木曾の恋歌

2024-05-04 11:00:11 | フォーク&ニュー・ミュージック
ダ・カーポ


月見の宿の贄川番所
野仏巡りの奈良井を過ぎて
二十歳の君が峠を超える
木曽路はすべて山の中・・・





「木曾路はすべて山の中である。

あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、

あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、

あるところは山の尾を巡る谷の入り口である。

一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。」
                    
             (島崎藤村『夜明け前』 冒頭)



中山道のうち、長野県木曽地方を北から南へと抜ける、木曽路。

この街道は多くの旅人が歩いた五街道のひとつで、峠を越える一番の難所にあたる道でした。

しかし、天候に大きくは左右されず、美しい山道に自然を満喫する木曽路は、江戸時代、旅人憧れの「秘境浪漫の道」でもありました。

今も江戸時代そのままの宿場風情が残っています。

そして、この街道を歩いた人々には、女性も多くいたことがわかっています。

幕末に十四代将軍・徳川家茂へ嫁いだ、皇女和宮の降嫁の道も、この木曽路でした。

今も街道は、江戸時代の旅人の息づかいが感じられる場所かも知れません。

「木曾の恋歌」、・・・このタイトル通り、木曾の各地が歌われていて、親しみやすい曲ですよ。



















































































































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南部蝉しぐれ

2024-05-04 08:48:06 | Jポップス
市川由紀乃


南部 盛岡 雫石
思えば遠い ふるさとよ
夢がこぼれた 都会の谷間
呼んでみたって 山彦ばかり
弱音をはくな 強気になれよ
酒に聞いてる 蝉しぐれ

駄目なときには ふりだしに
戻ればわたし そこにいる
出世するのも 人生だけど
夢のまんまも いいものですと・・・
惚れてるんだよ 待ってておくれ
浮世小路の 五合酒

負けて泣くより 勝って泣け
時節は来ると 風がいう
あれをご覧よ 真っ赤な夕陽
落ちてゆくのに まだ燃えている
とがって生きろ 丸くはなるな
胸に聞こえる 蝉しぐれ




セミの一生は、幼虫7年+成虫7日=7年7日程度。

セミの幼虫の期間は、数年~7年くらい。、長い場合は10年以上も幼虫のまま土の中で過ごすこともあると言われています。 

しかし成虫になって地上で過ごす期間は、わずか1週間から数週間。 

蝉しぐれ・・・

蝉がいっせいに鳴き始め、まるで時雨が降ってきたように大音量で蝉の声が聞こえることをいう言葉です。

























































































































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牧場の朝

2024-05-04 03:56:54 | 童謡・唱歌
DA・CAPO


ただ一面に立ちこめた
牧場の朝の霧の海
ポプラ並木のうっすりと
黒い底から勇ましく
鐘が鳴る鳴る かんかんと
もう起き出した小舎小舎(こやごや)の
あたりに高い人の声
霧に包まれ あちこちに
動く羊の幾群(いくむれ)の
鈴が鳴る鳴る りんりんと
今さし昇る日の影に
夢からさめた森や山
あかい光に染められた
遠い野末に牧童の
笛が鳴る鳴る ぴいぴいと





「鐘が鳴る鳴る かんかんと」のフレーズが印象的な文部省唱歌「牧場の朝」(まきばのあさ)。

 モデルは、福島県須賀川市にある日本最初の国営牧場「岩瀬牧場」です。

「岩瀬牧場」は、明治天皇による1876年(明治9年)の第一回東北巡行がきっかけとなって整備が進められました。

まだ未開の地が広がっていた福島県の原野を御覧になられた明治天皇は、側近の者にこの地の開墾についてお述べになられ、後に伊藤博文内閣により宮内省直営の

開墾地所として開拓がスタートしたのです。

1907年(明治40年)には、オランダ王国レーワルデンの酪農家からホルスタイン種牛13頭を輸入、その際、日蘭友好の記念として岩瀬牧場に鐘(かね)が

贈られました。

「牧場の朝」の歌詞で「鐘が鳴る鳴る かんかんと」というフレーズがありますが、これはこの時にオランダから岩瀬牧場へ贈られた「友好の鐘」が

鳴り響く音だとされています。

 作曲は、東京音楽学校の教授・バリトン歌手の船橋栄吉(ふなはし えいきち/1889-1932)、作詞は、朝日新聞社の記者で「アサヒグラフ」創刊に携わった

杉村楚人冠(すぎむら・そじんかん/1872-1945)。





























































































































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