福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

【福岡市動物園】おやこの思い出づくり 豆汽車さいごの日に行って、乗ってきました

2014年05月31日 21時41分31秒 | 子どもも一緒に!福岡市内にでかけよう
金曜日のうちに ちょっと おべんきょうしたけれど・・・・・そのことについての日記は後日!


だって、今日は 早い時間から おでかけ!!


行ってきました、最後の豆汽車!!!

パパは小さいころに乗ったことがあるらしく

親子2代で乗ったという 思い出づくり、してきました
おちびさんは、パパがだっこ

 
暑かったけど、行ってよかった!!!

おちびさんのアルバムに、記念乗車証、貼ってあげよう!!


あとは・・・・・

やっぱり コツメさん

うごきが早くて、いい写真撮れませんでしたが

やっぱり かわいかったです

そうそう!!!!!!
この↓案内・・・・・・・・・

なんだか妙に「わかる!!わかる わかる!」って思っちゃいました
ママは、きっと みぃんな そうだよね


あまり長居ではありませんでしたが(ママがバテたような気が)、じゅうぶん楽しかった動物園でした

東アジア海域の商業活動について ノートまとめてみました

2014年05月29日 15時11分30秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(2013年ママになってから)
・・・・・・・・・・・起きそう・・・・・・・

まだ起きないで!まだ、もうすこし・・・もう少し!!!!!



昨日の夜は、注射でギャン泣きして疲れたからか、びっくりするくらい早く寝たおちびさん。

なので、寝た後、ノートまとめ作業しました。

東アジア海域の商業活動。

ムスリム商人と 新羅商人の居住地の確認。

市美での法隆寺展で買っていた、『シルクロード歴史地図』が役に立ちました

でも、新羅商人がいたといわれる場所については、いろんな本に載っている地名がひとつの地図に載っているわけではなかったので
いろんな本をひらいて・・・・・
『隋唐帝国』に載っていた地図、『円仁 唐代中国への旅』に載っていた地図、『シルクロード歴史地図』と 
いくつも地図を横に並べて、同時に見比べて、
やっと それぞれの位置関係がわかりました

ははは・・・・・・・・・・・理解に時間がかかるなぁ

揚州と楚州!!!
東アジア海域の商業活動を理解する上では、とても大事な場所なんだろうな!ということまでは
なんとか?! なんとなく?! 確認できました
海岸に近い場所でもあり、運河で移動しやすい場所でもあり・・・・
なるほどですねー。

“唐-新羅-博多の連鎖貿易”に従事していたと思われる新羅商人の居住地も 改めて確認しました。
ここ↑に関しては 9世紀初めから なかば・・・842年くらいまで、ちゃんとまとめなきゃいけないんだろうなと思いました。
うんうん。
“831年から842年”までの 鴻臚館での交易、ちゃんとまとめないといけないんでしょうねー。
それまでと、842年よりあとの鴻臚館での交易って、おおきく違うみたいなので

うーん、なんか、思っていたより 難しいなぁ・・・・鴻臚館での交易のことを理解するのって

まぁ、でも、ぼーちぼちですが、
筑紫館・鴻臚館が外交のための施設から交易のための施設に変わってってる過渡期のころについて
すこしずつ すこーしずつ 理解してきたような気がしているので、いいことにします


はー、でも、ほんと、いろんな本を読んでいるので、考える脳が鍛えられている気がします

『古代の博多 鴻臚館とその時代』の図録のうしろのほうに載っているんですけど
“大宰府・筑紫館(鴻臚館)の成立と
 その歴史的意義”という文章のなかに、
“鴻臚館の歴史的意義は、我々現代人に、歴史上の、もしくは現代の日本と世界との関係性を考えさせてくれる点にある。
 つまり、「日本史」の枠を一旦外して日本という国のあり方や世界における位置づけを考え直す機会を与えてくれるのである。”
とあるんですけど・・・・・・・・
ほんっとにそう!って思います。
日本史も世界史も、両方 確認しなおして、わかっていくようにしていかないといけないから・・・・・・・・・大変

でも、そういう場所があるまちで おちびさんは育っていくわけだから・・・・・

まちの特徴を ちゃんと伝えきるために、おかあちゃんは がんばって おべんきょうしていきます


・・・・・あ、おちび、起きた
よばれてるは~~~~~い


女子会テイストが満載の歴史めぐりって いいなぁ!うらやましい!

2014年05月27日 23時07分13秒 | 子どもがいるとバタバタね?!だけど頑張るまちまなび・まちあるき
今日の 地域のニュースで 古墳 女子なーんてものが取り上げられていました。
「あら、いいなぁ・・・」と思ったわたし。
古墳モチーフの 今っぽい雑貨、きれいで かわいかったー!
いいなぁ、女子会テイストめいっぱいな 古墳めぐり。
カワイイ感じの 地域の歴史に触れる会とか、いいなぁ~!
古墳って、あまり詳しくないし、福岡検定のおべんきょうでは 苦労したジャンルだけど、
カワイイ感じの、女子会テイストが満載の歴史めぐり わたしも 参加してみたい!

・・・・・女子会要素満載の ふくおかの歴史のおべんきょう会なんてあったら、本気で参加するのにな
カワイイかんじの、鴻臚館跡のおべんきょうかいなんて あったらいいのになー

え?
カワイイかんじの、鴻臚館跡のおべんきょうかい・・・・って、何?!

なにより・・・
官兵衛さんの年、ですってねぇ

鴻臚館メインの歴史の勉強会は・・・・・・・・・やっぱりないかなぁ
でもでも、何か講演会があったら、また今年もいきたいなぁ~!

今年の後半は、いろいろ外に出かけたいな。
ママ知り合いを増やすことも、おちびさんの経験をいろいろ増やすことも やりたいけれど、
このまちの歴史を 知ったり話したりする場にも いろいろ足を運べたらなぁ~!

・・・・・・・・・・・・うずうず。


今日のわたしのおべんきょうは、読書のみ!


特に このあたりを重点的に!

筑紫館・鴻臚館って、外交のための施設から、交易のための施設に変わったのは なぜなの~?というところ、
前よりか、「そういうことなのねーん」が増えてきたような気がします。

やっぱり東アジア史の整理が必要でしたが・・・・・

“東アジア海域の歴史”
このあたりをまとめて、新羅からの舶来品のことをまとめて、
鴻臚館跡から 掘って出てきたもののまとめ作業へと この先進んでいこうかな♪と思います。


明日は 午後から また おちびさんのお注射DAYなので、日中 まとめ作業の時間はないと思いますが・・・・
また ギャン泣きするんだろうな
ま、仕方ないか!
明日も おかあちゃんは がんばります。

今の時代の お互いの国の伝統工芸品を見ました 古代の交易のおべんきょうにも 何か反映されるかな?

2014年05月26日 22時27分30秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(2013年ママになってから)
週末は ミュージアムウィーク どこか行きたいと思い、
いろいろ探してみて。。。。。
釜山と博多の“伝統工芸”のコラボ展示を見に行きました。

釜山の焼き物って、じっくりと見たのは 実は初めてかもー。
花がいけてある花器って、赴きがあって、きれいですねー。
焼き物の色が、とてもおちつきあるものだったからかもしれないですが
おちびさんがいるうちだと、ちょーっと危ないけれど、おちついた佇まいを自宅で演出できるようになっていたら
ああいう花をいける焼きもののある生活っていいなぁ・・・と思いました。



お櫛田さんのそばの、伝統工芸館です~。

螺鈿細工もきれいでしたー。

今の時代のものだけど、おとなりの国の伝統工芸品をじかに見ることができたのは
私にとって 鴻臚館の時代のまちまなびに いい影響をもたらしそうです



今日は・・・・・ 結局 おちびさんに振り回された一日でしたが・・・・

あすあさって、落ち着いた時間ができたら、この本を読むんだー。


鴻臚館の時代の 交易について、ちょっとおべんきょう。


少し 博多についても ふれてありましたー。



明日は どんな いちにちに なるかなー

新羅からの舶来品への思いを知るおべんきょうをして そこから筑紫館の果たした役目を確認したいところです

2014年05月24日 13時03分23秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(2013年ママになってから)
お昼ごはんを済ませて、おちびさんと ちょっとおでかけ&日常の ちょっとこまごました買い物・・・のつもりが。


寝た

おちび、寝た

うん、いつもなら、「よーし、まちまなびだ!おべんきょうだ!ノートに書き込むぞ!ブログも書くぞ!」と喜ぶところですが。

・・・・・・・・お出かけ予定がある場合は、ちょっとガッカリ


これはもう、おべんきょうしなさいってことでしょうと思って、
ブログ書いても まだ起きなかったら、素直に 鴻臚館跡のおべんきょうをやります・・・・・。


昨日も お昼寝時間を有効活用できて、ノートにまとめる作業、はかどったんですけどね。


“新羅からの舶来品に対する日本貴族の思い”を あらためて確認しました。

『隋唐帝国』にあった
“738年以降、日本への新羅使節団員の数が増加しているが、これは朝貢よりも貿易が主となったため、商人が加わった結果とみられる。
 これには、当時の日本の貴族が新羅舶来品を歓迎したことも原因があるとみなすべきであろう。”
という文章から「よし!確認だ!」と思って

2冊の図録、
『古代の博多 鴻臚館とその時代』と『新羅千年の美 韓国古代文化展』と
あと もう一冊『はかた学2 古代の都市・博多』を参考にして
黙々とノートにまとめました。


統一新羅の金属工芸品とか、日本の 当時の・・・奈良時代の貴族の人々には、本当に憧れの品だったんだろうな
だからこそ、新羅使の後半は ちょっと様子が変わってきたんだろうなとも思います。

新羅使の後半のことを 黙々と知っていこうとすると、
古代って“外交”と“交易”は、
・・・・・・・うーん、車の両輪というか・・・・・・・・
どちらかだけで説明できるものではないのかもだなぁ~~なんて思います。


あー、鴻臚館跡の展示館にも、新羅使や遣新羅使、古代のころの新羅と日本、新羅と北部九州について もーっといろいろ知れる情報があったらいいのに!!

新羅使や遣新羅使のことを知っていくと、
筑紫館が出来上がって、名称が鴻臚館に変わって・・・と たてものの名称や規模、役目に変化はあったけれど、
とにかく、今の福岡市の 真ん中あたり、
昔は福岡城であり、
今は舞鶴公園、戦後の復興期から何十年かは平和台野球場でもあった場所、っていうところに
たしかに古代の時代に存在した“客館”って 
結構すごいものだったんだ!って ほんと 思えるんですけど・・・・・・。

ねぇ。

新羅使も、遣新羅使も さらーっとした触れられ方だったもの・・・・・・。
大宰府の外港である博多大津と、
そこにある客館・筑紫館の果たした役目のすごさが 伝わりづらくて、なんだか もったいないようなぁぁぁぁぁ・・・・・・・



もう少しおちびが大きくなったとき、または ほかのまちから たとえば友達とか親族のみなさんが遊びに来たとき、
鴻臚館跡を案内する機会が できたら・・・・・・
「筑紫館、鴻臚館って すごいとよー」って
補足説明として、統一新羅の貴族文化と文物の話や 新羅使・遣新羅使の話が できるようになっておきたいなって思います


もちろん、中国からの舶来品の話も大事だと思うんですけどねー。
でも、五代十国にしても宋にしても、もーう ちょっとあとの時代だから・・・・・
“779年以降、交易のための施設として変わっていく”のところが つたわりにくいんですもーん



・・・・・・・・・・・・うん、ここまでブログ書きましたが、おちび、起きる気配なし

今から ちょっとまた 読書しましょうかね

当時、新羅からの舶来品として、
新羅使と共に筑紫館にやってきたと思われる いろんな品々について
ちょっと細かく確認していこうかなと思っています。