嫁ぐ夜に
小川の岸でさみしさに
泣いた涙のなつかしさ
幼馴染のあの山この川
ああ誰か故郷を想わざる
都に雨の降る夜は
涙に胸もしめりがち
遠く呼ぶのは誰の声
幼馴染のあの夢この夢
ああ誰か故郷を想わざる
この曲、「誰か故郷を想わざる」ですが、昭和15年(1940年)発売の戦時歌謡曲で、旧仮名遣いでは「誰か故郷を想はざる」と書きます。
読み方も、「たれかこきょうをおもわざる」で、「だれか・・・」ではありません。
作詞:西條八十、作曲:古賀政男、歌:霧島昇で、1940年1月20日、日本コロムビアから発売されました。
タイトルは「故郷を想わない人はいない」という意味の反語ですが、当初、こういった点が難解すぎてヒットしないと判断され、慰問用レコードとしてすべて戦地に送られたといいます。
ところが戦地で望郷の想いやみがたい兵士の間で大ヒットし、慰問に訪れた渡辺はま子がこの歌を歌うと、居合わせた畑俊六大将から末端の兵士まで等しく泣き,渡辺も思わずもらい泣き、満場涙に暮れたというエピソードもあるそうです。
古賀政男さんは、明治37年(1904)11月18日、福岡県三潴郡田口村(現在の大川市)に生まれましたが、大正元年(1912)8月、政男7歳のとき、母、姉、弟とともに、仁川に住む長兄を頼って朝鮮へ渡り、明治大学予科に入学するまで、その地で過ごしています。
あるとき、そのころの思い出を西條八十に話したところ、彼がそれを詞にし、それがこの歌だと伝えられています。
島倉千代子
三橋美智也
花摘む野辺に日は落ちて
みんなで肩を組みながら
唄をうたった帰りみち
幼馴染(おさななじみ)のあの友この友
ああ誰(たれ)か故郷を想わざる
ひとりの姉が嫁ぐ夜に
小川の岸でさみしさに
泣いた涙のなつかしさ
幼馴染のあの山この川
ああ誰か故郷を想わざる
都に雨の降る夜は
涙に胸もしめりがち
遠く呼ぶのは誰の声
幼馴染のあの夢この夢
ああ誰か故郷を想わざる
この曲、「誰か故郷を想わざる」ですが、昭和15年(1940年)発売の戦時歌謡曲で、旧仮名遣いでは「誰か故郷を想はざる」と書きます。
読み方も、「たれかこきょうをおもわざる」で、「だれか・・・」ではありません。
作詞:西條八十、作曲:古賀政男、歌:霧島昇で、1940年1月20日、日本コロムビアから発売されました。
タイトルは「故郷を想わない人はいない」という意味の反語ですが、当初、こういった点が難解すぎてヒットしないと判断され、慰問用レコードとしてすべて戦地に送られたといいます。
ところが戦地で望郷の想いやみがたい兵士の間で大ヒットし、慰問に訪れた渡辺はま子がこの歌を歌うと、居合わせた畑俊六大将から末端の兵士まで等しく泣き,渡辺も思わずもらい泣き、満場涙に暮れたというエピソードもあるそうです。
古賀政男さんは、明治37年(1904)11月18日、福岡県三潴郡田口村(現在の大川市)に生まれましたが、大正元年(1912)8月、政男7歳のとき、母、姉、弟とともに、仁川に住む長兄を頼って朝鮮へ渡り、明治大学予科に入学するまで、その地で過ごしています。
あるとき、そのころの思い出を西條八十に話したところ、彼がそれを詞にし、それがこの歌だと伝えられています。