暇つぶし日記

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西部劇二本、シャンハイヌーンとバンドレロ

2007年06月25日 13時50分44秒 | 見る
シャンハイ・ヌーン

2000年

出演: ジャッキー・チェン



Bandolero

1968年

監督: Andrew V. McLaglen
出演: James Stewart
    Dean Martin
    Raquel Welch
    George Kennedy


オランダに住んでいてテレビで西部劇をみることはあまりない。 西部劇自体60年代から70年代にかけてほど製作されない、という事情もあるのだろうけれど、古い60年代のものはオランダのテレビ局では殆ど見かけない。 たまに放映されるとしても大抵は80年代以降のものだ。そして隣国のテレビ局ではフランス、ベルギーも同じようなのだが、イギリスやドイツは古い西部劇も好きなようだ。 だから時々、週末の午後や深夜に古いものをデジタル化して色を鮮やかにしたものなどを放映していることがある。

この日はイギリスBBC局で夜から深夜にかけて西部劇を二つ流しており、それをなんとなく見てしまった。 普通、ジャッキーチェンのものはみないのだが西部が舞台だからという理由だけでテレビの前に座ったのだが残念なことにこの中では西部が見えない。見たことはないのだがこの人の映画の中には香港や中国はみえるのだろうか。 

バンドレロを見たのは製作されたのが68年ということとジェームス・スチュワートとディーン・マーチンの組み合わせだったからだ。 話の筋も特別なこともなくチェンのものと同じくB級映画して一週間もすれば忘れ去られるのだろうが少なくともこちらのほうでは西部劇の定番、ぽつんと蟻の集落のように町が広大な風景の中に点描として示される場面もあるように西部の荒野がある。

マーチンはここではアル中や女たらしを演じるわけでもなく、ごくまじめな悪者を演じて少々醒めた感じをもつのだがそれに比較してそろそろ中年から老年に入るというスチュワートのおぼつかなさの混じった演技には好感をもった。 そのおぼつかなさ、寄る辺なさはスチュワートの持ち味で字幕や吹き替えではなかなか味わえないのではないか。 基本的にはスチュワートは田舎のニンゲンであるし、洗練からは程遠いのだが西部劇の英雄で眼差しと台詞回しでこれだけおぼつかなさを表現できる人は他に誰がいるのだろうか。 また、スチュワートが請負死刑執行人になりすまし弟のマーチンを救出すべく町に現れすあたりの言葉使いと地の台詞の差異にユーモアが漂うのがこの映画の救いになっている。 まったく性格は違うのだがイーストウッドの西部劇の一つでロバに乗った尼のシャーリー・マクレーンが醸し出すユーモアがそれに比較できるかもしれない。

この日の二つの西部劇は話やプロットではどちらも幕が降りるときにはまことに都合のよいものに作られていてなんということはないのだが、まだその時代のニンゲンというものが少しでも形になって現れているという点では68年製の古い中庸娯楽西部劇の方をとる。 西部劇に娯楽性以外に何を求めるのか、という人にはどう答えればいいのだろうか。

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