Tue. 26 January 2006 at BIM Huis
Lee Konits (ts, ss)
Ack van Rooijen (cor.)
Mauris Beets (b)
Erik Ineke (ds)
1927年生まれだからそろそろ米寿になろうかというアルトの偉人である。
ステージはピアノ用のマイク2本と, ベースがいつも持ち歩くちいさなアンプのふたつだけで、このベースの響きは普段カフェでのセッションなどでは他の電気で増幅した楽器に押され気味で聴き取り難いことが多いのだがこの夜はアンプの増幅がしてあるのかどうかも定かでないほどの自然のウッドの素晴らしい響きだった。
このアルトはステージの背景の、この夜はカーテンをあげて一面ガラスのアムステルダムの夜景を見ながら物思いにふける場面が多かった。 つまり、合奏、ソロ以外の演奏の合間の光景なのだが。 観客に背を向けて美しく遠景が望まれる、教会や他の博物館のシルエットを眺めながら物思いにふける風なのだ。 ちょっと公園まで散歩に出たような格好そのままで、そのように機動性に富むのはこのアルトはマイクを通さないでそれゆえに普通マイクがしつらえてある舞台中央にも殆ど出る必要もなく飄々とした風情で自分の音楽を形、場所にとらわれずに自分のいる場で作り上げようという姿勢そのままだからだろうか。 とはいえ、何度かベース、フリューゲルホーンとのデュオの時には正面に出たかのもしれないが、それでもこの夜のスタンダード中心のプログラムでテーマや曲の中で他の楽器とユニゾンで奏する場合でも舞台の端、後ろピアノの陰などから参加する様子は他のメンバーが生徒でその周りを本を片手に様々な朗読をして歩く国語教師然としていたのだった。
演奏曲目は概ね次の通りである。
How Deep Is The Ocean
Alone Together
Stella By Starlight
Cherokey 他2,3曲
第二セット
Body & Soul
Softly As A Morning Sunrise
There Will Be Another You 他数曲
それぞれの長いソロがあり、さまざまな組み合わせのデュオあり、また、トリオ、クインテットと多彩な音がアムステルダムの夜景をバックに現出した。 さすがに往年の指捌きはみられないがその分内向、思索する深みが増し、その表現には抽象というより探幽という言葉が適当ではないかと自問した。 禅の道の例え話に牛を追う話がある。 形を求め深山に入り牛を捕まえるのだがそのうち捕まえることにこだわらず、捕まえても今はその行為さえも何であったかかかわりをもたない、そういう状態、そういう世界が一種このアルトの状態であろうかとも思えるのだ。 曲なり曲想を追うのだがこだわりはない。 あきらかにコニッツの音なのだがそこにはもう自我のかけらが見られずただ音が現れている状態だと言う風にも聴こえる。 こう考えるに至ったのは音の輪郭をたどるこのアルトとあまたある巧者のアルトを比べてみてその比べることの無意味さに思い至ったからである。
こういう想いを喚起するコンサートに臨席できて幸いであった。
なお、コンサートのあと本人に何枚かのアルバムのリーフレットを見せて一番の気に入りにサインしてもらうべく催促したところ選んだのが 1961年録音「Motion」だった。 また、その後、舞台の袖で静かにK氏に質問するオランダ・アルトの若手のホープの真摯な態度と丁寧に説明するユーモアを交えた氏のたたずまいは印象深いものだった。