暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

Sun. 29-01-06 日曜定番スパゲッティ ボロニェーゼ

2006年01月30日 10時17分12秒 | 喰う
スパゲッティ ボロニェーゼ


朝、昼    クロワッサン
       トースト バター 蜂蜜
       トースト バター 苺ジャム
       ミルクティー 500cc

午後     グレープジュース 400cc
       インドネシア風つまみ


夕      スパゲッティ ボロニェーゼ
       インサラータ
       炭酸水 250cc

       レイシ(ライチ、茘枝)4個

       コーヒー 250cc
       へーゼルナッツケーキ 小片

晩      夕べの残り
       ビール 300cc
       レイシ(ライチ、茘枝)3個

Mulholland Dr. を久しぶりに見た

2006年01月30日 09時22分03秒 | 見る
Mulholland Dr. 6980だったかな、その住所は。

D.リンチの映画はあまり観た事はないがもうほぼ10年以上前かテレビで「ツインピークス」を観て妙で典型的なアメリカの材料ではあるけど決定的に違う、ヨーローッパだな、と我々夫婦が毎週テレビの前で、こいつおかしいよ、と観ていたのは。

妙な人はどこでもいるのだが、アメリカ映画全盛の中でこの人のはハリウッド的ではないから引っかかったんだろうとおもうけど、今夜見ようとは思ってなかったのだけど見てしまった、それも中途半端に後半ぐらいからだろうか、久しぶりに見たのは。

妙だな、そういえば昨日か、ラジオでロッテルダムの映画祭にこの人来てるって、そして、インタビューのなかでまた悟ったような韜晦の妙なこと言ってたから、明日は早いのに、それに録画したばかりのフランス映画観ようかとしていたのを少々邪魔された感じだ。

で、この映画、3,4年前に観ていてひょっとすると全部見ていないかもしれないし、そのとき肝心なところで何かに邪魔されてどうも肝心なところをみていないのかの様に腑に落ちないところがあったと記憶している。

多分全部見ていて忘れているのだろう、構造が入れ子模様であったり、遊びがたくさんあって、何か分からぬ間に筋をたどっていけばハリウッドのカリカチュワだったり、妙なアメリカの亡霊、精霊とでも言ってもいいけれど、テンガロンハットかぶったそんなものが出てきたりするから。

主演の女優は明らかにヒッチコックの「鳥」の女だな。 どんどん変質していってもどるようなところはまるでヒッチコックとはちがうけど、それでもヒッチコックへのオマージュとしてみられぬこともないか。 肉感的なセックスにしてもアメリカ映画の一番おいしいところだけれど、リンチの映画はメジャーかマイナーか知らないけれども、とにかくここでは異性愛は仮であって演技のツマとして出てくるだけの反転仕込み、風刺が充分効いて、自虐的ですらある。 同性愛の美しい場面をとるがせりふの一つ一つにもプロットが振ってあってあとの修羅へのキーワードともなっているようだ。





夕日

2006年01月30日 02時07分41秒 | 思い出すことども
もう大分前からこの、カテゴリー、つまり、「思い出すことども」を作ろうと思っていたのだが、だらだらと今日まで来てしまっていた。

この年になっていろいろと子供の頃の話から、人に聴いた話、日本、オランダ、その他の物事のことを思い出す度にメモ代わりとして書いていこうと思う。

それで、今日の話。  

家人と二人で小さな町の小さな画廊のオープニングに出かけたのだ。 知り合いが詩を朗読するといい、それにそこにこれまた別の知人が何枚かの絵を出展しているらしい。 この街は焼き物で名を知られたデルフトという街で、我々もここはかなり近くであるにもかかわらず、1年に2回行くか行かないかというほどのところだ。 勿論、街はどこに何があるのかは知っているし、観光地めぐりのような歩き方がそんな頻度だということだ。 知人が何人か住宅地に住んでいるし、道楽の射撃では1年に10回以上もこの町のクラブの射撃場にきているけれど、それは町の外で市の中心とから離れているからデルフトに行った、という気があまりしない。

ここ何年か立て続けにオランダ王室の現在の女王の父母、連れ合いが亡くなり、その度にこの国の建国に尽力したとされる王が葬られている教会で葬儀が営まれ、また、皇太子、子供たち、甥、姪たちの結婚式も隣の教会で執り行われ、それらがテレビで実況中継されているから、国民にはここのところ、この町は馴染みが深いものとなっている。

で、日曜の午後、オープニングが終わって、久しぶりになんと言うこともなくぶらぶらと通りを歩いて氏の中心の広場を横切り氷点のあたりに留まる大気であるけれど青空が出て気持ちのいい午後の光の中、しばし日常から離れた気分がしたのだが、車を駐車場から出して帰路短い高速の運転で北東を目指して走っていると、バックミラーに夕日が地平線にちょうどのっかかっているのが見える。 赤くて大きいもので周りの青空に映えて温かみさえ感じる。

こういうとき、ときどきこの光、この夕日はあのときのものだ、と直感するときがある。 これは多分、11月、晩秋に奈良の公園から戻るときの、また、生駒あたりに沈む夕陽だと思った。 

こういう夕陽は若いころ近くの800mほどの山に登って里に下りてきたとき、帰りのバスをそこで待つときに見た夕陽でもありそうなものだが、それはイメージとしては大きく前面には出ない。

もちろん、上に書いた奈良公園で見た夕陽なるもの、根拠があるのかどうかは定かではないが、何度もそういう夕景を歩いた記憶はあるので、多分そういうことなのだろう。 奈良の駅から電車に乗って大阪に戻る車中では大抵もう外は暗くなっていて人々のうちには電灯が点り一層帰心をあおる風だったのも記憶の中にある。

今日の日没は午後5時20分あたりだったと思う。 日が長くなってきたように感じる。