福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

鴻臚館跡 トイレ遺構の時代の 食事って・・・どんな感じなの??

2013年07月09日 11時42分27秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(~2012年)
おちびさんが 夜 ご機嫌で 落ち着いているときや すぅっと寝たときは、ちょっとした まちまなびタイムです。


はい!おっと様に質問!

普段の会話、育児のことが多いので、先に「鴻臚館のことなんだけどね?」と言ってから・・・・


「あのね、おもてなしなんだけどさ。
 出してた食事ね、日本史の資料集にのってるものを参考にしていいのかな?」


というのも・・・・・・


“688年 新羅使を筑紫館でもてなす(7世紀)”のころの 貴族の食事としてのっているものと


トイレ遺構の時代じゃないかなーっていう 8世紀のころの 貴族の食事としてのっているものって


違うんですよ。

8世紀のころって、その資料集の文章によると
「食品・調理・食器とも いっそう唐風が著しくなった」と書いてあって。

一方、7世紀のころの解説のページだと

「高級な漆器」と書いてあって、印象が全然違ったので!!


「たぶん、参考にしていいんじゃないのかなー?どうだろうねー?」で 話は終わってしまったんですが


筑紫館から鴻臚館までの400年くらいの間、
どんな食品で、どんな調理で、どんな食器を使っていたのかなーと やっぱり気になっています。
やっぱり、時代の移り変わりの中で、おもてなしの仕方にも はやりすたりが あったのかな??


トイレ遺構からでてきたものたちって・・・


どんな風に お食事として 出されていたのかなぁ~~??
どんな風に、もてなしていたのかなぁ~~??

江戸の時代の城下町図 海から見た感じを 今日、ももちの海岸そばで 改めて知りました

2013年04月13日 18時33分37秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(~2012年)
無事、getできました♪


黒田二十四騎トランプ♪

博物館の売店で購入しました♪
まずは 二十四騎のみなさんを覚えるためのカードに使います。

学生時代みたいだ~

まだまだまずは そこからです


そうそう・・・
「ねぇ、サロンパスのない時代、兜をかぶることで、くびをひねったりとかは しなかったの??」
と やっぱりずっと思っている疑問を おっと様に 今日もぶつけたんですが
「昔の人は 鍛え方が違ったんじゃない?
 あごから首を支えて守るものもあって、それも首のねんざの予防になったのかもよ。
 確かに 鎌倉時代までの鎧と戦国時代の鎧は、
 戦いの場に鉄砲があるかないかで、いろいろ違っているけれどね。
 昔でも お灸なんかはあったんじゃないの?それで首の筋違いがあっても、治せてたかもよ?」
という 見解をいただきました

日本史 マダマダ初心者の 私のすっとぼけた疑問に 丁寧に答えてくれて、ありがとう~


いい天気で、散歩日和だったので、せっかくだし・・・と思い、砂浜を少し歩きました。

波が寄せるすぐそばまで歩いて行ったので、すごく気持ちよかったです。



そうそう。砂浜からの帰り道。
屋外ですが、雨除けもできる ちょっとした掲示の場所で、福岡藩の城下町図と 博多の町図を ならんでみることが出来ました

こんな紹介があったなんて、今まで気づかなかった~!
こういう風に、並んで二つの場所の地図を見たのって、実は私 初めてかもしれません。

ももちの海岸そばで、昔の時代の ふたつのまちの地図を見ることができて、
昔の時代の陸や海の在り方の様子を知ることができたっていうのは、わたしにとって 結構貴重なことかも!
特に 城下町図は
「あ、江戸時代って、こんなとこまで海だったんだね。
 あら、こんなところに、こういう風にお城の後ろに山があって、
 海から見ると なんだか山がせまっているようにも見えたのかな?!」なんて、
海から見た 福岡城の印象について、思いをはせることができる 導入材料のひとつになりそうなので・・・♪


でもーっ
自分のまちまなびのためにと思って、説明分部分 近づいて撮ったはずなのに、
綺麗に写真に残せてなかったので、
また別の日にでも、説明分部分だけでも 写真を撮りなおしたいなぁと思います。

4月前半 意外に 有効活用中。おみやげものに出会ったり、小さな気づきがあったり。

2013年04月09日 10時23分00秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(~2012年)
・・・・思った以上に 4月前半を 有効活用できている気がする 今日この頃。

・・・・・・・・・・・・いいのかな?

まぁ、いいか



今日は天気がパッとしないから、お部屋の中にいます。
そんな日は まちまなびに活かすべし!
土曜日の “狭いながらも 博多のまち歩き”で手に入れた 
博多曲物の素材を使った “カップのふた”を使って、一服しつつ・・・


せっかくなので、以前“限定もの”を見つけて買っていた
博多部~天神が描かれているマグカップの上に 乗せてみました。
ミーナ天神ができたときに買ったんだったかなぁ??????

カップの上に乗せた、博多曲物素材の、カップのふた。
中に入っている あたたかい飲み物の湯気で 木のふたがあったまって、
鼻を近づけないとわからないけれど、ふわぁ~と ほのかに?!かすかに?!木の薫りがするんですよね・・・。
やさしい木の薫りだけど、癒されます。

博多町家ふるさと館の お土産販売コーナーで買いました
「かさばらないから いいなぁ」って思って買ったんですけど、思った以上に 愛用中です。



そうそう、まちまなびでの 小さな気づき。


同じ舞鶴公園内の、歴史に関すること(史跡について)取り組む場合でも、
鴻臚館跡に向かう場合は、世界史的な感覚で ものごとを見ていったほうがよくって、
でも、福岡城址に向かう場合は 日本史の感覚で いろいろ見ていったほうがいいんだろうなっていう風に 思うようになってきました。


鴻臚館跡は どうしたって外国との関係性がかかわってきて、
その建物があった間に、中国だと 唐・晩唐・五代十国・宋・・・と 国の在り方が変わっていくから
日本史の見方で 古代と大きくくくったり、
7世紀から11世紀の どこかの時代により クローズアップしてしまうと
あの場所、あの建物の持つ特徴を なんらか取りこぼしてしまうのかな~と思って。


でも、福岡城址だと、やっぱり武将や、藩ができたころの 黒田武士の皆さん、大事だなぁと思って。
江戸時代も通史で理解しないといけないのかな?って思っていたり、
幕末のことも 取りこぼしがないように理解しなくちゃいけないかなって思っていたけれど、
まずは 黒田官兵衛・長政父子の理解から 始めたらいいのかなーと思って。


まぁ、本当に小~~さな気づきだとは思うんですが、自分なりのまちまなびには 大きな指針になりそうなので、気付けてよかったなーと思います。


さて、一日いちにちを活かし、出来ることを やっていきましょ~

9世紀の 国と このまちの在り方から、“開かれた 交流のまち”としての特徴の積み重なりを感じます

2013年04月05日 09時45分38秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(~2012年)
昨日、学習マンガと表(出てきた陶器を貼ったもの)を照らし合わせて、確認した内容を
年号を追いかけるかたちで 整理してみると・・・・・。



804 第18次遣唐使 学問僧 空海・最澄ら入唐
(838-804=34年)
838 鴻臚館の初見、学問僧 円仁 入唐(行った最後の遣唐使)
(851-838=13年)
851 僧・円珍 博多に来て、唐商船での渡航の機会を待つ
   ※約1年2か月後にかなう(853?)
(858-853=5年)
858 入唐僧 円珍、唐商人の船で帰国し、鴻臚北館門で歓迎の宴、誌をよむ
(894-858=36年)
894 遣唐使を廃止

※最後の遣唐使から 遣唐使の正式中止が決まるまでの年数 894年-838年=56年

56年って、長いですよね。
それだけ長い時間、正式な遣唐使ってストップされていたんですね。
今の時代で56年という年数を考えても、結構長い年月だと思うんですが、
当時の56年というのは、もっともっと 長く感じられるものだろうなと思いました。


結局。

入唐僧・円珍さんが戻ってきた858年から894年までの36年の間・・

いや、それよりも もう少し前から・・・・ですよね。

やっぱり、学問僧・円仁さんが行った838年以降、
最後の遣唐使から 遣唐使の正式中止が決まるまでの56年の間・・・
国が正式に遣唐使を出さなくても、
古代・博多の鴻臚館で商取引が行われて、日本と唐との 人やものの交流は途絶えずにいたんですよね?


中唐から晩唐時代の陶器のかけらが、掘った時に結構出てきたんでしたよね。
イスラムのガラス器や陶器も、このあたりの時代のものでしたっけね?


いやぁ~、改めて追いかけてみると、古代・博多の鴻臚館は “大陸との接点・交流の場”という、重要な役目を 本当に果たしてきたんですね。

そういう場所がある このまちって、
やっぱり『海と海の先にある国に開かれた、交流のまち』としての特徴が イロイロ積み重なっているんだろうなと思いました。


昨日今日で 数字でも確認し、絵と写真でも確認し・・・・・なんだかすっきりしました!
いやー、“開かれた、交流のまち”としての歴史を知るって、やってても楽しいですね
少し時間が空くかもしれないけれど、今回「そうなんだ!」って気づけたこと、ちゃんと地図づくりしよう!


掘って出てきたものと、歴史まんがの内容をてらしわせるのだ!あとは整理整頓・・小休止準備です

2013年04月04日 19時12分28秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(~2012年)
今日は 鴻臚館のまちまなび ちょっとだけすすめました。

掘って出てきたものを貼った表と、日本の歴史の学習まんがをならべてみて、
“このところ唐からの商船も多く、かの国の文化も苦労なく手に入ります”という吹き出しのことばと
鴻臚館跡からでてきたものとの関係性を 改めて確認してみました。

あー、このあたりの陶器とつながるんだぁーというのがわかって よかったです。
そして、鴻臚館が果たしていたことの大きさも 今までより感じることができるようになりました。
国のまつりごとの在り方に大きな変化を与えた場所ともいえそう?!

ここまで確認できて よかったー。


そして・・・いままでのまちまなびで集めた資料や作ったものを 改めて整理しました。

時には気合入れて整理整頓しないと、何がどこにあるか わからなくなってしまいますね


ちひろのクリアファイルには 鴻臚館跡関係。
切り絵作家さんのクリアファイルには 福岡城址と福岡藩関係。
ターシャ=テューダのファイルには 今まで作ったもののいろいろ。

上のほうのファイルは、御朱印をもらった市内の神社仏閣、さくら、古代の海岸線や森のこと。
あとは福岡大空襲の資料を入れているファイルという分け方にしました。

99年当時の新聞記事になりますが、鴻臚館の発掘現場から、福岡大空襲時の焦土も発見されているようですね。
検索かけてからしばらくたっていたので、そのこと すっかり忘れてしまっていました。
“戦後、祈りを混めて「平和台」の名づけられた地の重い歴史のあかし”と書いてあって、
弾薬の薬きょうも見つかっているとあったので、
そのことも、まちの歴史として 忘れちゃいけないんだろうなぁと 改めて思いました。


ちょっと来週から再来週いっぱい、
もしくはもう少し先まで・・・
長ければ数か月先まで・・・・・・・
まちまなび自体は 少々小休止になりそうなので・・・
確認しておきたいなって思っていたことを、ちゃんと確認できたので、すっきりしました。


明日、遅咲きの桜を撮れたらいいなぁ

デジカメ持って、出かけます。
遅咲きの桜、もう咲いているかなぁ??

そこまでできたら、今年の春は 十分満足です!!