三橋美智也
角力(すもう)名乗りをやくざに代えて
今じゃ抱寝(だきね)の一本刀
利根の川風まともに吹けば
人の情けを
人の情けを思い出す
忘れられよか 十年前を
胸にきざんだあのあねさんを
惚れたはれたと言うてはすまぬ
義理が負目(おいめ)の
義理が負目の旅合羽(たびがっぱ)
見せてあげたい男の夢も
いつか崩れた一本刀
悪い奴なら抑えて投げて
行くがおいらの
行くがおいらの土俵入り
今じゃ抱寝(だきね)の一本刀
利根の川風まともに吹けば
人の情けを
人の情けを思い出す
忘れられよか 十年前を
胸にきざんだあのあねさんを
惚れたはれたと言うてはすまぬ
義理が負目(おいめ)の
義理が負目の旅合羽(たびがっぱ)
見せてあげたい男の夢も
いつか崩れた一本刀
悪い奴なら抑えて投げて
行くがおいらの
行くがおいらの土俵入り
長谷川伸の同名の戯曲に基づいた歌で、昭和32年(1957)のヒット曲。
この戯曲は、歌舞伎や新派、新国劇として幾度となく上演され、さらに何度も映画化されていて、粗筋は次のとおり。
相撲取りの駒形茂兵衛は、才能がないと親方から見放されて帰郷する途中、水戸街道取手(とりで)の宿にやってきます。
この戯曲は、歌舞伎や新派、新国劇として幾度となく上演され、さらに何度も映画化されていて、粗筋は次のとおり。
相撲取りの駒形茂兵衛は、才能がないと親方から見放されて帰郷する途中、水戸街道取手(とりで)の宿にやってきます。
一文無しで、飢えて途方に暮れている茂兵衛を、宿屋の2階で見ていた酌婦お蔦は、事情を聞いて、櫛(くし)、簪(かんざし)、巾着(きんちゃく)を与え、
もう一度江戸に戻って修業するよう励まします。
10年後、望みを果たせず、やくざになっていた茂兵衛は、取手に戻り、お蔦を探しますが、なかなか見つかりません。
お蔦は、船印彫(だしぼり)師・辰三郎と夫婦になり、娘お君をもうけていました。辰三郎は、土地のやくざ・波一里儀十(なみいちりぎじゅう)一家と悶着を
10年後、望みを果たせず、やくざになっていた茂兵衛は、取手に戻り、お蔦を探しますが、なかなか見つかりません。
お蔦は、船印彫(だしぼり)師・辰三郎と夫婦になり、娘お君をもうけていました。辰三郎は、土地のやくざ・波一里儀十(なみいちりぎじゅう)一家と悶着を
起こしていました。
偶然のことからお蔦に出会った茂兵衛は、襲ってきた儀十一家のやくざたちを叩きのめし、3人を逃がします。その際、茂兵衛が言った名文句が、次の言葉です。
「お行きなさんせ。仲よく丈夫でおくらしなさんせ。ああ、お蔦さん、棒ッ切れを振り廻してする茂兵衛の、これが、10年前に櫛、簪、巾着ぐるみ、意見を
偶然のことからお蔦に出会った茂兵衛は、襲ってきた儀十一家のやくざたちを叩きのめし、3人を逃がします。その際、茂兵衛が言った名文句が、次の言葉です。
「お行きなさんせ。仲よく丈夫でおくらしなさんせ。ああ、お蔦さん、棒ッ切れを振り廻してする茂兵衛の、これが、10年前に櫛、簪、巾着ぐるみ、意見を
もらった姐さんに、せめて見てもらう駒形の、しがねえ姿の土俵入りでござんす」
「我が土俵人生に一片の悔いなし」」
“孤高の正々堂々”を貫いた横綱・稀勢の里が、土俵人生に幕を下ろしたのは2019年1月16日(1月場所4日目)でした。
19年ぶりに誕生した日本人横綱も約2年でまた不在、寂しく感じる相撲ファンは少なくなかったと思います。
若貴ブームに沸いた1990年代は、年間200人を超えた新人力士も近年は半分以下とか。
衰退一途だった相撲界に灯りを灯したのが今場所優勝した大の里。
「我が土俵人生に一片の悔いなし」」
“孤高の正々堂々”を貫いた横綱・稀勢の里が、土俵人生に幕を下ろしたのは2019年1月16日(1月場所4日目)でした。
19年ぶりに誕生した日本人横綱も約2年でまた不在、寂しく感じる相撲ファンは少なくなかったと思います。
若貴ブームに沸いた1990年代は、年間200人を超えた新人力士も近年は半分以下とか。
衰退一途だった相撲界に灯りを灯したのが今場所優勝した大の里。
是非、来場所も頑張って連続優勝して欲しい。