goo blog サービス終了のお知らせ 

冬の夜

2023-11-06 00:33:52 | 童謡・唱歌
鮫島有美子


ボニージャックス


ともしび近く 衣(きぬ)縫う母は
春の遊びの楽しさ語る
居並ぶ子供は 指を折りつつ
日数かぞえて 喜び勇む
囲炉裏火(いろりび)はとろとろ
外は吹雪

囲炉裏のはたに 縄なう父は
過ぎしいくさの手柄を語る
居並ぶ子供は ねむさ忘れて
耳を傾け こぶしを握る
囲炉裏火はとろとろ
外は吹雪




明治45年(1912)発表の文部省唱歌。作詞者・作曲者は不明。
 
2番の「いくさ」は、日清戦争(1894~1895)か日露戦争(1904~1905)でしょう。

今の感覚では、子どもに戦場の血なまぐさい話を聞かせるのはどうかと思いますが、この時代には、昔話か講談でもするような感覚で話題にしたようです。
 
メロディからも歌詞からも、一家団欒のほかほかした暖かさが伝わってきますよね。

それが、今でもこの歌が好まれている理由かも知れません。















































































































  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

灯台守

2023-11-04 13:37:54 | 童謡・唱歌
ダ・カーポ


こおれる月かげ 空にさえて
ま冬のあら波 寄する小島(おじま)
思えよ灯台 守る人の
尊きやさしき 愛の心

はげしき雨風 北の海に
山なす荒波 たけりくるう
その夜も灯台 守る人の
尊きまことよ 海を照らす



この歌は 讃美歌21の265番"It came upon the Midnight Clear"が原曲とされています。

ただし、番号も歌詞も、讃美歌集によって少しずつ異なっています。
 
詞はアメリカ・マサチューセッツ州ウェイランドの牧師エドムンド・H・シアーズが1849年に作詞した5聯のキャロル(クリスマスや復活祭の祝歌)で、

それにリチャード・S・ウィリスが1850年に曲をつけ、全米で歌われるようになりました。











































































































 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

城ヶ島の雨

2023-11-04 04:38:00 | 童謡・唱歌
倍賞千恵子 


美空ひばり


藤山一郎


雨はふるふる 城ヶ島の磯に
利久鼠の 雨がふる

雨は真珠か 夜明けの霧か
それともわたしの 忍び泣き

舟はゆくゆく 通り矢のはなを
濡れて帆上げた ぬしの舟

ええ 舟は櫓でやる
櫓は歌でやる
歌は船頭さんの 心意気

雨はふるふる 日はうす曇る
舟はゆくゆく 帆がかすむ




作詞:北原白秋、作曲:梁田 貞

島村抱月主宰の劇団・芸術座の依頼を受けて、大正2年(1913)に作詞したもの。

当時、東京府立第一中学校(現・都立日比谷高校)の音楽教諭だった梁田貞(やなだ・ただし〈「てい」とも〉)が曲をつけ、同年10月30日に東京数寄屋橋の

有楽座で開かれた「芸術座音楽会」で、自ら独唱しました。

白秋の詩では、作曲された最初の作品でした。現在に至るまで、奥田良三ほか、多くのクラシック系歌手が歌っています。

梁田貞は札幌出身、早稲田大学に入学するも中退して音楽の勉強に励み、東京音楽学校(現・東京芸大音楽学部)に入学。

卒業後、府立一中のほか、母校の東京音楽学校や玉川学園、成城学園、早稲田大学高等師範部などでも教えました。

「城ヶ島の雨」が代表作ですが、ほかに「どんぐりころころ」「羽衣」など、数多くの童謡・唱歌を作曲しています。

この時期の北原白秋について、少し書いておきましょう。

早稲田大学の学生時代からすでに詩名の高かった白秋は、26、7歳(明治43~44年〈1910~11〉)ごろには、日本を代表する詩人の1人になっていました。

ちなみに、『文章世界』の明治44年10月号で発表された「明治10大文豪投票」では、多くの先輩詩人たちをさしおいて、詩人の部の第1位にランクされています。

しかし、文芸以外の分野では、彼の生活は苦難に満ちていました。

福岡県で有数の海産物問屋で醸造元だった実家が、明治42年(1909)、もらい火による火事が原因で破産、翌年、一家は白秋を頼って上京してきました。

明治45年・大正元年(1912)、白秋28歳のとき、もう1つの災難が降りかかりました。

夫に虐待されていた隣家の人妻・松下俊子に同情しているうちに恋愛関係に陥り、彼女の夫から姦通罪のかどにより告訴されたのです。

姦通罪は親告罪で、姦通された夫の告訴により、刑事事件となります。

同年7月、白秋は市ヶ谷の未決監に2週間拘留されましたが、弟鉄雄の奔走で示談が成立し、免訴となりました。

それまでの評価が高かった反動で、世間の指弾は激しく、白秋の名声は地に落ちました。

白秋は死を決意して、千葉県木更津に赴きましたが、死にきれず、対岸の三浦半島先端の三崎町に渡ります。

そこでの滞在中に、夫と離婚して旧姓に戻っていた福島俊子と再会し、結婚します。

三崎町の向ヶ崎で異人館と呼ばれていた家を借りて、一家を呼び寄せます。大正2年(1913)5月のことです。

向ヶ崎の南には狭い瀬戸を挟んで城ヶ島があります。

朝夕見て暮らしたその光景が、『城ヶ島の雨』のモチーフになったわけです。

詩に出てくる「利休鼠」は抹茶色、すなわち緑色を帯びた灰色のこと。

江戸時代には、抹茶色が、茶道の大成者・千利休にちなんで利休色と呼ばれていたという説があります。

「通り矢」は向ヶ崎のすぐ先にある離れ岩との間の潮の流れの速い部分ですが、今は埋め立てられて、地名として残っているだけです。

白秋の父と弟鉄雄は三崎で魚類仲買業を始めましたが、すぐに失敗、白秋夫婦を残して東京に引き上げました。

白秋夫婦は異人館を引き払って、同じ三崎の臨済宗見桃寺に寄寓します。

翌大正3年(1914)、夫婦は東京に戻って一家と同居します。

しかし、生活の窮乏に加えて、俊子と両親との折り合いが悪かったことから、ついに俊子と離別しました。

そうした苦難の時期にあっても創作を止めなかったからこそ、大詩人としての名が残っているのかもしれませんね。

































































































  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

荒城の月

2023-11-03 06:16:49 | 童謡・唱歌
賠償千恵子


岩崎宏美


森繫久彌


春高楼(こうろう)の 花の宴(えん)
巡る盃(さかづき) 影さして
千代の松が枝(え) 分け出でし
昔の光 今いずこ
秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照り沿いし
昔の光 今いずこ
今荒城の 夜半(よわ)の月
変わらぬ光 誰(た)がためぞ
垣に残るは ただ葛(かずら)
松に歌う(うとう)は ただ嵐
天上影は 変わらねど
栄枯(えいこ)は移る 世の姿
映さんとてか 今も尚
ああ荒城の夜半の月




この曲「荒城の月」は、土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲による歌曲です。

哀調をおびたメロディと歌詞が特徴で、七五調の歌詞(今様形式)と西洋音楽のメロディが融合した楽曲。

特に、日本で作曲された初めての西洋音楽の歌曲とされ、日本の歴史的に重要な曲ですよね。

ところで、「荒城」はどこの城なのか・・・

今のところ、土井晩翠が詞の構想へモデルとした城として、宮城県仙台市の仙台藩青葉城址、同じく福島県会津若松市の会津藩鶴ヶ城址、

また、当時、リンゴ狩りに訪れた際に立ち寄った岩手県二戸市の盛岡藩九戸城址が挙げられ、それぞれ歌碑が設置されています。

また、晩翠は詩の構想へモデルとした十三夜を詠む謙信の足跡を辿って、富山県富山市の前田藩及び神保氏富山城、石川県能登の石動山城跡、

七尾城跡なども巡っていて、本当のところはわかっていませんし、これからもわからないでしょうね。

しかし、その方が曲にとってはいいのかもしれません。

ところで今日は「文化の日」、マスターが子供の頃は、どの家も国旗を立てて祝っていましたが、現在では全くといっていいほど見かけません。

誰もが、今の日本、「誇れるほどの国」とは思っていないのでしょうか。(笑)



















































































































  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花かげ

2023-10-26 21:15:38 | 童謡・唱歌
山崎ハコ



十五夜お月さま ひとりぼち
桜吹雪の 花かげに
花嫁すがたの おねえさま
くるまにゆられて ゆきました

十五夜お月さま 見てたでしょう
桜吹雪の 花かげに
花嫁すがたの ねえさまと
お別れおしんで 泣きました

十五夜お月さま ひとりぼち
桜吹雪の 花かげに
遠いお里の おねえさま
わたしはひとりに なりました




「花嫁」と言えばはしだのりひことクライマックス、「花嫁は 夜汽車に乗って とついでゆくの~・・・・・」。

歌が流行った1970年(昭和45年)当時の女性が、結婚する平均年齢は、24歳でした。

すなわち、結婚適齢期というもので、これを過ぎると、25日には半額になるクリスマスケーキに例えられたりもしました。(笑)

これは失礼かな、クリスマスケーキに。(笑)

それから四半世紀(25年)以上を経た2016年(平成28年)、女性の平均結婚年齢は、29.4歳になっています。

同様に、男性は、31.1歳にまで上昇しています。

いわゆる、晩婚化現象といわれるものなんですが、平均寿命の伸びによるライフステージの変化や、高学歴化、女性の社会参加、

あるいは価値観の多様化などにより、ある程度、結婚する平均年齢が伸びるのは、やむを得ないところがあります。

かっても、独身主義という言葉がありましたが、しかし、最近は男女を問わず結婚しないという人が増えています。

いわゆる未婚から非婚へというトレンドです。

50歳時の未婚率である生涯未婚率で比べて見ると、1970年当時、1.7%だったものが、2015年には、18%を超えるまでに上昇しています。

現在の若年層の意識をみる限りさらに高まる可能性がありますよね。

従来の婚姻形態にとらわれない、未婚、非婚という選択肢を個人が取るのは自由です.

しかし、それが婚姻にともなう制約や責任を安易に逃れるものであっては、家族を基礎にした、これまでの社会が成り立たなくなるおそれがあります。

いずれにしろ、「花嫁」という初々しく可憐で、どことなく凛々しくて厳粛な言葉は何時までも残したいものです。































































































































  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅愁(更け行く・・・)

2023-10-25 23:19:01 | 童謡・唱歌
倍賞千恵子


更け行く秋の夜 旅の空の
わびしき思いに ひとりなやむ
恋しやふるさと なつかし父母
夢路にたどるは 故郷(さと)の家路
更け行く秋の夜 旅の空の
わびしき思いに ひとりなやむ

窓うつ嵐に 夢もやぶれ
遥けき彼方に こころ迷う
恋しやふるさと 懐かし父母(ちちはは)
思いに浮かぶは 杜(もり)のこずえ
窓うつ嵐に 夢もやぶれ
遥けき彼方に 心まよう



この曲は、犬童球渓(いんどう きゅうけい/1879- 1943)作詞による明治時代の唱歌です。

原曲は、オードウェイ(Ordway, John P./1824-1880)作曲『Dreaming of home and mother』(意味:故郷と母を夢見て)で、

1868年にアメリカで出版された歌曲です。

 
Dreaming of Home and Mother

Dreaming of home, dear old home!
Home of my childhood and mother;
Oft when I wake 'tis sweet to find,
I've been dreaming of home and mother;
Home, Dear home, childhood happy home,
When I played with sister and with brother,
'Twas the sweetest joy when we did roam,
Over hill and thro' dale with mother.
(*Chorus: )
Dreaming of home, dear old home,
Home of my childhood and mother;
Oft when I wake 'tis sweet to find,
         I've been dreaming of home and mother.

Sleep balmy sleep, close mine eyes,
Keep me still thinking of mother;
Hark! 'tis her voice I seem to hear.
Yes, I'm dreaming of home and mother.
Angels come, soothing me to rest,
I can feel their presence and none other;
For they sweetly say I shall be blest;
With bright visions of home and mother.
    (*Chorus: )

Childhood has come, come again,
Sleeping I see my dear mother;
See her loved form beside me kneel
While I'm dreaming of home and mother.
Mother dear, whisper to me now,
Tell me of my sister and my brother;
Now I feel thy hand upon my brow,
Yes, I'm dreaming of home and mother.
    (*Chorus:


作詞者の犬童球渓は、熊本県人吉市出身の教育者・詩人。

「球渓」はペンネームで、生まれ故郷の球磨川渓谷に由来したのだそうです。

東京音楽学校を卒業後、兵庫県の柏原中学に音楽教師として赴任しますが、現地の西洋音楽排斥運動に巻き込まれ、

一年足らずで新潟の女学校へ転任することに。

この音楽教師としての挫折が、歌詞の「夢もやぶれ はるけきかなたに 心まよう」に反映されているように感じられます。

































































































 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬景色

2023-10-08 02:53:54 | 童謡・唱歌
倍賞千恵子



 
さ霧消ゆる 湊江の
舟に白し 朝の霜
ただ水鳥の 声はして
いまだ覚めず 岸の家

烏(からす)啼きて 木に高く
人は畑(はた)に 麦を踏む
げに小春日の のどけしや
かへり咲(ざき)の 花も見ゆ

嵐吹きて 雲は落ち
時雨降りて 日は暮れぬ
若し灯火の 漏れ来(こ)ずば
それと分かじ 野辺の里


 


「冬景色」は、1913年(大正2年)『尋常小学唱歌 第五学年用』が初出の文部省唱歌です。

歌詞の季節は冬の初め頃、1番は水辺の朝、2番は田園の昼、3番は里の夕方が描写されています。

「さ霧」とは、霧のことで秋の季語、狭霧とも書きます。

「湊江(みなとえ)」とは、港になっている入江のこと。

























































































  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里の秋

2023-08-13 17:16:27 | 童謡・唱歌
里の秋



静かな静かな 里の秋
お背戸(せど)に木の実の 落ちる夜は
ああ母さんと ただ二人
栗の実煮てます いろりばた

明るい明るい 星の空
鳴き鳴き夜鴨(よがも)の 渡る夜は
ああ父さんの あの笑顔
栗の実食べては 思い出す

さよならさよなら 椰子(やし)の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ父さんよ 御無事でと
今夜も母さんと 祈ります




「里の秋」・・・

歌詞は、昭和16年(1941年)太平洋戦争の最中、東北の田舎を舞台に戦地の父への慰問文として書かれたもので、曲はついていませんでした。
 
曲名は「星月夜(ほしつきよ)」で、詞の1番と2番は現在と同じですが、3番と4番の歌詞 は下記のとおりでした。

3  きれいなきれいな椰子の島

   しっかり護って下さいと

   ああ父さんのご武運を

   今夜も一人で祈ります


4  大きく大きくなったなら

   兵隊さんだようれしいな

   ねえ母さんよ僕だって

   必ずお国を護ります

              3                 
しかし昭和20年に(1945年)戦争が終わり、南方で戦っていた引き揚げ第一船が浦賀に入港することになり、JOAK(現・NHK)では

「外地引き揚げ同胞激励の午後」というラジオ番組の中で「兵士を迎える歌」を流すことになりました。
 
そのとき急遽、斉藤信夫の「星月夜」の歌詞を変え、それに海沼実が作曲し、更に曲名も「星月夜」から「里の秋」に変更されたのだそうです。
 
この際に、3番と4番の歌詞は削除され、新たに3番の歌詞が今のようになったのだとか。




















































































































































  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

故郷の空

2023-07-18 10:06:41 | 童謡・唱歌
故郷の空



夕空はれて、秋風ふき
つきかげ落ちて、鈴虫鳴く
思えば遠し、故郷の空
ああ、わが父母、いかにおわす

すみゆく水に、秋萩(あきはぎ)たれ
玉なす露(つゆ)は、すすきにみつ
おもえば似たり、故郷の野辺(のべ)
ああ、わが兄弟(はらから)、たれと遊ぶ





郷愁漂う名曲『故郷の空』の原曲は、スコットランド民謡『Comin Thro' The Rye(ライ麦畑で出逢ったら)』。

作詞は、『蛍の光(Auld Lang Syne)』で知られるスコットランドの国民的詩人ロバート・バーンズ(Robert Burns/1759-96)。

一般的に「性」に寛容的な国民性を持つといわれるスコットランドの古き良き開放的な男女の営みを、ライ麦畑でのやりとりを通して大らかに描いています。







Comin' Through the Rye



1. O, Jenny's a' weet, poor body,
Jenny's seldom dry:
She draigl't a' her petticoatie,
Comin thro' the rye!


ジェニーはずぶ濡れ 粗末な格好
乾いた服を来ていない
ペティコートを引きずって
ライ麦畑を通ってくる


Chorus:
Comin thro' the rye, poor body,
Comin thro' the rye,
She draigl't a' her petticoatie,
Comin thro' the rye!


<コーラス>
ライ麦畑を通ってくる 粗末な格好
ペティコートを引きずって
ライ麦畑を通ってくる


2. Gin a body meet a body
Comin thro' the rye,
Gin a body kiss a body,
Need a body cry?


ライ麦畑で出会ったら
きっとキッスを交わすでしょう
泣くことなんてないでしょう?


Chorus:
Comin thro' the rye, poor body,
Comin thro' the rye,
She draigl't a' her petticoatie,
Comin thro' the rye!


<コーラス>
ライ麦畑を通ってくる 粗末な格好
ペティコートを引きずって
ライ麦畑を通ってくる
 














































































































































  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ザ · ピーナッツ, 村祭

2023-07-18 07:24:43 | 童謡・唱歌
ザ · ピーナッツ, 村祭

村の鎮守の神様の
今日はめでたい御祭日
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
朝から聞こえる笛太鼓

年も豊年満作で
村は総出の大祭
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
夜までにぎわう宮の森

治まる御代に神様の
めぐみ仰ぐや村祭
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
 聞いても心が勇み立つ





「村祭(むらまつり)」は、1912年(明治45年)刊行の小学校向け音楽教科書「尋常小学唱歌」に掲載された日本の唱歌です。



東京少年少女合唱隊   

この「尋常小学唱歌」には 「村祭」以外に、「かたつむり」、「春の小川」、「故郷」、「朧月夜(おぼろづきよ)」、「茶摘(ちゃつみ)」など、

今日まで歌い継がれる様々な唱歌が掲載されていました。





























































































































  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

りんごのひとりごと

2023-07-16 07:51:56 | 童謡・唱歌
芹洋子   りんごのひとりごと



わたしはまっかな リンゴです
お国は寒い 北の国
リンゴ畑の 晴れた日に
箱につめられ 汽車ポッポ
町の市場へ つきました
リンゴ リンゴ リンゴ
リンゴかわいい ひとりごと

果物店(みせ)の おじさんに
お顔をきれいに みがかれて
みんな並んだ お店さき
青いお空を 見るたびに
リンゴ畑を 思いだす
リンゴ リンゴ リンゴ
リンゴかわいい ひとりごと

今頃どうして いるかしら
リンゴ畑の おじいさん
箱にリンゴを つめながら
歌を歌って いるかしら
たばこふかして いるかしら
リンゴ リンゴ リンゴ
リンゴかわいい ひとりごと




「りんごのひとりごと」は、日本の童謡です。

武内俊子作詞、河村光陽作曲。

1940年2月にキングレコードにより河村の娘・順子の歌でレコード化されました。

リンゴを題材とした曲であり、歌詞は、出荷されて店頭に並ぶ様子をリンゴ自身の視点で描かれています。

前年(1939年)当時猩紅熱で入院していた武内が、長妻完至により見舞いに持参されたリンゴを見てノートに走り書きした歌詞を、

見舞いに訪れたキングレコードの担当者・柳井堯夫が見て、曲として仕上げたと言われています。



























































































  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たなばたさま

2023-07-07 04:07:43 | 童謡・唱歌
たなばたさま



ささの葉さらさら
のきばにゆれる
お星さまきらきら
きんぎん砂子(すなご)
五しきのたんざく
わたしがかいた
お星さまきらきら
空からみてる





七夕(たなばた)は、中国・日本・韓国・ベトナムなどアジア圏における節供・節日の一つです。

五節句の一つにも数えられ、星祭り(ほしまつり)と言います。

七夕の元は中国の話ですが、日本に伝わり変化したものが今につたわっています。

中国では昔、彦星に田畑の豊作、織姫には裁縫の上達を願った、乞巧奠(きこうでん)というお祭りがありました。

そして日本では水の神に豊作を願い、川のほとりの小屋で機織りをする行事があり、機織りをする女性を棚機津女(たなばたつめ)、

機織り機を棚機(たなばた)と呼んでいました。

また、棚機津女のことを織姫と呼んでもいたようです。

日本に仏教が伝わり、棚機はお盆を迎える準備のための行事として旧暦の7月に行われることとなりました。

奈良時代に乞巧奠が日本に伝わると、棚機と合わさり七夕(しちせき)と呼ばれるようようになりました。

これは織姫と彦星の逢瀬と歌や裁縫の上達を星に願い五色糸や金銀の針を供え祀る行事です。

祭壇の横には五色糸で飾られた笹の葉や、和歌をしたため祀った梶の葉があり、これが笹の葉飾りの始まりと言われ、江戸時代の中頃に

今の形になったと言われています。

ちなみに笹に短冊をつけるのは日本だけ。

願い事は、手習が上手になるようにと短冊に書いて笹に吊るされる様になったそうです。 























































































































  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏は来ぬ

2023-04-21 12:51:30 | 童謡・唱歌
~夏は来ぬ~ 倍賞千恵子




卯の花の匂う 垣根に
時鳥 早も来鳴きて
忍び音もらす 夏は来ぬ

五月雨の 注ぐ山田に
早乙女が 裳裾濡らして
玉苗植うる 夏は来ぬ

橘の薫る 軒端の
窓近く 蛍飛び交い
おこたり諌むる 夏は来ぬ

楝散る 川辺の宿の
門遠く 水鶏声して
夕月すずしき 夏は来ぬ

五月闇 蛍飛び交い
水鶏鳴き 卯の花咲きて
 早苗植えわたす 夏は来ぬ




この曲『夏は来ぬ』(なつはきぬ)は、佐佐木信綱作詞、小山作之助作曲の日本の唱歌です。

1896年5月、『新編教育唱歌集(第五集)』にて発表、2007年に日本の歌百選に選出されています。

明治33年(1900)に『新撰国民唱歌二』に掲載されました。

明治時代の唱歌の作詞者には、子どもにわかりやすい言葉を使うというおもんぱかりは、ほとんどなかったようで、 作詞の佐佐木信綱氏は、三重県鈴鹿市出身の著名な歌人・国文学者。

1番については、それほど難しいことはないでしょう。

ホトトギスが卯の花の咲いている垣根で鳴いている、夏の到来(あくまでも暦の上でのことですが)を感じさせる光景を歌ったものです。

ちなみに「しのび音」とは、旧暦4月ごろに、ホトトギスが声をひそめて鳴く声のことです。

2番は、山村の田植えの様子を歌ったものです。

「五月雨」とは、梅雨時の雨のことで、旧暦では梅雨は5月ごろですから、このような漢字で表現したのです。

「早乙女」は田植えをする女、「玉苗」は「早苗」と同義語で、苗代から田へ植え替える稲の苗です。

3番は、中国の故事「蛍雪の功」を歌ったものです。

夜も勉強を怠るなということです。

4番は、農村の夕暮れ時を歌ったもので、棟(おうち)は夏の花である栴檀の古名、水鶏(くいな)は夜行性の夏鳥です。

5番は、1~4番の歌詞をまとめたような内容で、「五月闇」は梅雨時の夜の暗闇のことです。














































































  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

砂山

2023-04-19 01:45:11 | 童謡・唱歌
砂山(山田耕筰 作曲)/渥美清




海は荒海(あらうみ) 向こうは佐渡(さど)よ
すずめ啼(な)け啼け もう日はくれた
みんな呼べ呼べ お星さま出たぞ

暮れりゃ砂山 汐鳴(しおなり)ばかり
すずめちりぢり また風荒れる
みんなちりぢり もう誰も見えぬ

かえろかえろよ 茱萸原(ぐみわら)わけて
すずめさよなら さよならあした
 海よさよなら さよならあした




1922年6月、北原白秋は新潟で童謡音楽会に招かれ、2千人あまりの小学生から熱烈な歓迎を受けました。

音楽会の終了後、同校の教師たちと近所の寄居浜(よりいはま)(現在新潟市四ツ屋町)を散策し、その際の夕景に感動して作ったのがこの詩とされています。

「白露時代」と呼ばれ、三木露風と並び評される近代日本を代表する詩人北原白秋の「砂山」。

とても素直な情景詩、童謡でです。





























































































































 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さあ太陽を呼んでこい

2023-04-07 05:49:44 | 童謡・唱歌
さあ太陽を呼んでこい 倍賞千恵子&ボニー・ジャックス


さあ太陽を呼んでこい/東京放送児童合唱団



夜明けだ 夜が明けてゆく
どこかで誰かが 口笛を
気持ち良さそに吹いている
最後の星が 流れてる
暁(あかつき)の空 明けの空
もうじき若い 日が昇る
■ララララ ララ ララララ ラ
■ララララ ララ …ref……

みんながみんな 歌うんだ
あの口笛に 合わそうよ
流れる雲が 輝くぜ
若いみんなの 歌声で
暁の風 朝の風
すばらしい朝を 作ろうよ
■ララララ ララ …ref……

この世に夜は いらないぜ
みんながこの手で 暁の
扉を空に 開くんだ
さあ太陽を 呼んでこい
暁の雲 朝の雲
望みの鐘を 鳴らそうよ
■ララララ ララ …ref……





1963年12月NHKの『みんなのうた』で紹介されたこの曲、作詞:石原慎太郎・作編曲:山本直純とあります。

「え~!、慎太郎さんが童謡・唱歌?・・・良純さんなら分かるけどぉ~」(笑)

まぁ、マスターも悩むところですが、「NHKみんなのうた」のCDには、NHK東京放送児童合唱団と倍賞千恵子の両方がありますので・・・この曲は一応「童謡」に分類しました。

しかし、この歌詞を改めて読んでみると、サラッとしていて軽いですよね。

 石原慎太郎氏は昭和7年生まれといいますから、この歌は30歳頃の作品。

まあ政治家になる前なのでサラッとしていたのかも・・・(笑)


































































































  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする