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柿の木坂の家

2023-03-02 21:12:08 | 懐かしのメロディー
柿の木坂の家 青木光一



柿の木坂の家 船村徹




春には柿の花が咲き
秋には柿の実が熟れる
柿の木坂は駅まで三里
思い出すなァ ふる里のョ
乗合バスの悲しい別れ

春には青いめじろ追い
秋には赤いとんぼとり
柿の木坂で遊んだ昔
懐しいなァ しみじみとョ
こころに返る 幼い夢が

春くりゃ偲ぶ馬の市
秋くりゃ恋し村祭り
柿の木坂のあの娘の家よ
逢ってみたいなァ 今もなおョ
機織りながら暮していてか




柿の木は広島県大竹市の石本美由起(作詞者)さんの家の木、坂道は広島県廿日市市から旧佐伯町への汐見坂、明石峠(津和野街道)をイメージされたものだそうです。

そういえば、明石峠からJR廿日市駅までは、ちょうど「駅まで三里(12km)」。




















































































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月の法善寺横町 

2023-03-01 04:54:29 | 懐かしのメロディー
月の法善寺横町 中村美律子 




藤島桓夫 月の法善寺横丁






包丁一本 晒(さらし)に巻いて
旅へ出るのも 板場の修業
待ってて こいさん 哀しいだろが
ああ 若い二人の
想い出にじむ 法善寺
月も未練な 十三夜

    (セリフ)
    こいさんが私(わて)を初めて法善寺へ連れて
    来てくれはったのは「藤よ志」に奉公に上っ
    た晩やった。「早う立派な板場はんになりい
    や」ゆうて、長い事水掛不動さんにお願いし
    てくれはりましたなァ。あの晩から私は、私
    は、こいさんが、好きになりました。

腕をみがいて 浪花に戻りゃ
晴れて添われる 仲ではないか
お願い こいさん 泣かずにおくれ
ああ いまの私(わて)には
親方はんに すまないが
味の暖簾(のれん)にゃ 刃が立たぬ

    (セリフ)
    死ぬ程苦しかった私らの恋も、親方はんは許
    してくれはった。あとはみっちり包丁の修業を
    積んで一人前の料理人になる事や。な、こい
    さん、待っててや…。ええな、こいさん。

意地と恋とを 包丁にかけて
両手あわせる 水掛不動
さいなら こいさん しばしの別れ
ああ 夫婦善哉(めおとぜんざい)
想い出横町 法善寺
名残りつきない 燈(ひ)がうるむ



若くして老舗の料理屋に入った若者が、そこの娘と恋仲になるが、親方に認められるにはもっと腕を磨かなくてはと、修業の旅に出るというストーリー。

大衆歌謡の歌詞は、多かれ少なかれ物語性を帯びているものですが、この歌は、そうした特徴がとくに色濃く感じられます。
 
法善寺横町は、大阪市のミナを代表する繁華街の1つで、道頓堀ととともに、多くの大阪演歌に登場しています。































































































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三味線ブギ

2023-02-26 16:10:49 | 懐かしのメロディー
三味線ブギ




三味線ブギーで
シャシャリツ シャンシャン
さあさ 踊ろよ ブギウギ 浮き浮き
浮いた浮いたよ
シャシャリツ シャンシャン
踊る阿呆に 踊らぬ阿呆だよ
同じ阿呆なら 踊らにゃ損だよ
さあさ 猫もしゃくしも ブギウギ
ハチョイト ブギウギ

三味線ブギーで
シャシャリツ シャンシャン
さあさ 踊ろよ ブギウギ 好き好き
ハロー・ベビー
シャシャリツ シャンシャン
飲んだ酒なら 酔わずにいらりょか
酔えばお前に 惚れずにいらりょか
さあさ 花も実もある ブギウギ
ハチョイト ブギウギ

三味線ブギーで
シャシャリツ シャンシャン
さあさ 踊ろよ ブギウギ 浮き浮き
派手に陽気に
シャシャリツ シャンシャン
踊りゃよくなる ますますよくなる
茄子もかぼちゃも 景気もよくなる
さあさ 粋も不粋も ブギウギ
ハチョイト ブギウギ

三味線ブギーで
シャシャリツ シャンシャン
さあさ 踊ろよ ブギウギ 好き好き
パッと踊って
シャシャリツ シャンシャン
花と名がつきゃ なんでも好きだよ
物を言う花 一番好きだよ
さあさ 鳥も蝶々も ブギウギ
ハチョイト ブギウギ



この曲、もとは芸者歌手市丸さんの歌です。


三味線ブギウギ  市丸



戦後、アメリカ文化の流入で日本調の歌手の活躍の場が失われてくると、市丸はさんは当時ビクターとも契約をしていた服部良一さんに「ブギウギを歌わせて欲しい」と作曲を依頼しました。

そして、昭和24年(1949年)、服部さんの手による『三味線ブギウギ』が発売されると、この曲のために名古屋西川流二世西川鯉三郎に振付を依頼、その手踊りを交えてステージで歌い、再度人気歌手としての脚光を浴びることに。


























































































































































































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花言葉の唄

2023-02-23 19:54:23 | 懐かしのメロディー
花言葉の唄



花言葉の歌(昭和11年)松平 晃・伏見信子




1(男)可愛いつぼみよ きれいな夢よ
    乙女心によく似た花よ
    咲けよ咲け咲け 朝露夜露
    咲いたらあげましょ あの人に

2(女)風に笑うて 小雨に泣いて
    なにを夢見る 朝花夜花
    色は七色 想いは十色
    咲いたらあげましょ あの人に

3(男)白い花なら 別れの涙
(女)赤い花なら うれしい心
(男)青い花なら 悲しい心
(男女)咲いたらあげましょ あの人に



昭和11年7月公開の新興キネマ作品『初恋日記』の主題歌だったこの曲、主演した松平晃と伏見信子がデュエットし、大ヒットとなりました。

歌謡曲っぽいフレーズが多少ありますが、小中学校の音楽教科書に掲載されていてもおかしくない、きれいなワルツです。


































































































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逢いたかったぜ

2023-02-22 18:56:26 | 懐かしのメロディー
逢いたかったぜ




逢いたかったぜ 三年ぶりに
逢えて嬉しや 呑もうじゃないか
昔なじみの 昔なじみの お前と俺さ
男同志で 酒くみ交す街の場末の
おぉ縄のれん・・・




四カ月ぶりに帰港した邦徳丸の船員花村千吉は、安藤という若者が港の古顔の政、虎、辰たちに危くヤキをいれられるところを救ってやった。

その花村がバー「ラバさん」の表戸をあげると、マダムの葉子、一人息子の秀夫、バーテン健一が明るく迎えた。

花村は葉子の姪で洋裁学校へ通っている初枝が好きなのだ。

そこへ先刻の安藤が来て、ぜひ弟分にしてくれというが、花村はヤクザは大きらいだと相手にしない。

悄然と帰って行く安藤の一本気に、初枝は心を惹かれたようだ。

やがて花村がバーを出ると入れちがいに政たちが来て、昼間の礼は必ずするから伝えろとすごむのだった。

翌日、また安藤につかまった花村はみなし児だと聞いて可哀想になり、港で職にありつけない安藤を自分の船で働けるように口をきいてやった。

邦徳丸が出航する日、政に呼び出された花村はボスの坂田に拳銃の引金を曳いた。

それから三年目の秋、刑務所を出た花村は迎えに来た健一に初枝のことを訊くが、なぜか健一は口ごもるのだった。

初枝と結婚していた安藤は、葉子から花村が初枝を愛していたときかされ、愕然とした。

初枝はすでに身ごもっていたのである。

安藤のアパートを訪ねた花村は初枝を見て一度は憤りを覚えたが二人の幸福を祈ってすべてを諦めた。

同じ頃、花村の出所を知った政たちは報復のため、呼び出しの電話をかけて来た。

電話口に出た安藤は花村の身代りに公園へ向うが、「ラバさん」でそれを知った花村は安藤を追い、葉子が警察に連絡した。

政たちの逃げたあと、花村は詫びる安藤の肩を叩いて「バカな真似はよせ、もうすぐ親父じゃないか、逢いたかったぜ、三年ぶりに」と明るく笑うのだった。

日活映画「逢いたかったぜ」



ところで、この曲、原曲はご存知、岡晴夫さん。


逢いたかったぜ(岡晴夫)



リーゼントスタイルの髪型と独特の明るいビブラートのかかった歌声は、昭和20年代を代表するスター歌手として、近江俊郎・田端義夫とともに「戦後三羽烏」と呼ばれていました。


































































































































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月光仮面は誰でしょう 近藤よし子

2023-02-22 14:52:26 | 懐かしのメロディー
月光仮面は誰でしょう 近藤よし子




1 どこの誰かは 知らないけれど
  誰もがみんな 知っている
  月光仮面の おじさんは
  正義の味方よ よい人よ
  疾風(はやて)のように 現れて
  疾風のように 去ってゆく
  月光仮面は 誰でしょう
  月光仮面は 誰でしょう

2 どこかで不幸に 泣く人あれば
  かならずともに やって来て
  真心(まごころ)こもる 愛の歌
  しっかりしろよと なぐさめる
  誰でも好きに なれる人
  夢をいだいた 月の人
  月光仮面は 誰でしょう
  月光仮面は 誰でしょう

3 どこで生まれて 育ってきたか
  誰もが知らない なぞの人
  電光石火(でんこうせっか)の 早わざで
  今日も走らす オートバイ
  この世の悪に かんぜんと
  戦いいどんで 去ってゆく
  月光仮面は 誰でしょう
  月光仮面は 誰でしょう




日本のヒーロー番組の元祖でもある「月光仮面は誰でしょう」。

時代劇と探偵活劇の要素を組み合わせた作風は、その後のヒーロー番組に多大な影響を与えています。

漫画化された後に実写映画化され、その後、1972年にテレビアニメ化、1981年に実写映画化、1999年にはキャラクターを転用したテレビギャグアニメ「ごぞんじ!月光仮面くん」も制作されました。

長年にわたって「日本初のフィルム収録によるテレビ映画」と言われていましたが、本作品以前の1957年に放送を開始していた『ぽんぽこ物語』のフィルムが2019年に発見され、現在はそちらが日本初とされているそうです。


























































































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赤いハンカチ 石原裕次郎

2023-02-22 04:11:00 | 懐かしのメロディー
赤いハンカチ 石原裕次郎




アカシアの 花の下で
あの娘(こ)がそっと 瞼を拭いた
赤いハンカチよ
怨みに濡れた 目がしらに
それでも涙は こぼれて落ちた

北国の 春も逝(ゆ)く日
俺たちだけが しょんぼり見てた
遠い浮雲よ
死ぬ気になれば ふたりとも
霞の彼方に 行かれたものを

アカシアの 花も散って
あの娘はどこか おもかげ匂う
赤いハンカチよ
背広の胸に この俺の
こころに遺(のこ)るよ 切ない影が



昭和37年(1962)のリリースです。

大ヒットしたので、日活が昭和39年に映画化、石原裕次郎主演で、共演者としては二谷英明、笹森礼子、浅丘ルリ子、芦田伸介、金子信雄など。













































































































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若いお巡りさん

2023-02-21 01:04:26 | 懐かしのメロディー
若いお巡りさん




もしもしベンチでささやく お二人さん
早くお帰り 夜が更ける
野暮な説教 するんじゃないが
ここらは近頃 物騒だ
話しのつづきは 明日にしたら
そろそろ広場の灯も消える・・・




1956年のヒット曲「若いお巡りさん」で知られる現役最高齢歌手の曽根史朗(92)が昨年でしたか、東京・かつしかシンフォニーヒルズで行われた日本歌手協会創立60周年記念「歌の祭典2022」に出演していました。

曽根さんにとって、唯一無二の大ヒット曲だったこの歌、マスターが小学生の頃の歌だったと思います。































































































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小林旭 - アキラのズンドコ節

2022-12-20 13:42:31 | 懐かしのメロディー
小林旭 - アキラのズンドコ節




街のみんながふりかえる
青い夜風もふりかえる
君と僕とを ふりかえる
そんな気がする 恋の夜
散歩しようか 踊ろうか
一緒に言いましょ アイ・ラヴ・ユー
グッド・ナイトと 二人に
ウインクしている 街あかり

グラスならべてもういちど
君の笑顔をもういちど
僕におくれよ もういちど
とてもいのちが 燃える夜
一年前には 知らなんだ
半年前にも 知らなんだ
若い二人が いつの間に
 こんなになるとは 知らなんだ・・・




岸田首相が表明した「防衛費43兆円」

岸田首相が過日表明した「防衛費43兆円」。

この金額は現状の1・5倍に当たる訳ですが、どんな意味があるのでしょうね。

北朝鮮に1発ミサイルを打ったら、数分で数100発のミサイルを打ち返されて日本は壊滅、それが現状です。

軍事的には、今や日本はアメリカの防波堤。

防衛費はアメリカ政府への貢ぎ物。

一年前には 知らなんだ

半年前にも 知らなんだ

ズン、ズン、ズン、ズンドコ・・・(日本政府)(笑)








































































































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おけさ人生

2022-12-08 21:52:27 | 懐かしのメロディー
おけさ人生




島の面積は約855平方キロメートル、海岸線は約280キロメートルあり、日本では東京23区や淡路島、海外ではグアム島やプーケット島の約1.5倍の大きさがある、日本海側最大の島、それが佐渡。

佐渡の産業は、農業では米作りが中心で、柿などの果樹栽培も盛んです。

観光資源は、トキ・金銀山・佐渡おけさ・鬼太鼓・能など。

佐渡の気候は海洋性で、四季の変化に富んでいます。

夏は高温多湿で、冬は雪国のイメージがある新潟県から、寒い印象を持たれますが、佐渡沖を流れる対馬暖流の影響を受けるため、積雪は本土よりも少ない状況だとか。

現在、新潟市に住んでるマスター、佐渡には行ったことがありません。

っと言うより、ずっと、新潟市に居住していても佐渡に行ったことがない人多いんですが、不思議ですよね。(笑)

多分、佐渡は罪人が送られた島、そんなイメージが未だ残っているのかも。

まぁ、マスターは、佐渡は道路が悪く交通が不便、など、これまた昔のイメージが未だ。(笑)





























































































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お吉物語

2022-12-05 04:11:19 | 懐かしのメロディー
お吉物語




泣いて昔が 返るなら
なんで愚痴など言うものか
花のいのちは 一度だけ
よしておくれよ気休めは

なにもかもお仕舞いなんだ
でもさ わたしにゃ 判ったのさ
どんなに男を憎んだって 女は女
女ひとりじゃ暮せないってことがさ
世の中を渡り歩いて
しみじみそう思ったんだよ
わたしだって女だものねぇ…

夢も見ました 恋もした
二世を誓った 人も居た
娘ごころの 紅つばき
どこで誰方が折ったやら

ハリスさんも死んだ鶴さんも死んだ
今度はわたしの番なんだ
今のわたしは穴のあいた三味線
みたいなものなんだ
どんなに繕ってみたって
もう昔の音なんか出やしない
…お酒だよお酒をおくれッー

辛い浮世の 路地うらで
毒と知りつつ 呑むお酒
下田港の お月様
明るすぎます お吉には





 「唐人お吉」との呼び名で知られる斎藤きち。
村松春水の『実話唐人お吉』を基に、十一谷義三郎が、昭和3年(1928)『唐人お吉』を発表、翌年『時の敗者唐人お吉』が東京朝日新聞に連載された後、「お吉」は戯曲、映画にもなり、下田の名とともに全国に知られるようになりました。
 きちは、天保12年(1841)、愛知県知多郡内海に船大工・市兵衛、母・きわの次女として生まれます。(幼少のころに下田に移り住む。)幼くして市兵衛を失ったきちは、下田に入港する船の船頭たちの洗濯女として生計を支えます。きちが16才のとき、下田において米国総領事として着任していたハリスが健康を害し、看護婦を要求したのに対して、日本側がこれを拒絶すると、条約談判が破談となる危機を迎えます。あわてた日本側は、ハリスのもとに「きち」を、オランダ人通訳ヒュースケンのもとには経師屋平吉の娘「ふく」を仕えさせることとしました。「きち」には支度金25両、年手当120両が報酬として、渡される約束となりました。(当時の大工の手間賃が1ヶ月で約2両程度だったといわれる。)
 しかし、きちは三夜で暇が出され、玉泉寺通いは終わります。その理由は、きちがハリスの世話をしている最中に、腫れ物ができていたために、自宅療養を仰せつかったとのことであるが、全快後も玉泉寺でハリスに仕える機会はなかったようです。
 解雇後のきちは、異人と交わったという偏見により、船頭たちの洗濯ができなくなり、暮らしに困り、下田領事館の閉鎖とともに、下田から姿を消します。
 明治元年(1868)、横浜で大工の鶴松と同棲しますが、明治4年(1871)には下田に戻り、女髪結いを営みます。しかし、周囲の偏見からか経営も思わしくなく、酒に溺れたこともあって三島へ。明治15年に再び下田に戻り、小料理屋「安直楼」を営みますが、酒に溺れる自暴自棄の生活から、破産に追い込まれ、晩年は物乞いをする生活だったようです。
 病気を患ったきちは、角栗の淵(かどくりのふち・現在のお吉が淵)に身を沈め、引き取り手のなかったきちの亡骸は宝福寺に葬られました。(享年50歳)
 物語の「唐人お吉」と実際のお吉との間には、少なからず差異がありますが、その哀しい生涯を供養するため、お吉の命日である3月27日には、お吉ヶ淵と墓所である宝福寺において、毎年供養祭「お吉祭り」が開催されています。(下田市)


マスターは「おばぁちゃんこ」だったせいか、おばぁちゃんが聞いていた天津羽衣さんの歌謡浪曲は、耳慣れていました。

そのせいでしょうか、この曲、今も好きな曲として残り続けています。

























































































































































































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武田節/三橋美智也

2022-07-02 02:55:08 | 懐かしのメロディー
武田節/三橋美智也




甲斐の山々 陽に映えて
われ出陣に うれいなし
おのおの馬は 飼いたるや
妻子(つまこ)につつが あらざるや
あらざるや

祖霊(それい)まします この山河
敵にふませて なるものか
人は石垣 人は城
情けは味方 仇は敵
仇は敵

(詩吟)
疾(と)きこと 風の如く
徐(しず)かなること 林の如し
侵掠(しんりゃく)すること 火の如く
動かざること 山の如し

躑躅ケ崎(つつじがさき)の 月さやか
うたげを尽くせ 明日よりは
おのおの京を めざしつつ
雲と興(おこ)れや 武田武士
武田武士




1961年に発表された、いわゆる新民謡。
 
山梨県では、地域の集まりなどでよく歌われ、実質的に県民歌の役割を担っているとか。

間奏部では、有名な風林火山の詩吟が唄われています。

疾如風(ときこと かぜのごとく)
徐如林(しずかなること はやしのごとく)
侵掠如火(しんりゃくすること ひのごとく)
不動如山(うごかざること やまのごとし)

いわゆる、風林火山。


































































































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愛ちゃんはお嫁に

2020-02-17 06:04:29 | 懐かしのメロディー
愛ちゃんはお嫁に ♪鈴木三重子



昭和31年(1956)5月、テイチクより発売された鈴木 三重子さんの曲。
 
「愛ちゃんは俺らに嘘ついた」とありますが、このあたりは微妙、はっきり心変わりされたという場合もありますが、好感を示したにすぎない言葉を、「好きだ」と受け取ったという場合もあります。

若いときほど、早とちりしがちですよね。(笑)













































































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喫茶店の片隅で 松島詩子

2020-01-13 09:14:04 | 懐かしのメロディー
喫茶店の片隅で 松島詩子



喫茶店、・・・最近はあまり見ることも入ることも少なくなりました。

マスターの青春時代には、名曲喫茶、和風喫茶、純喫茶などありましたが・・・

ある調査によりますと、平成8年から個人喫茶は半数減だとか。

ただ、チェーン店は減少してはいるもののほぼ横ばい、増えているのは家庭で飲む、だそうです。

我が家でも、コーヒー豆を買ってきて自分でいれています。

思い出すと、マスターが通った大学の学部近く、大隈講堂の斜め前に「茶房」と言う名の喫茶店があり、よく入ったものです。

片隅に座るのはカップル、中央は議論談義グループ。

マスターも一度だけ「片隅」に座り、こんな会話をしてことが・・・

「彼氏いる?」

「うん」

「学生?」

「うん」

「どこの?」

「東大」

「あ、そう」

話はそこから進むことなく、砂糖・ミルクたっぷり入れたものの、苦いコーヒーでした。(笑)






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田端義夫 古賀メロディーを唄う 《夕べ仄かに》

2020-01-13 00:51:43 | 懐かしのメロディー
田端義夫 古賀メロディーを唄う 《夕べ仄かに》



松島詩子さん、日本コロムビア・テイチクと渡り歩いてキングレコードへ。

そのキングレコードでの初ヒット曲がこの曲です。

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