暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

09-01-06 自家製ラザーニャ

2006年01月10日 13時50分12秒 | 喰う
自家製ラザーニャ



朝、昼   鮭雑炊
      冷酒 100cc


      みかん 3個


夕     自家製ラザーニャ
      ミックスサラダ、ルコラ入り
      炭酸水 250cc

      コーヒー  300cc
      クリームビスケット 小3個

      白ビール  300cc レモン小一片

夜中    炭酸水 250cc
      みかん 2個
      クリームビスケット 小3個
      

9-1-6 H. Jones, J.Lovano Duo, BIMHuis in A'dam

2006年01月10日 11時36分52秒 | 日常

2006年 1月9日 Hank Jones, Joe Lovano Duo, BIMHuis in Amsterdam

50歳を越して今、この5年ほどで主な賞をほとんど得た上り坂の大男サキソフォ二ストが86歳の好々爺のおじさんとも見える老人と一緒に、それも同じ職業で重要無形文化財ともいうべきピアニストとの共演では、時には競演を期待しても、狂演には少しは色気があるにしても音楽上の息子とも甥ともいうべき大男の歌口からは出てこないのは大人の分別だろうか。

半年か1年ほど前にテレビのドキュメンタリーでこのピアニストの80歳の誕生日の様子、日常が写され自宅のピアノの上にうず高く積まれたさまざまなものに隠れるようにして鍵盤を弾くところからでてくる音には驚くほどのモダンさと瑞々しさに目を奪われたものだが、同時にそばで見ていた家内から男の部屋と言うのはこんなものかしらと私の部屋にもあてつけられたのだが、それはそれとして、つい2ヶ月ほど前何かの折にその日に出会った日本のテレビカメラウーマンと二人で食事する機会がありそこでの話が彼女が別の機会に唯一渡米して撮ったこのピアニストのうちの様子だったから、コンサートの後このことを控え室で大粒のマスカットをほおばる当のJ氏に確かめたのだった。 

そのとき、もう30年以上も前に大阪のLPコーナーだったか坂根楽器店かで見つけた輸入LP、Have You Met Hank Jones / Savoy MG-12084 をJ氏に見せ、 私が「今日会った」、とそこで書き入れ日付を加え、それはいいと喜ぶJ氏にサインと一言二言を書き入れてもらっているまわりにはこじんまりとした人の輪が出来ていて、L氏もJ氏を気遣う風だったのだがさまざまに出入りする新旧知人たちとコニャックを手に談笑しているのだった。 そうして時間は過ぎ12時をまわり、終電車に間に合う時間はすぎていた。

それより3時間前燕尾服に身を包んだ二人がピアノとゴングだけで何のマイクの設置も無い舞台に現れたのは、フランスから始めてヨーロッパを演奏旅行で2つ目の国になるここでの初日の夕で、満席の会場は遠来の現役長寿のピアニストと脂の乗っサックス奏者のファンがそれぞれ期待のスタンディングオベーションでこの二人を迎えたのだった。

コンサートはゆったりとしたJ氏作のブルースで始まり、テーマをテナーとピアノで提示したあと、大抵はピアノ、テナーの順番となるソロ展開だったのだ。 この組み合わせではテナーだけのソロは後にいくつかあるにしても両者が演奏していれば、私が坐った正面2列目、ホーンの歌口から2.5m スタンウエーまで3mの位置であればピアノの反響版、蓋がこちらに向けてあけてあるのにもかかわらずホーンの音量が遥かに優勢である。

J氏のピアノはジャズピアノ史の生きた資料である。 スイング時代のリズムをきっちきキープする基本に忠実であり右手の動きはあくまで中庸、品のいい旋律をつむぎだし続け丹精に背筋を伸ばして裸眼で譜面を追う眼力はあくまで熟練の職人のものである。 舞台のライトが右耳にかかる補聴器の縁に一瞬反射する。

テナーマンは曲のテーマの折には舞台をちいさく往復して聴衆の反応、客筋を観察する風なのだが、興にのってくると足でステップを踏みリズムをきざみながら瞑目して音を追う。

ピアノはスイングからバップの時代を現前に示すようでテナーもそれに合わせて始めたものが何曲か進むうちにバップを通りミンガスの曲ではコルトレーンのバラードに擬せられる音色を甘く出したかと思えば、かすかにフリーの門前にまで及ぶ兆しも見せるのだった。

ピアノがソロを演奏を始める前、ウイットを見せ、ドビュッシーの月の光の出だしを弾くのだが、笑わせておいて今までの左手の動き、スイングの時代からモダンに移ると風景ががらりと変わるのだ。 ここでは大男に妙に似合うおもちゃに見まがうピッコロサックスでピアノをサポートすればこのピアノの時代は70年にも入るものでありエヴァンスが研究のラベルの色、また、ここかしこに先ほどの月の光がかすかに覗いているのである。 我々はここにこのピアニストのモダニストの軌跡を見るようだ。

けれど、第二ステージでソロピアノとして今まで目を忙しく譜面の上を動かしていたことから自然な曲想に思いを馳せ初めてゆったり天井もしくは鍵盤に向けるようにななり、ときには瞑目の演奏となると、その想いはジョンルイスのジャンゴ、に向いたり、What A Beutiful Morningであったり、緩慢に変幻するブロックコードに導かれてピアノ随想となる。 このようにして7曲をソロで続ける間、Stella By Starlightを弾き、ベーシーの調子でやってみようかとスイングをやってみたり、後、モンクの調子があらわれて、そこでモンクとこのJ氏の接点の強いことを再確認させられるのだ。 この日の一番印象に残る部分である

ピアニストが舞台から引き、そのままテナーマンのソロになると設置してある5つほどの大小のゴンクを右手で打ちながら、左手だけでキーを動かしてアルトサックスを演奏するのだがインプロヴィゼーションと見せて必ずフレーズの終わり、初めの音はゴングとシンクロさせるのだった。

オリバー・ネルソン、モンク、それから二人の作からなる数曲が演奏されて、これらはブルーノートから出されたCDに収められたものでありこの日のプログラム全体がよく練られた構成になっている。









今年の抱負

2006年01月10日 01時01分36秒 | 日常

仕事始めも何の儀式も挨拶もないまま日常にもどり、遊びに呆けているあいだに、正月2日から出かけ、その晩は3年ぶりのリンブルグ地方の家庭的なホテルで鹿の肉を楽しみ、3日から2日間で45kmほど歩いたのだが、それから帰って泥だらけの靴を洗っている先ほど、ああ、もう正月も9日なのだなあ、との感慨を持った。

なんとのどかなことか、制約から徐々に解放されて遊びまわると言うことは。

そんなことを、もう50年も活躍中の歌姫の、私が母親の胎内に宿っていたかどうかという1949年の録音を聞きながら家人のアトリエの中で、靴をゴシゴシ洗いながらの感想だから他愛ない。

今年の正月はとりわけ節目のことでもあり感慨深い。 ながらく奉職してきた仕事から半分退き自由が増えたこともあり、少々タガが外れ気味なのかもしれない。

今年の抱負か、それは自分の道楽におぼれないようにして、目出度さも中くらいなりおらが春、これが守れるかどうかである。