酔いどれ女の流れ歌

2024-11-26 07:40:49 | Jポップス
八代亜紀


緑川アコ   


桂銀淑


酔いどれ女が 今夜もひとり
酒場でグラスを 抱いている
まつげを濡らして 惚れた男に
生命を預けて
流れ流れた夜の川 男はもういない
酔いどれ女が ルージュをかめば
さすらい暮しの 流れ舟

まぶたを下るよ 消えた男にゃ 未練はないが
冷たいグラスにふるさとが 切なく揺れるのさ
酔いどれ女の 行き着く先は
知っちゃいないさ 夜鳴鳥
ねぐらもないのに 雨に濡れながら 口ずさむ唄は
酔いどれ女の流れ唄 巷の風の唄
酔いどれ女の流れ唄 巷の風の唄






「酔いどれ女の流れ唄」がヒットしたことは、ある意味で不幸だった。

ジャズやカントリー、フォークソングばかり聴いていた僕には、演歌という項目はなかった。
 
「酔いどれ--」のヒット後、演歌や歌謡曲の注文ばかりが来た。

僕はうまく対応できず、作詞・作曲家としての人気は、急速に冷えた。
 
しかし、時代はエレキブームからフォークブーム、そしてシンガーソングライターの時代へと移行していた。

自分の言葉で自分の生き方を歌う時代になった。
 
ある日JR三鷹駅に降り立った。

北口のシデの木の下に「山林に自由存す」と書かれた国木田独歩の石碑があった。

学生時代読んだ「武蔵野」がなつかしかった。

僕は木々を仰ぎ見ながら「この町に住もう」と決めた。
 
わずかばかりの荷物を友人のトラックに積んで、バス通りのアパートに越して来た。

友人が「じゃもう帰るよ」と帰った夜、1LDKの部屋は海のように広く茫洋としていた。

僕は心細さに震えた。
 
この頃体調は最悪だった。

そのくせ飲み屋に入り浸っていた。

誰かが僕に連絡をとりたいと言えば、飲み屋の名刺を渡した。

一つ二つ恋らしきものもしたが、うまく行かなかった。

腹いせに憎まれ口を歌にした。

「ウイスキーの小瓶」である。
 
めずらしくこの歌に引き合いが来た。

日本フォノグラムのディレクターKさんが、僕のアパートに新人の俳優中村雅俊を連れて来た。

この有望新人は下駄を履いていた。

聞くと出身が宮城県石巻高校。

僕の築館高校とは兄弟校だった。

縁を感じた。
 
しかし「ウイスキーの小瓶」は雅俊さんの幻のデビュー曲になった。

彼は当時若く、他にふさわしい曲があるはずだ、と保留になったのである。

この宙に浮いた「ウイスキーの小瓶」が、僕に回って来た。

ディレクターは電話で僕に言った。

「らんぼうさん、一生の思い出にレコード一枚出さないかい?」と。

                            (みなみらんぼう 公式サイトより)






























































































































































 
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