福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

“828年”これは とても大きな節目なんだろうなと思ったので、一気に書き写したら・・・深夜2時。

2015年06月30日 23時14分32秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(2013年ママになってから)
交易のための 鴻臚館。

でも、鴻臚館は もともとは 外交のほうがメインだったわけで・・・。

その節目?ちょうど重なる時期?の、
831年から約10年のあいだを理解するための、
これまた一つの節目!!
828年について、ノートに書きこんで、清書までしました。

終わったのは 2時過ぎ。途中、眠かったです・・・・・。
でもせっかくだから、828年のことは、1日で 書き終えるものなら、書きたかったんです。

唐と新羅・渤海のあいだの交通を阻害した騒乱が起こっていたり、新羅良民が売買されるという問題がまだ残ってたりしての、
清海鎮の設置、なんですねぇ~。

唐の藩鎮や新羅坊の位置関係を確認しながらの まとめ作業が続いていますが、
「あ~、なるほどね~、そういうことなのね~」という気づきが ちょこちょこ続いています。

この清海鎮の設置前、824年に、どうやら張宝高さんは 交易を目的として 筑紫にやってきているようで、
“824年”と“828年”をおさえておくことも、
筑前での交易、鴻臚館での交易の理解のためには 大事なんだろうなぁ~と思っています。



・・・・・・・・・・・でも、今日は 寝る!!!!

寝不足は、子育てに大敵です
途中で へろへろなりました・・・・・・

土日の おべんきょう・・・おちび相手していると どうしても 滞ってしまいますね

2015年06月29日 15時25分20秒 | 子どもがいるとバタバタね?!だけど頑張るまちまなび・まちあるき
交易のための、鴻臚館。

新羅商人について 824年あたりのことまでは、なんとか清書(ペン書き)も済ませ、
さぁ、828年あたりの清海鎮あたりのことを書くぞーと思っていたのですが。


土日はもう、おちびのお相手で パパとママの一日は 終わってしまいますねぇ・・・・

晴れでも 雨でも 歩きたがりのおちびさん。

雨では チャプチャプ らんらんらん。
晴れなら わぁーっと おそとを駆けまわります。

・・・・・・・・親のほうが 夜は ぐったり・・・・。


・・・・・・・・・・・・今日の夜から、わたしのおべんきょうは 再開しますはい

私の図録も 手に取るようになりました。

うーん、いっちょまえ!




3つの時期に分けて 考えてってみようと思います 筑紫での新羅商人の交易

2015年06月26日 21時38分28秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(2013年ママになってから)
ただいま、パパとおちびの お風呂時間!!!

なので、今、ささっと 書きます。


新羅商人の 筑紫での交易の9世紀の状況・・・・・

唐と新羅の状況を考えると、

ざっくりと分けたら・・・・

819年より前
820~824~828年
828年~841年


・・・・・・・・・・・・の3つに分けて 見てって・・・問題ない、ですよね?!

ない・・・・・・・・・ですよね?!

筑紫鴻臚館がクローズアップされるのは、828年以降の区分の、831年からみたいなのですが
その前の2つの区分の時期の理解も大事そうだなーと思います。

そうそう、鴻臚館、名称が唐の施設から・・・ということで、長安の各施設をいろいろ以前確認したんですけど、
ここ最近の読書イロイロで、
登州の新羅館に似てる役目を 新羅商人側は求めたのかな?!と思うようになってきました。

いろいろ「どうなんだろう~」が 出てきますが、
梅雨から夏は まだ福岡検定の試験対策の時間を考えなくていいので、今、がんばります~!







交易のための鴻臚館の 新羅商人&張宝高さんのこと やっと理解できてきたかも!

2015年06月24日 14時33分06秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(2013年ママになってから)
そろそろ?!やっと?! 交易のための鴻臚館の・・・・

張宝高さんについて、ノートへのまとめ作業を始められそうです!!!!


ながかった~~~~


でもでも・・・・ 
唐の安史の乱のあとの、反側藩鎮の時代がわかってないといけないんだー、とか、
下代新羅の飢饉と騒乱も おさえておかないといけないんだー、とか、
国家間の絶妙な?!バランスあって、戦の回避と盛んな交易があったんだぁとか・・・・
唐・新羅・渤海・そして日本!という4つの国の
750年あたりから820年代おわりくらいまでの状況を
地図も駆使して俯瞰して、いっこいっこ確認してって
なんとかなんとか やーっと 
筑紫鴻臚館での新羅商人との交易と、張宝高さんのコトの 理解の最初の一歩となる
って・・・・・

いやー、難しかったというか、高校時代の世界史の、センター&私立2次対策(同時代史!)を思い出したというか・・・・

いや、大変だった、大変だったです


でもでも、「よーし、まとめてみよう!」って思えるようになったのは・・・よいこと!!!!


がんばりまーす





唐と新羅のあいだの人の動き・・・827年位まで ざぁっと確認しました

2015年06月23日 14時49分08秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(2013年ママになってから)
今日の朝?!深夜?! 2時過ぎまでかけて、ペン書きしました。

唐と新羅のあいだの、人の流れ。
819年まで。
盗賊や海賊、の売買や反側藩鎮など、さまざまなことを 改めて確認して・・・の
ノートへの書き取り作業でした。



そして お昼ごはんあと。
おちびお昼寝中には、821年から827年くらいの間の確認をして、シャーペンで書き取りしました。
いくつも参考になる本のコピーをひろげたり、線を引いた本を読み直したりで・・・・
部屋のなかは、久しぶり この状態。

816年あたりから新羅から筑紫に来て、8年ほど筑紫にいた新羅僧が、
824年に筑紫に来た張宝高さんと、唐の赤山院に行ったというコトについても、「そういう流れかぁ~!」ということが やーっと わかりつつあります

・・・・・・やっと、交易のための鴻臚館の時代背景が見えてきたかなぁ~?!

東アジアの それぞれの国の状況が、けーっこう つよーく反映した 交易だったんだなぁ~!



ここまでくるのに・・・・時間かかりすぎですよね


でも、このあたりの確認をちゃんとできていないと、
筑紫鴻臚館での新羅商人の交易についての理解が あやふや~になりそうなので、
しばらくのあいだ おちびさんの寝付いた後は、じっくり 鴻臚館のおべんきょう時間にしようと思っています。


おちびのプレスクール情報やおけいこ情報も なんとか集めたし、
週間天気予報では、6月の平日は もう天気悪そうだし、
それなら6月いっぱいは  鴻臚館のおべんきょう強化期間でいい!とします