暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

久しぶりにいい天気だったからハーグを散歩した

2007年06月21日 09時42分34秒 | 日常

夕方からハーグの日本大使館でレセプションがあり招待されていたのでいろいろな人に会えるのを楽しみに出かけたのだがさて、電車に乗ってハーグ中央駅に着かねばならないのをホームを間違えてそのまま行けばパリまで行くようなものに乗ってしまったと気が付いたときは遅かった。

遅い昼飯もとらず駅の売店で買った缶ビールで鶏の練り物にパン粉をつけて海老のてんぷら状にしたものを頬張りつつホームに上がるエスカレーターに乗っていてそれを地面に落としてしまい若い女の子にくすりとされたのに舌打ちし、ホームにある売店でまた何かペーストリーを買って午後3時にしては空いた電車の座席に腰掛けてやっと人心地着いたときに乗る電車を間違ったなあと気づいたのだった。

しかし、別段困ることはない、時間は充分あり、それだったらオランダ線ハーグ駅と呼ばれる昔の中央駅で降りてそこから歩けばいいのだし大使館までぶらぶら歩く途中には多分オランダで一番ジャズCD,LPのコレクションが揃っている専門店もあるからヴァカンス用に何枚かCDを買い、また、目的地の近くには今年の一月にデルフトからハーグに引っ越していた知り合いのアートギャラリーもあることだしそこにも寄って挨拶をしようという魂胆にもなった。

久しぶりに三つ揃いのスーツにネクタイを締めて歩いても青空がすがすがしく額には軽い汗がでるかでないかというところで空気中の湿気がぬけているようだ。 だからそれが空の青に反映しているのだろう。

大使館では3時間ほど寿司や軽い揚げ物のつまみでシャンペンをやりながら何人もと取り止めのない話をして閉館時に外に出ればまだ青空が夕空にもなっておらずぞろぞろと町のセンターや中央駅を目指してぶらぶら歩き始めたのだがアルコールが抜けて空腹を覚えたので町の中心にある日本料理屋で熱燗と鍋を口にして10時を廻って店を出て駅に向かう途中でオランダ国会のある建物を通って何枚か写真を撮った。 妙なものだ。 まだ明るいものの10時をとっくに廻っているから人の姿は見えず、多分8時のニュースの折には政治記者が大抵ライブでここから解説する議事堂の中庭、騎士の間と呼ばれる政府行事のおこなわれる建物を含めて人が一人も見えない。

そこを通り越してレンブラントやフェルメールなどが何枚も収められたマウリッツ美術館とそれに隣接したオランダ首相の執務室の小さな塔にも人気はまったくなかった。 古い法務省の建物や国会の正面にある方形の広場は日頃何か政治のデモがあったりすると人で埋まるのだがそこにも人は居らず周りのカフェやレストランのテラスには食事を終えた人々がゆったりと座っていた。

10時40分の電車に乗り11時ごろ自分の町の駅についてもまだ明るいし自転車を漕ぎ出すとセンサーが働いてライトがついた。 機械はこれを暗いというのだろうがライトがなくてもまったく支障のないあかるさだし街灯もまだ点いていないのだからまだ明るいのだ。 あと2日ほどで夏至なのだからこの明るさなのだろう。 結局何やかやで今日は7,8kmは歩いたことになるのだろう。

太鼓橋

2007年06月20日 10時14分36秒 | 日常
たまには毎日セカセカ、コセコセ時間を気にしながら通り過ぎるところを別の角度から眺めてみるのもいいものだ。

それはもう一ヶ月ほど前、町の公民館の人たちと一緒に、雇った遊覧船で自分たちが住んでいる町の運河を冷たいものを手に遊覧して18世紀のオランダで蒸気機関を使って繊維産業に貢献した工場跡の、今は文化センターになっているところで一夕30人ほどで食事をして楽しく過ごした時のことだった。 そういえば去年はこのメンバーでオランダでは一番古いこの町の天文台を見学して食事会をしたのだった。

集合場所の公民館前に集まってから簡単な遊覧船二隻に分乗してみな日頃暮らす町を運河沿いに眺めながら会場まで行くだけのことなのだから何も新味はないしそれぞれゆっくりと運河の中から別のアングルで眺めるだけのことだけれどそこは地元のこと、そのうち運河沿いを知り合いが歩いていたり自転車で走っていたりして声を掛け合っておしゃべりをすることにもなりそれは他の町で観光するのとは少々違った趣になる。

そのうちビールやワインの力も加わって賑やかに知人のゴシップから向こうに見える家の値段まで日頃とは違った取り止めのない話にまで及ぶのだ。

それで太鼓橋に来てその下をくぐるときに、私がここを自転車で通るときには仕事場での約束まで大抵あと2分ぐらいで遅れないように必死でペダルを漕いでいると言えば他の人間も何人かはここを通り道にしているらしく、ま、遅れても別にどおということもないから自転車を降りてゆっくり手押しでいくとか、はたまた50mほど向こうに行けば平らな橋があるのでそこを行けばいいものを、とかさまざまに茶々を入れる。

それにしてもいろいろこの橋の事をいってるけど考えてみればそれぞれ時間帯も違うし橋の袂でお互いだれも顔を合わせた事がないなあと不思議がり、日常そういえばこの連中と町のあちこちで会うことがあまりないのは何故なのだろうかとも顔を見合す一場面もあったのだがすぐ後にはもうこの夕べの食事が何なのかに話がうつっていた。。


暫しの安らぎ午後10時半の空

2007年06月19日 04時22分10秒 | 日常
何か身の回りの廻り具合がおかしい時もあるものだなあ。

その壱

どら息子が高校卒業試験、それは即ち希望大学入学試験でもあるのだが、それも済んで結果が未だでないものの通ったとしての前祝、クレタ島でのバカンスを終えて戻り、そのガラクタのつまった旅行ケースも整理が付かないまま放置されている中で合格通知が届き、即、浮かれた息子が友人たちと遊びまわった後、先週金曜日に突然左足のくるぶしの痛みと脚に見られぬ斑紋、それに胃腸に痛みが走り、おかしいとうったえたので翌朝車に乗せて家庭医の元に走ればその医者も病気で閉院しており、代理のインターンまがいの若い医者がそこから遠くないところの医院にいると張り紙で知らされそこに連れて行けばその若いのが症状を聴いてなにか煮え切らない、訴える胃腸の痛みにも対処できない見立てでとりあえず月曜日まで様子を見ることにしてうちに戻った。

クレタ島での様子、食事に生活状況を聞いてギリシャ的風土と中欧の違いもあり何かバクテリアかヴィールスで炎症が消化器官に起こっていることは違いないとみていたら痛む息子の加え家人もまた胃腸の様子がおかしいと日曜の午後にこれも近くの総合病院の準救急部に二人を車に積んで出かけ、とりあえずまともな医者の見立てで薬の処方をもらい家の前を通り越して町の反対側にある夜間休日薬局に医者の言う処方どおりのものをもらいに行きそれを二人は飲み下し、家人の方は事なきを得た。

しかし息子の方は月曜日、町の血液センターで検査用の採血をして戻れば痛みは和らぐどころか一層つのり処方の痛み止めも利かないので結局今度は夜の11時に大学病院の救急セクションに連れて行き夜中の3時まで3人ほどの医者が入れ替わり立ち代り血液検査、触診、問診、エコーのスキャニングと検査するものの、結果は盲腸炎ではない、胃の粘膜の炎症ではないと消去法で問題の所在を判定しようとするのだが妊婦が腹の中の子供を見るときに使うエコースキャナーで探って脾臓、肝臓、腎臓、盲腸と若い女医の言うままに見ていると何れも異常がなく本人が訴える部位は大腸でその部分には少々の炎症があるのだけれど特定できないとのこと、血液検査でも白血球の数が増えているけれど結局は今のところ胃でも盲腸でもない、ということだけで私が通風の緊急時に使った鎮痛剤の座薬を尻に詰めて夜中に戻ってきた。

それでは初めの見立ての紫斑病,アレルギー性紫斑病(Henoch Schonlein)、血管炎(Vasculitis)はどこへいったというのだろうか。 何れにせよ再度火曜の午前に大学病院に戻って再度検査ということになるのだが、医者たちの方も今のところとりあえず胃腸の緊急手術の要なしとして皆ぞろぞろと詰め所にもどったようだ。

ま、その中でも本人は痛みに苦しんでいるものの、付き添いの我々夫婦は致し方なく検査室で待つ時間の間、その前に最初の女医に見せた息子の吐瀉物の中から家からすわ胃壁の剥離物だと言って持ってきたのがそうではない果物のかけらではと冷たく女医に言われ、そこで家内がキッチンの流しに引っかかっていた苺のカケラなのではと言い一件落着になったのだが私はその余りのばかばかしさに呆れて声も出なかったことを思い出してここで笑ったのだった。 しかし、その水の中に漂うべらべらのカケラは茶色の一部分があるものの殆どが半透明の白で苺の赤ではなかったのだが、、、、。

その弐

月曜の昼食後、80を前にした義母から電話があり早朝に棚の上の何かをとろうと椅子の上に上がったらバランスを崩して床に落ち腰を痛打して動きがとれず医者を呼び少しは嘔吐して腰痛止めの注射をうけ2,3日は養生すること、それでも痛みが取れない場合は検査というような知らせを受けた。 それで2週間ほどあとに楽しみにしている老夫婦のバカンスを気にしているものだからその娘である家内にそれでは車椅子でも担架ででも行けばいいではないかと冷やかされていた


その参

そしてその義母の口からシシリアに住むイタリア人の甥が昨日電設工事の現場で電気ショックを受け病院に担ぎ込まれたということも聴かされたのだった。 その甥夫婦は先月子供たちを連れてオランダに来、2週間ほどの休暇滞在中に会ったばかりだと言うに。


このように身内で同時に4人も医者にかかることになるなんてカジノのスロットマシンで三つも四つも同じものが並んで大金をは当てたようなものではないだろうか。 ちんジャラジャラは出ず疲れだけが出る。

バミ スープ

2007年06月17日 15時10分31秒 | 喰う
おとといだったか仕事に出かける前に何か腹ごしらえをしようと自転車をこぎながらあれこれと思案していたのだがどうも思いつかず一年に何回か来る、古くて小さな昼食時には殆ど流行っていない中華料理店に入った。 そこから50mも離れていないところにはこの町で一番の中華料理屋があり、そこでは怪しい日本料理もあるものの中華料理は人に勧められる具合でもありその店ではもう先年なくなったベアトリクス女王の父君も来店したという写真も飾ってあるくらいであるのだが、そこは同伴があれば入ろうかと思うところだけれど気軽に新聞を読みながら一人で食事するには気が引けるからここに来るのだろうと思う。

それで入るなり新聞を広げてもう老年に入ろうかという、オランダで30年ぐらい前に私も若いときに聴いた「悲しき雨音」だったかアメリカの流行歌のオランダ版で人気があった男性歌手のゴシップ記事に斜めに目を通しながら「バミ スープ」を注文した。

この日の一週間ほど前にも何年か会わなかった日本から用事と仕事の二股で来ていた知り合いに街角でたまたま出会ったのでここに入り同じく「バミ スープ」を注文したのだった。 上で同伴が居れば町一番の中華料理屋に行くと書いたのだけれどそれはここでは気の置けない知り合いだったからでもあり味はそこそこだけれど、そこそこだから空いていると言えるのだろうけれど、その空いているというところで選ぶのかもしれない。

この店は寂れた雰囲気をもっているのにどういうわけかなくならない。 オーナーは代わっているのだろうが中国人のネットワークというものを承知していないのでどんなものか分からなく店員が来るたびに代わっていることが目に付く。 接客女性はオランダ語が何とかできるというのが殆どで時々外国人が入ってきて英語で注文しようとするのだけれど出来ないものまでがいてそれを見かねて助けたこともあったぐらいだから行くたびに、今度はどんな女性が店員なのか興味のあることろでもある。

店員が変わるのだから価格は何年かに一度は変わるものの名前は変わらないメニューで内容が変わるのは当然かもしれないが一週間ほど前とこの日の違いに驚いて日記にするつもりになったのだ。

目の前に出されたものを見て先ず、なんか見た目が違うと気づいた。 この前はひやむぎのようなうどんに近いようなつるつる麺がこの日はインスタントラーメンの乾麺を戻したしわしわ麺になっている。それに何か具が増えているような気がする。 とうもろこしの若芽、メンマ、野菜を油でいためてからとろみをつけたもの、などだ。

それに肉が増えているようにも感じた。 鶏肉に豚肉のローストなのだが量が増えたのはどうしたことか。 味に関しては昼食にするにはいいのだろうがこれを特別というのには異論がある。

「バミ スープ」というのはバミ(麺類}の入ったスープのことである。 ビール一杯とこれに10.5ユーロほどを払ったのだが、今1ユーロが145円ほどとすればずいぶん高いものになるのだがこれも円がユーロに対して弱いからで自分の生活実感からは1000円ほどではないかと想像する。



午後八時半の入道雲

2007年06月17日 06時44分25秒 | 日常

木曜日にマーケットに出かけたときに新鮮なバジリゴの鉢植えを買った。 ちょっと蒸し暑い日だったから夕食にスープとサラダで軽く仕上げるつもりでトマトスープに浮かせるバジリコの葉っぱと新しく入れた庭土にハーブを少しづつ植えていこうという意図からでもあったのだが、それはいいとして、土に穴を開け水をふりかけプラスチックのポットから取り出したバジリコを植えて廻りに水を足してこれでよし、と家に入った。

それから10分ほどして急に一天空がかき曇り大粒の雨が叩きつけるように降り始めそれが1時間ほど続き食事のときにいざスープに入れる葉を、と思っても雨脚が強すぎて外に出られなくて結局、冷凍庫にいれてあったもので間に合わせた。

この3,4日ほどこのような天気でヨーロッパ各地で局地的な一時的な豪雨が降り続き軽い災害になっているところもある。

うちでの災害は植えたばかりのバジリゴが雨に打たれて完全にぺっちゃんこになってしまったことだ。 それまではまともな格好で植わっていたものが今は見る影もなく押しつぶされている。 1週間もすればそろそろそのままの茎からまた垂直に伸びるものも出てくるのだろうが使えるようになるのにはまだ2週間ぐらいかかるかもしれない。

今日の天気も土砂降りまじりの同じような展開になり、午後から土曜のマーケットに出かけようとしたころから雷の混じる、バケツをぶちまけたような豪雨になり、とても出かける気も起こらず、結局、うちにいてありあわせのもので夕食を済ませたのだが、夕食後にはからりと晴れ上がり青空も見えたのだが入道雲が大きくなりかけているのが窓から見えた。

振ったり止んだりするのはいつものことなのだが、振るときには土砂降りになるのはたまらない。

タチアオイが咲いた

2007年06月13日 04時45分31秒 | 日常
タチアオイ

英名; hollyhock
オランダ名; gewone stokroos
ラテン名; Althaea rosea


この何週間かバタバタとしていた庭と家周りの敷石の整理も何とか片が付き、猫の額ほどの芝生になんとか根がついて一回目の芝刈りも済み、ようやく格好だけはついたようだ。

何百キロもの砂と庭土も今はこんもりとなっているものの何ヶ月か経つと徐々に固まって目減りがするようになると言われているので今のところは少々こんもりと見えるものの2,3年のうちに10cmは下がるというのを眉唾物だと思いながらもまあそれもその筋の人間がいうのだから様子を見てみようと思う。

それで、まだ土が地のままで黒く植物も雑草さえもないところに注意していたら今まで放っておいたところに毎年見られるタチアオイが育っているのに気が付いた。 これはもう大分前に義弟のところにあったタチアオイの種をどこかに植えたらニョキニョキ育ったものなのだがこれは花が咲き種がはじけて冬になると立ち枯れして抜いてしまうのだけれど翌年もそのあたりから生えてきて花を咲かせるものだが、この何年もタチアオイは何も世話をしていなく、することといえば冬に惨めに立ち枯れになった茎を引き抜くぐらいだ。

同じところに咲くというのでもなく、また、大量に咲くというわけでなくあそこに一本、こちらに一本、というくらいで、今咲いているのはこの間取り除いた煉瓦タイルの間からひょろひょろと伸びていたものを抜かずに残しておいたものだ。 裏庭に続く入り口の古いタイルを取り除いて家の壁沿いに少しだけ土を入れたので結局、50cmほどの幅で壁際に土を残したところに伸びたことになる。 色もこれは赤いけれど今までのものには白いものもパステル調に薄く混ざったものもあったようだ。 以前には、今は今年一回目の開花がほぼ終わった前庭のバラのあいだから伸びたものがあったが今年はどういうわけかそこには何も見られない。

人間の背丈をはるかに凌いだ高さにまだいくつも芽があるのでこれから何週間か徐々に開花が上に続いていくにちがいないがこれは近年にない美しいものだ。 ハイビスカスや芙蓉の仲間だそうだがそれらの花にまつわる話は知っているもののハイビスカスも芙蓉もはっきりとはどんな花なのかは思い出せない。


ペット食

2007年06月12日 21時37分24秒 | 日常
昼食時にこれもやっと寝床から起き出してきて、時差がないにもかかわらず連日の馬鹿騒ぎで過ごした地中海気分がまだ抜け切れぬドラ息子とビールを飲みながら新聞を読んでいたらちょっとしたコラムに「誰がペット食の味見をするのか」、といような記事が出ていた。

以前テレビのバラエティー番組で缶入りのドッグフードやキャットフードをスプーンでそのまま掬って食べている人を見てウワッとおもったことがあるがそれは日頃足元をまとわりつく叔母さん猫に与える餌の缶を開けたときの匂いのすごさを思い出してたまらん、と閉口したからなのだろうが、しかし、振り返ってみると我々もかなり強くて癖のある匂いのものを口にしているのだから、それは、生臭い渾然とした強烈な、どうせこの食品業界はまともな材料を使っていないにちがいない、というような古い偏見がそう思わせるのだろう。 それにスーパーのペットコーナーで高級、ペットの健康を保証するデラックスと宣伝され、銀の皿に乗ったキャットフードのTVコマーシャルを見ていてもまだそういった偏見がそう思わせるのかもしれないと思い返すもののそこは凡人、あの匂いはどうもたまらない。

それで、何年も前にテレビで見たペット食品を食べる人のそのときの感想はどちらも人間の食うものに比べて薄味だと語っていたような気がする。

記事を読み進めていって納得がいった。 味覚、嗅覚がポイントで犬、猫などの嗅覚は人間の何十倍もあるのだけれど味覚は、犬は甘いものを好み、猫は酸っぱいものを好む傾向にあるもののそれらは人間の数十分の一でペットの好みに影響しないから業界は味付けコストを省略しているのだと世界的にもトップクラスのオランダ農業大学でペットフード研究で権威の教授が言っている。 なるほど、食品産業で無視できないペットフードであるのだからそういう人もいるのだなあ、と感心したのだが、だからテレビでむしゃむしゃ食っていた人の証言につながる。 そうするとあの人は鼻が鈍かったのだろうか。 まあ、慣れ、ということもあるのだが鼻のいい人と悪い人がいるのだから納得もできる。

しかし、まてよ、我々でも強烈なペット食の匂いを、その何十倍も利く鼻で犬、猫が嗅いで待てないほどムシャブリつかせる力があるのであるからそのインパクトを想像するだけで物凄いものがあるのだが、果たしてそれは何なのだろうか。

加工食品でなくともそういうペット食に関する経験がある。

もう四半世紀ほど前に、それは家人と知り合った頃、彼女が飼っていた25kgほどあるベルギー牧羊犬のブービェー種で叔母さんムクイヌの餌に3週間に一度ほど肉屋の冷凍庫から大人の頭ほどある牛の胃の塊を買ってきて、半日ほど解凍した後、喰わせていた。 新鮮な牛の胃を冷凍したものであるから肉屋ではどうということはないものの、解体したときの牛の胃の内容物がそのまま入ったままであり、酵母や胃液にさまざまなものが混じってものすごい匂いが部屋中に充満してくるとこの叔母さん犬はもう堪らない。 そわそわしだして、それを与えたときには普通の餌に向かうときとはまるで違い、野生が露になり狂ったようにむしゃぶりつく。 匂いに関してはこっちの堪らなさと向こうの堪らなさは正反対のベクトルを向いている。 新鮮な牛の糞の匂いといってもいいだろうか。 だから、肉屋で塊を取り出しているときに他の客と顔をあわせると、互いにいくらペットのためとはいえ大変だな、とニヤリとしあうものだ。  しかし、これは栄養価が抜群なのだそうだ。 ことばがあるかないか定かでなかった頃のわれわれの祖先もそのようにむしゃぶりついたのだろうか。

さて、ここからが今日の日記の本題。 これも四半世紀ほど前、日本、オランダ航空チケットで一番安かったのが大韓航空で貧乏人の我々が座るエコノミーの食事でも食器には陶器を使っていた。 その小皿を家人がどこかで安売りショップで見つけてきて何組か使っているのだが一組を猫の乾物フードと水の入れ物にしている。

先日、家人が肉、野菜の乾物フードを誤って水の皿に入れてしまいそれに気が付かなかった。 あとで猫の皿を見た私は今までと形も色も少し違うのを見て娘がどこかでまた新製品を買って来たのかなと思った私の足元で叔母さん猫が餌をせがむのだ。

妙だ。 目の前に皿一杯の餌があるにもかかわらず食べない猫に腹を立てて、贅沢なものだ、口に合わないものは跨いで渡る、これをネコマタという、というような昔、古文の教師が冗談を今昔物語の話に引っ掛けて言っていたことを思い出したのだが放っておけばそのうち食べるだろうとこちらも少しは意地になりネコマタにさせずと我慢比べをしたのだが、この叔母さんだめらしい。 見てくれは悪くないし何が悪いのか匂ってみても殆ど香りもなく私にしてみてはたかがふやけた固形食なのだからと見たのが今考えてみれば誤りだったのだ。

家人が見かねて固形食を与えたら、いままでの空腹を満たすためと老猫の歯の訓練のためかカリカリと噛み始めた。 結局、匂いだったのだろう。 そうなのか。 ひょっとしてぶよぶよにふやけた餌の舌に感じる触感もあるのではないかと思うもののそれは同じようなものを食わせているのでそれはないようでもあるし、、、、、。

犬も猫も視覚はほぼ白黒の世界でペット食の見栄えがいいのは飼い主に買わせる為の操作だそうだ。


リゾット

2007年06月11日 10時58分37秒 | 喰う
丸みのあるロンバルディア米で家人が久しぶりにリゾットを作った。

この間からの暑さも急な雨の後、少し涼しくなってそれじゃビールは飲まなくてもい涼しさだし、ちょっと暖かいものを食べたいと思っていたところなので南アフリカのソビニョン・ブランク、白ワインでハーブとオリーブオイルでカリカリにトーストした黒パンをスターターにしてシシリアの義兄のうちで浅漬けしたオリーブをサラダに熱々のリゾットを喰った。 チェリートマトのはじけて中から熱い酸っぱい果汁がリゾットに合って旨かった。

いいパルメザンチーズが見つからずオランダ、ハウダのチーズだったのだがそれはそれで何とか折衷料理にはなったのでとりあえずご馳走様を言ったのだった。

新しい芝生

2007年06月11日 06時34分40秒 | 日常
十日ほど前にガーデンセンターで絨毯の切れ端のように巻いた芝生を買ってその日は時間がなくてそのまま3日ほど放っておいてから家人と息子が裏庭にそれを植えてから十日が経った。 夕食後毎晩水撒きをせねばならず2,3日ほど前にはちょっとした雨が降ったので水の補給は楽だったのだがこれでなんとか地面に根付いたようだ。

順調に育っているので明日あたり初めて芝刈りをしたほうがいいだろう。 夏のこの時期、これからは成長のテンポを助けるため一週間に一度ほどは芝刈りを続けよ、と説明書に書いてある。 あと2週間の間にしっかりと根付かせて息子の高校卒業パーティーの折に何十人もの客の足で踏みつけられてもあとで復帰できるぐらいの体力はつけておかなくてはならない。

さきほど夕食前に、クレタ島に高校の学校の連中150人ほどたちと自主卒業旅行にいっていた息子が帰りの飛行機が遅れるので朝の3時半にスキポール空港に着くから4時ごろ迎えにきてくれないかとギリシャの空港から電話があった。 電車で駅まで戻れば車で迎えにいってやると返事をしたのだが、それまでは酒が飲めない。

子供たちの夏休みはもう始まっている。


キウイの干物

2007年06月06日 09時42分42秒 | 喰う
ここのところ土曜日の青空市場での買い物で寄るテントがある。

テントに覆われたさまざまな生鮮食料品店が100以上並んだところを両手に野菜や果物を一杯ぶら下げてぶらぶら歩いていると、ナッツばかり売っていてその場でさまざまなナッツを油で揚げて塩や薬味を振りかけて手早く売りさばく店があり、そこで毎週買うことにしているものがある。

そこでは各種ナッツに加えてさまざまな乾き物のつまみも揃っていて日本の豆菓子、オカキまであるのだが何か飲みながらモニターに向かうことが日常のものには口寂しいところにポテトチップスや飴にも飽きてこのごろは果物の干し物も口にするようにしている。 バナナを輪切りにしてポテトチップスのように干したものがある。 バナナチップスと言っているがそれを肴にビールをちびちび口にするのも好みだ。 うす甘いのとビールの苦味が悪くない。 それは甘ったるくないところがミソなのだ。 

大福餅で酒を飲む人間がいるらしいが大抵はそれに対しておえっ、と感想というより生理的嫌悪で反応するひとがいるに違いない。 わたしもそうだが、それでは微かな甘みとビールの苦味はどうかと言われれば同類のようで、それとは異なるような気がする。 それに、これは油で揚げたポテトチップスとは質的には違うものであるから量はチップスほどはすすまない。

まだ夜が冷える頃、夜中に赤ワインをちびちびやりながらキーボードをコトコト叩く時にはこの店で買った生干しのイチジクをアテにしていたことがあってこれも私の好みのつまみである。 干し柿もいけるかも知れないが甘みが強すぎればアルコールには合わないのかもしれない。 カクテルやリキュールで甘みの強いのがあるがそれとは違う。 この間は苺の干物を買って試したのだがこれ自体が本当に苺なのかといわれるぐらい明るいワインレッドで種が一様に入っていたりするものの透明度がありすぎるので眉唾物だと思ったのにも理由があるが、味もうそ臭くて判定付きがたく、今度本物かどうか訊ねてみようと思うのだがこれはビールには合わなかった。

そして先週がこれ、キウイの干物である。 まともにキウイの輪切りの形をしていて種の形状も間違いなく本物である。 大体はどの果物の乾物も砂糖にまぶされているのだがこれも例に漏れず薄く絡めてある。 キウイは時々デザートや朝食に添えて食すので味は承知しているものの、この乾物にはなにか不思議な味、香りがある。 干すプロセスで外部から付いたものか干したことでキウイのもつ匂いなのか今のところ判別しがたいからもう一つ口にして試してみよう、どれどれ、と居間に入ってキウイの袋を探したら子供たちに浚われてカケラ一つも残っていなかった。 それを確認するためには土曜日まで待たねばならないようだ。