ダ・カーポ
月見の宿の贄川番所
野仏巡りの奈良井を過ぎて
二十歳の君が峠を超える
木曽路はすべて山の中・・・
「木曾路はすべて山の中である。
あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、
あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、
あるところは山の尾を巡る谷の入り口である。
一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。」
(島崎藤村『夜明け前』 冒頭)
あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、
あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、
あるところは山の尾を巡る谷の入り口である。
一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。」
(島崎藤村『夜明け前』 冒頭)
中山道のうち、長野県木曽地方を北から南へと抜ける、木曽路。
この街道は多くの旅人が歩いた五街道のひとつで、峠を越える一番の難所にあたる道でした。
しかし、天候に大きくは左右されず、美しい山道に自然を満喫する木曽路は、江戸時代、旅人憧れの「秘境浪漫の道」でもありました。
今も江戸時代そのままの宿場風情が残っています。
そして、この街道を歩いた人々には、女性も多くいたことがわかっています。
幕末に十四代将軍・徳川家茂へ嫁いだ、皇女和宮の降嫁の道も、この木曽路でした。
今も街道は、江戸時代の旅人の息づかいが感じられる場所かも知れません。
「木曾の恋歌」、・・・このタイトル通り、木曾の各地が歌われていて、親しみやすい曲ですよ。
この街道は多くの旅人が歩いた五街道のひとつで、峠を越える一番の難所にあたる道でした。
しかし、天候に大きくは左右されず、美しい山道に自然を満喫する木曽路は、江戸時代、旅人憧れの「秘境浪漫の道」でもありました。
今も江戸時代そのままの宿場風情が残っています。
そして、この街道を歩いた人々には、女性も多くいたことがわかっています。
幕末に十四代将軍・徳川家茂へ嫁いだ、皇女和宮の降嫁の道も、この木曽路でした。
今も街道は、江戸時代の旅人の息づかいが感じられる場所かも知れません。
「木曾の恋歌」、・・・このタイトル通り、木曾の各地が歌われていて、親しみやすい曲ですよ。