福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

8月も最終日 9月からは 歴史領域も 地図づくり??

2012年08月31日 19時53分33秒 | 鴻臚館跡・福岡城址・舞鶴公園(歴史)
ペタペタ貼って すすめてきた 鴻臚館あたりの日本史の復習と地域史のおべんきょ。



ひとまず、ここまでやったから いったん区切ってもいいかなぁ・・・と思うようになってきました。

8月も今日で終わりますもんね。


鴻臚館跡が見つかった時の、平和台野球場の件は このあたりに貼るかどうか・・・正直迷ったけれど、
自分用の理解を深めるための資料を作っているのだと思えば、
戦災復興あたりで、西鉄ライオンズの活躍や 
もっと大きく、国の復興としての 東京オリンピックの開催といった社会の動きとも絡めて、
第3回国体開催や、福岡国際マラソン開催、そして平和台のスポーツ施設の意味と意義を理解したいな、と思っているのだから、
戦後史あたりで 改めて〝鴻臚館跡が見つかったこと〟について触れてみることにしようと思いました。




さて。

この先・・・・途中までで止まっている 地図づくりを再開しなきゃだなぁ。


正直言って、本当に、鴻臚館跡の発見と発掘にしろ、全国の珍しい桜を植樹したことににしろ、
もう一番盛り上がっていた頃からは結構時間が経っていて、
もうそんな熱い盛り上がりを覚えてない人や、引っ越してきたから知らないって人って 多いんだろうなっていうのが
本当に本当に 正直な気持ち・・・・・。



でも、そこに、確かに在るんですよね。
在るんですよ。
鴻臚館跡も、全国の珍しい桜の木も。



その、何も言わぬ物たちと、どういう風に、コミュニケーションをとっていくか。

当時の熱さ、当時かかわった人たちの熱い思いを、どう感じていくか。

その場で、どう 気持ちのキャッチボールをやっていくか・・・・・・・。


どうしよーう



難しいなぁとは思うんですが、頑張ろう~


次の世代のために、このまちを短い時間でも訪ねてきてくれた人たちのために、ねぇ。
少しは、話せるようになっておかないとなあ。



まあ、舞鶴公園、鴻臚館跡と全国の珍しい桜の木だけじゃなくて、平和台と福岡城址もあるんですよねぇ。

あ~~~~!!!!
めっちゃボリュームあるところを まちまなびの場所に選んじゃったかなぁ

軽く後悔??
いやいや・・・・ここを理解してないと、2000年の歴史を持つ福岡市って??って、その重みを理解しきれんやろうしねぇ。


ぼちぼちでもいい、がんばろう・・・・・。
 

地理の地図帳と いろんな資料を 突き合わせてみました。

2012年08月29日 23時29分03秒 | 鴻臚館跡・福岡城址・舞鶴公園(歴史)
筑紫館&鴻臚館の場所と、発見に至るまでの話。

見つかったのは まぁ日本の歴史の流れでみたら、まだ最近といえるギリギリかな?くらいだとは思うのですが、
鴻臚館関係はまとめて一か所にペタペタ貼っておきたかったので、
日本史の復習と地域史のおべんきょの冊子では 平安初期あたりの鴻臚館のことをまとめてきた そのあとのページに
いろいろあつめていた資料をコピーして、ペタペタ貼りました。



結局、地図は 私が学生時代、選択・地理の時間に使っていた地図帳をまだ取っているので、
その地図帳を参考にすることにしました。


文章もいろいろ貼って、こんな感じ




でも、万葉集の句の対訳は載ってなくて。




おっと様に聞いてみようかなぁ~と思って、帰宅後のおっと様に聞いたら
「ええ~?もう忘れたよ~」と言いながらも
「万葉は古今より、おおらかなんだよねぇ」
「叙情詩と叙事詩とありそうだね」なんて言いながら、4句+2句、ざっくりと訳してくれました。

場所の解説も してくれました。



ありがとー!

日々のお買い物は「なぜ、そう間違う」ってことを 結構やってくれてビックリしちゃうんですけど
学生時代に覚えたことの領域の記憶力は 本当にすごいんですよねぇ


そうそう。
「もとの官内町って、どこ?蓮池って どこ??
 よくわからんちゃんね
 福岡市って 流入人口多いっていうけど・・・・・
 引っ越してきた人たち、言葉だけで聞いて、みんな すぐ わかるっちゃろうか?」
と おっと様に尋ねたら、
「本当にそのあたりに縁のある人か、歴史研究家じゃないと、すぐにはわかんないんじゃない?
 僕だって、そんな、わかんなかったよ。
 高校卒業して、進学して、社会人になって・・・という流れで行動範囲が広くなって、
 それでバス停で初めて知った地名だと思うな」
との答えが。

ああ、「場所がわからん すぐ思い浮かばん」って凹んでたけど
そこの部分では あんまり悩まなくてもいいのかな?と思えました 



あと・・・・・
「歴史研究家になりたいと?」って 質問されたんですけど

う~~~~ん・・・・・その〝ことば〟ではないんですよね


おかあさんとして、地域のことを、ちゃんと 自分の子どもに話せるようになりたいとか、
友達や自分の親族がこのまちに訪ねてきたときに、少しは案内できるようになっていたいとか。
そういうのって、なんて言ったらいいんでしょうね。

歴史研究家と おかあさんって、両立するの難しいと思っているんですよ。
わが子が出来て、その子が大きくなって
世界に出たときや、国内でも 違う都道府県、違う地方に出たときに、
自分の住むまちの特徴を話せる助けになるように・・・・という思いで いろいろ 今 まちまなびしているのですが、
それを歴史研究家といってしまうと、ちょっと違うような気がしているんですよね

じゃぁ、私がやっていることを何と言ったらいいのかは 正直 わからないんですが


小6の時、社会科だったと思うけど、ひとりひとりにテーマを与えられて、それを調べて発表するというのをやって。
その時、大人用の日本の歴史の本が我が家にあったので、それを使って調べて、みんなの前で発表したんですよね。
ことば そのまま、引用しちゃったっていうか・・・。
そうしたら
「何言ってるか、わかんない」って感想ばかりで
先生からは
「調べたのは偉いと思うけど、みんなに伝わるかどうか、考えなさい。
 ここまで調べたのは、私、すごいでしょっていってるように聞こえるよ」みたいな感想で。

それはそれは ショックでしたね

でも、「ここまで調べた私、すごいでしょ」の気持ちがなかったかといえば・・・・・ええ、先生、よく見抜いてらっしゃる




いずれ こどもに まちのことをちゃんと話せるようになりたいなって思っているのだとしたら、
その〝伝えた内容〟を その子が どう理解して、自分の中で消化して、
そして、その子なりのことばで、その子の成長にあったことばで どう周りの人に話し伝えるんだろう・・ってことまで考えていないと
私の 小6の時の失敗をやっちゃうんじゃないかなと思っていて。

それは あまり よろしくないだろうなって思っているので、
私自身も まちまなびの内容を どう理解して、どう消化して、どう伝えたらいいかを しっかり考えなきゃいけないなと考えています。






若干 足踏み状態ですが・・・ ペタペタ貼る作業は 細々と続けています。

2012年08月28日 14時43分55秒 | 鴻臚館跡・福岡城址・舞鶴公園(歴史)
筑紫館や鴻臚館あたりのこと。


〝おもてなし〟の様子について、細々と調べてはおります、が。
今はほぼなくて、それでも 復元されたものを見るという形での伎楽とおもてなしを知るっていうところで
ちょっぴり 「どうしよう」って 立ち止まってしまった感じがある ここ数日です。

忠実に 頭の中で おもてなしの情景が再現されるっていうのは、結構難しいとかなぁ。

うーむ。



こちらの冊子には、女子としては ちと「え?!」な ことも触れてあって・・・ドキドキ。


・・・・・おなごぉぉぉぉ・・・・・・

まぁ、男性としては 自然なことなんでしょうけれど、ね。
うん。

子どもに話すときは、わざわざ言わんやろうなぁと思いつつ、
友達なんかに話すときには、触れちゃうかなぁ・・・・ドキドキ。
深くはふれられんけど、おなごの立場での 切なさや世知辛さを感じることも大事だし、気づかんふりも いかんやろうなぁ。
やっぱり 貼っておかなきゃでしょうねぇ・・・・。

ふぅ。



さて。
そろそろ、万葉4句と、発掘と・・・のことを ちゃんと把握しなくちゃと思うのですが。

うちに 何か 市内の地図があったっけ?と思って探してみたんですが。

コレ↓くらいでした。



可愛くていいんだけれど・・・いまいち正しい場所が捉えにくいかなぁ。

万葉の句にて表現されている場景を考えることが出来ることが必要だから、
志賀島の位置関係がわかることが大事だとしたら、これを参考にして、ペタペタ貼ってもいいのかなぁ。


ところで・・・・官内町って、どこ??????どのあたり????



まぁ、ひとまず 万葉4句までペタペタ貼って、鴻臚館あたりの地域史のおべんきょ済ませたら、
いったん 日本史の復習から、舞鶴公園で幾重にも重なる歴史を理解するための地図づくりへと 取り組むこと、変えてみようかな。

いろいろ わかったことはあるけれど、紙一枚に収めるって 大変かもなぁと思っている 今日この頃です。



本を通して 少しずつ知る このまちならではの在り方 

2012年08月25日 19時12分05秒 | 鴻臚館跡・福岡城址・舞鶴公園(歴史)
ひとまず 読んでみました。ぱらぱらっとですが。



これこれ、この本です。


筑紫館でのもてなしの場で披露された 伎楽ってどんなんだったんだろう~ということで。




アジアのいろんな国にある 仮面をつけて踊る舞踊が集まっていて、
仏教の教えとも関連が深いんだぁ・・・・
日本にとっては 仏教伝来、聖徳太子の時代、その後の国と仏教の在り方とのかかわりがけっこうあって、
おもてなしの場で披露されたものということで考えると、
お互いのことばが完全にわかりあえなくとも、この伎楽の演目は それを見れば 双方の国の人間が理解できるものだったのかも、なんて思いました。

ぱらぱらっと読んだだけなので、読み落としもあるんでしょうが。


筑紫館・鴻臚館の時代は長いので、
早い時期に伝わったものが 日本国内でちゃんと熟成され、のちの もてなしの場で披露されたのかな?と思うと、
このまちって 本当にアジアとの接点・交流の大事な場だったんだなと思います。

たぶん、日本のどのまちと比べても、接点の量も質もとびぬけていたんだろうなぁ・・・・・。




もういちど、Youtubeの画像をみて、もうちょーっと 動いている場景をすぐ頭に浮かべられるようになりたいなぁ!


そうしたら、また一つ、筑紫館・鴻臚館ってすごいんだなぁって思える項目が 増えそうです。



まだまだなんでしょうけどねぇ・・・・・。

資料の展示室に行ったら、掘って見つかったもの、調査してわかったものは 確かにあって。
それを見て「そうなんだー」って発見はできるんだけれど、
まだまだ、高校時代に 史学、考古学、発掘関係を、進学時に専攻するぞって決めた人たちにとっては
「え?そんな 当たり前のことも あんたは知らんのね???」って レベルのことを
いっこいっこ 本とかで 探し出して、ぼちぼち理解してってる途中なんだと思います


いいんですわかってるんですそんなレベルだって


でも、このまちで 子育てしようと思ったら、やっぱ まちのこと 子どもに語れんのは いかんよね・・・
うんうん がんばらんばいかんばい~・・・・・って、思ってます。



しかし、舞鶴公園のことをいろいろ知りたいと思って、ずっと まちまなびを積み重ねていっているけれど
桜にしても、鴻臚館にしても すっごい盛り上がってた時代は 結構前なんですよね
なんか 地道に いろいろ調べて、知ってってるけれど・・・・・
私の中では「そうなんだ!!」って発見がたくさんあって いいんだけれど・・・・

どれだけ 周りに ニーズがあるかっていうと・・・ふふふ、現状 ビミョウなんだよなぁ

「いつか、誰かに 説明するときに!」って思って やってはいるけれど、
ニューオープン情報や、おいしいスポット情報のほうが 重宝されるよねぇ・・・・その辺の葛藤は、なんだかやっぱり ありますね



おもてなしの様子のひとつを もう少し 知ってみたいのです

2012年08月24日 15時45分12秒 | 鴻臚館跡・福岡城址・舞鶴公園(歴史)
注文していた本、届きました。




伎楽の背景や歴史がわかるかなぁと思って。


思っていた以上に文字の多い本でしたが
(ネットで見つけて、すぐ注文しちゃったので
まぁ しっかり読んでみようかと思います。


おもてなしの場で踊られたこともどうやらあるという伎楽、どんなのなんでしょう??

今は 先日YouTubeでみた再現ものくらいしか想像できないので、
本を読むことで なんらか自分の中に新しい知識が積み重ねられるといいなぁ・・・。



さっき 腰をピリッとやっちゃったので、長くパソコンに座れそうにないので
読書の数日には きっとピッタリ




そうそう、よくよく今までに集めていた資料を見ていたら、万葉4句、そろってました!!


見落としていた自分自身にガックリ



ふふふもう、いやんなっちゃうなぁ