福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

あれやこれ いろんな資料を突き合わせて わかった その場所のすごさ・・・伝えきれる?

2012年08月21日 16時21分56秒 | 鴻臚館跡・福岡城址・舞鶴公園(歴史)
ペタペタ貼り作業は ただいま 古書注文中の 伎楽の本が届くまで 一休みひとやすみ・・・・です。


そうそう。
前回の日記で書いていたこと。


私は今、4~5種類の本とか資料の たぶん関連したことなんだろうなっていうことを突き合わせて
日本史の復習と地域史のおべんきょをしています。

小学生向けの 歴史まんがもあれば、中学生向けの学習参考書もあり。

新聞社の特集記事もあり。

市博の資料集?みたいなのもあり。

銀行ATMそばの地域史の資料みたいなのもあり。


いろいろです。


鴻臚館跡についていえば、資料館に行って、いろいろ見たり、印刷ものをもらったりもしたり、
柱の跡が見つかったよ!っていうときは、説明とかの機会ではないけれど
工事用ポールが色違いで建てられて、時代の違いが表現されていたのを かこってある柵の外からみたりしました。


でも、見ただけでは、わかったような、「?」が逆に増えたような・・・・。

情けない限りだわぁ、って思ったので、小学生・中学生のレベルまでいったん参考資料をひろげてみることにしました。



で。

国際窓口と検疫・防疫・安全のための自衛意識について
〝奈良時代、全国で天然痘が大流行。(中略)実はこの天然痘、博多から広がったという〟
ということを、新聞の特集記事で見つけて。

へぇ・・・・検疫・防疫ねぇ・・・・・と思ってはいたんですが。


〝737年 九州に発生した天然痘が畿内にも襲ってきました〟ということが まんがで触れてあって。

ああ、これかぁって思って、改めて 別の資料で年表を確認すると、
その前年、736年って、筑紫館で歌を詠む(万葉)の年なんですねぇ。
すごく感動したというか、発見した!って思ったというか、
いろんな意味で、当時の この国にとって 筑紫館って重要な場所だったんだな思ったんですよ。

結局 それから大仏建立への動きが起こったり、
そのあと 奈良仏教とはちがう平安時代の仏教が出来上がるための遣唐使があったりと
国の在り方に与えた影響って、筑紫館・鴻臚館の存在ってって 大きかったんだなって思ったんです。


そんな場所がある このまちって、やっぱり昔からすごいんだなあって 改めて思えたんです。
 


・・・・・・ただ、悔しいけれど、今 ちょっと時間に余裕があるから、そこまで向き合えちゃうんですよね。
たぶん、3年前だと、もう絶対 そんな発見なんて できてないなぁ。
何種類もの資料と向き合って、突き合わせていくって、やっぱり時間があるからできるんだろうなって思います。
まだ子どももいないから、子育てごとイロイロで 時間が制限されることもないしね


私のまわりは 向き合う時間なんてないだろうなって前提の人が多いし、
こどもに伝えるとしたら、時代背景とか歴史の知識なんて ほぼないと考えていたほうが 絶対いいですよね。


だとすると いろんな資料を通して気づいたこと、知り得た知識って 
どういう風に噛み砕いて消化して、他の誰かに どういう手段で伝えたらいいんだろう???

一気に話すのも、なんだかなぁ・・・・。
自分で 地図作ってみようって思ってはいるけれど、
聞き手の人が それを家に持って帰ってナンボかなぁ??
旅行だったら、後日 スクラップブッキングとか したいしねぇ。


あと。

まちのことを伝えるって、社会科の教科の内容を伝える・・・教科教育に近いの?
それとも、地域の精神性・誇り・アイデンティティみたいなところに着眼点をもってもいいの??


なんだか、もう20年ほど前ですが
「社会科という教科の内容を知る・教科を教えるということと、社会を知る・社会を教えるということの違い」について
いろいろ真剣に悩んだ日々を思い出しています



まぁ、いろいろ難しく悩むばっかりでもいけないので、早く伎楽の本が届かないかなぁと思っています