福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

また 理解が足りていないとこ発見!鴻臚館での交易のおべんきょうは 一難去ってまた一難です

2014年11月28日 13時05分51秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(2013年ママになってから)
数日、のどが痛いままで ぶり返し気味だなぁ・・と思うんですが。

でも!!また、本、借りに行きたーい!!!

よく理解できてないトコ、また発見

張宝高さんのこと~。

うんうん、そうそう、唐に移住したあと、唐での軍務で活躍して、そののち朝鮮半島の西南端に拠点を持ったんですよn。


いろいろ ちょこちょこ 場所確認しなきゃね。

そうそう、円仁さまとのかかわりもあって、
張宝高さんの話では、山東半島の赤山院ってよく出てくるよね。

山東半島の、赤山。

うん、確認。

・・・・・・・・ん?

いやいや、待って待って。

山東半島は・・・・反側の藩鎮で・・・
ええっと・・・・
そうそう、平盧軍節度使の・・・・

って。

あれ???
張宝高さんが活躍したって載ってたのは徐州の、武寧軍じゃなかったっけ?!


ううう~~~~~~ん

手持ちの本や資料では、確認しきれてないことがありそう
いつからか、張宝高さんの影響が 山東半島に及ぶようになったってことなんだろうなぁと 推測はできるんですが・・・・

800年代の・・・いつ????何をきっかけにして???
で、山東半島で 影響を持てるようになってから、どれくらいして 朝鮮半島のほうへ もどってきたの???

この流れがわからないと、9世紀初めのころの 鴻臚館での国際交易のこと、よく理解しきれない???


えーっと。
・・・・・・・・・・・・この疑問を解決する内容って、どんな本に載ってるのかしら

一難去って、また一難!の気持ちになっていますが・・・・
のどの具合と、おちびのご機嫌とを見計らって、できれば近いうちに 本を探しに行ければいいなぁ!と思っています

まずは のど風邪のぶりかえしを、ちゃんと治さなきゃですが・・・

820年くらいまでの 唐社会のことを理解するため 反側&順側藩鎮の確認 してみました 

2014年11月26日 22時56分38秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(2013年ママになってから)
おちびさんのお昼寝のあいだ。

反側&順側 藩鎮のこと・・・・
もくもくと ノートにまとめて「あー!そういう時代だったんだー!!」という とーっても 濃い 現実逃避?!に 集中しました

いえいえ、現実逃避なんて言っちゃいけません。
鴻臚館跡のおべんきょうの、だーいじな時間です。

・・・・・・・・・でも、子育てからは 立派な逃避の時間ですけどね


でも~~!!
いい確認できたと思います。
唐の社会の変化、ちゃんと確認しておくって、大事ですよね、うんうん

反側藩鎮と山東半島かぁ・・・。
そういう観点は、いままで 気にもとめてなかったなぁ・・・

新羅商人と鴻臚館での国際交易という内容の確認では、
張宝高という人のこと、この先 ぜーったい必要になってくるんですが、
鴻臚館での国際交易に関わる前に、
張宝高という人が どういう時代に生きて、どういう役目を果たしたかを確認するために大事なところを
今回のおべんきょうで 確認できたかもーと思うので、やってよかったー!!と思っています。

安史の乱のあとから820年くらいまでの唐のこと、
在唐の朝鮮半島系の人々のことも一部あわせて確認する・・・って、
先月とか、先々月とか、正直そこまで思い至ってなかったなぁと思うんですが、
先日借りた本に目を通したことで、そのあたりも確認することで
より鴻臚館での国際交易について 理解ができるかもなぁ・・と思えたということは、
ほんと、先日の本との出会いが、もうほーんとうにいいタイミングでの、いいご縁だったんだなぁ!と思います

感謝、感謝

両税法のことも、今回のノートまとめ作業で知ったことも多く、

いいおべんきょうができたと思っています。

ただ・・・・・
たとえば、おちびさんが大きくなったときでもいいし、
だれかを鴻臚館跡に連れていったときでもいいんですが、
いざ、鴻臚館での国際交易の話をするときに、反側&順側藩鎮の話に触れるかといったら
たぶん・・・触れないと思うんですが

ここ数日での おべんきょうは、
参考になる本という資料を、じーっと座った状態で 目で読んで、
そのあと ある程度じ~っくりと時間をかけてでも脳で処理して、腑に落ちるようにするという学習の場だったから
「なるほど!おもしろい!」と思う内容だと思うんですよね

同じ内容を
手元に 細かな内容に触れている資料があるわけではなく、
その場で 話し手の話を耳で聞き取って、
その後、立ったまま、もしくは歩きながらの状況で、聞いた話を理解するような場で話しちゃうと・・
「・・・・・・・・・・・・・・はっ?な、何の話?」ってなる可能性、高そうな気が・・・・

でも、話し手である自分自身が、自信をもって話せるようになるために 必要となる 深堀りの知識を 一つ得たような気がするので、
やーっぱり いいおべんきょうができたと思っています


さぁ~!!!!
このまま続けて、山東半島の状況の変化(820年以降)と、張宝高さんのことの確認をやっていきたいです
ずいぶんと 鴻臚館での国際交易の 実際に、近づいてきたんじゃないかなぁ?!どうかなぁ?!

2014年、あと40日を切ってますが・・・
鴻臚館跡のおべんきょう、このまま いいペースで おべんきょうできていったらいいなーと思っています。

・・・・・・・・・いや、待って!!
福岡検定初級受験対策は、ぜーんぜん進んでないんですが

おちびと過ごす時間を削るわけにはいかないので、
そろそろ、おべんきょうに費やせる時間での 検定対策と鴻臚館のおべんきょうのための いい時間配分、考えます・・・・・



古代の国際交易の確認から 藩鎮のことのおべんきょうに すすんでいってます

2014年11月25日 17時15分16秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(2013年ママになってから)
ひとり、扁桃腺を腫らして、熱でウーンウンいってました・・・・

おちびは 元気。
ほんとうに 元気。
とぉぉっても 元気。

・・・・・・・・・・・いいことなんですけど、ね。

ママは休めないから、お熱あがりの ぼーっとした状況で、おちびとの時間を過ごし、お昼寝のあいだは 久しぶりの ノートまとめ作業しました。

古代の国際交易を知る、から、新羅商人について知る・・・にすすみ
在唐新羅人(在唐朝鮮半島人)を確認する、をやっていたはずなんですけどねー。

結局、安史の乱のあとの、藩鎮について 確認しています

うーん、中国史の深掘りになってる・・・

でも、藩鎮のことと 両税法に変わった後の納税について 知ることが、
9世紀のはじめの国際交易を理解することの助けになるんじゃないかなーって思うので、
ちょっと頑張ってみようかなーと思っています。

そうそう、偶然 Eテレの 高校講座・世界史で 唐のことが取り上げられていました!



4時代から5時代にかけては おちびさんのために Eテレをつけていることが多いのですが、
偶然つけた2時代だったかのEテレで、唐のこと、安史の乱について 取り上げられていたので、びーっくり!
でも、長安(現在の西安)の様子を映像で見ることができたので、
偶然とはいえ、ありがたいなーと思いました

あ、画面にある 黒いかたまりは・・・おちびさんの頭です

お昼寝から おきたところ。

そのあと、おやつの準備をしていたら・・・

あ~~!!!!!!!!!

今、だいすきな “ママのまねっこ”したつもりなんだろうけど・・・・

貼った地図に、らくがきされました

あはは・・・・わらっておきます(泣)


日本のなかでの 博多というまちの意義を確認させてくれた本との いいタイミングでのご縁に 感謝! 

2014年11月23日 23時25分22秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(2013年ママになってから)
週末は 天神にジバニャンを見に行ったり、
100均で、先日借りた本の必要な部分をコピーしたり、
嫁仕事もしたり、なんだかんだと バタバタして・・・
鴻臚館のまとめ作業のノートに 記入目的で 触れていないような気がします

でも、まぁ、ばばーっとした読書&コピーで、
「大事でしょ!!」と思えるところをコピーできたので、いいことにします


いろいろ わかんないでいたところ、疑問に感じていたところが解決できそう

本との出会いに感謝!


偶然の出会いで、すごーくうれしかったのは・・・・
借りた4冊のうちでも、表紙を見て「何か、足しになるかも??」くらいの かるーい気持ちで借りた
『東アジア海域に漕ぎ出す 6 海がはぐくむ日本文化』という本。

左上の、青い表紙の本。
初版が2014年4月だから、新しいほうですよね。
東京大学出版会とあるから、もうじゅーうぶん 専門書だと思うんですが。

本当に、最後の最後に、軽い気持ちで本を手に取って
「これもいいかも?ゆっくり読めないから、あわせてかりよう!」と思って借りたんですけど、
大正解!!!!!


北部九州の港湾都市、博多(福岡市)の意義・博多滞在の意義について、書いてありました!!!

一部抜粋すると・・・・

“新しい思想、そして新しい文化は、それが理解され、広く受け入れられるようになるには時間がかかるものである。
 そもそも異国よりもち帰ったものがただちにわが国の人々に受け入れられ、活用されるということは、考えてみればおそらくきわめて稀な事例である”
(中略)

“そして何よりも、そのもち帰られたものが、ほんとうに私たちにとって有用なものであるか、
 私たちが心から求めていたものであったのかどうかについて、熟慮が重ねられ、試行錯誤が繰り返され、
 ときには取捨選択がおこなわれなくてはならないだろう。
 つまり、日本の文化として組み込まれ、定着し、そして十分に消化されていくための、いわば咀嚼が必要であった。

 その意味でこの博多の地は、まさに三高僧にとって格好の咀嚼の地であったと考えられる”
(後略)


もう、ね、本当に、なるほどー!!!!!って、感動しましたっ!!!

この文章には、まだ続きがあるんですけど、ほんと、もうなるほど!!って感じです!!!!!

もう、これはもう絶対・・・・めっちゃいいタイミングでの、私にとっての ご縁です!!

鴻臚館のおべんきょうのために借りた本だけれど、福岡検定のおべんきょう対策にもなるし、
なにより、この先、いろんなことすべて、まちの歴史をお勉強していくうえで、大事にしたいまちへの評価をみつけた感じです

ほんとうに、ありがたーい!!!

この本へのご縁に 本当に感謝して・・・・
ひきつづき、舞鶴公園に重なった歴史についてのおべんきょうと
福岡検定受験対策のおべんきょう、がんばっていこうと思います



・・・・・・・・・・・あっ、検定受験対策のおべんきょう、数日やってない・・・・

11時半前・・・・おちびも寝てるし、今から・・・・ど、どうしようかな

780年代から840年代の 新羅商人のこと 理解できるように・・なれる・・かも?!

2014年11月22日 21時27分24秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(2013年ママになってから)
よぉぉぉし!!!!

少しづつかもしれないですが・・・・・鴻臚館での国際交易に関わった、新羅商人のこと、わかりつつあるような気がしてきました!!

新羅商人と ひとまとめになっているけれど・・・・2つの時期にわかれているかも?!なのですね~。


この、自立的藩鎮の抑圧後が ひとつで。
820年以降を考える場合は、この社会的背景を考慮することが大事。

ただ。

780年後半からしばらく、反側藩鎮、自立的藩鎮が元気だったころは・・・・また別の視点がいるかも?!なんですねー。

それが「斎」という国という見方もあり、「平盧軍」という藩鎮という見方もある、山東半島地域のありかた、なんですねー。
 

あ、もうひとつ大事なんじゃないかなーっていう地図を見つけてたんでした。

藩鎮の名称と その場所。

この地図を確認して、理解できたら・・・・
780年代から840年代という、
実はけ~~っこう長い期間の、鴻臚館での新羅商人の交易のことが 理解できるのかも?!


・・・・・・・・うん、続けて 読書がんばってみまーす。

でも、今日は おちびにつき合って 疲れたので・・・早めに寝ます