暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

寒月夜

2006年01月12日 09時10分11秒 | 日常
東京の30代の女性とインターネットで他愛ないチャットを終えて、先方は朝、こちらは日付けが変わる頃、明日は燃えないごみの日だとコンテナーを回収場所に引っ張っていこうと裏庭に出て驚いた。

空には雲ひとつない月夜だ。 それも満月、おまけにその斜め左下、わたしの正面に海の神ポセイドンの子、荒ぶる猟師オリオンが犬のシリウスを従えて立ちふさがり、おまけにベルトに下がる星雲の剣まではっきり見えるすがすがしさ、満月がその絵の太陽のようでまるで歌舞伎のいでたちを見るが如く、それにしばし見とれていたが皆目寒くない。

おとといの夜、2時を廻ってジャズのコンサートから戻ってきたときには薄く凍結しはじめ路上に停めた車のガラス、屋根も白く、芝生の上を押した自転車でパリパリと細かい音を立てたものだ。 けれど、いまは露だ。 明け方には霜となるにしても今はまだ零下にはなっていない。

ガラガラと家の前の歩道をコンテナーを傾けて引っ張っていきながらここで頭上を眺めるとそこには大熊座だ。 へえ、こんなとこにいたのか、と40mほどの道のりをはたして今までこの位置で大きな柄杓を眺めたことがあっただろうかと思い起こそうとしたがこの15年何回も毎週1回これを繰り返しているのに思い出せない、どうでもいいことだが。

裏戸と物置に施錠して足元にまとわりつく猫にえさをやり明かりを消そうと居間に入ると家人がソファーで一生懸命何か読んでいる、と見ればパズルに集中しているのだった。

大晦日の恒例で家人の姉妹のうちに知人、子供たち、その友達などが30人ほど集まり家族それぞれが手作りの食べ物を持ち寄り一晩中歓談したりゲームを楽しんだりするのだが、そこでことしの一人パズルの新種が"SUDOKU"だというのだ。 姪が、おじさん日本のだよ、知ってる?、と聞かれてもなんのことかさっぱりわからない。

将棋の升目と同じで縦横9升、で、そこここに数が散らばっていて、どの縦、横の列をみても1から9までの数がひとつづつもれなく入っていて齟齬がない、というのが完成図だというのだ。 わたしはパズルにはまるで興味もないし、マージャンはまだしもほかの陣取りゲームの類にも食指が動かない。 だから、自分の作った寿司をつまみながらシャンパンを口に含みインターネットでカリフォルニアのジャズ局から流れるピアノトリオを聴きながら日本の新聞を見たりしてまわりに寝そべる数匹の犬をあやしていたのだ。

それで、ぼんやり「SUDOKU」のことを考えていて、すうどく、か、すどく、か数毒、数読、素読(そどく)だろうと考え、女たちのところに戻り漢字の組み合わせを見せてそれをぽかんと眺める青い目たちに意味を告げると、若い娘がこんなのあるよ、とパズルの箱をひっくり返すと蓋の上に「数独」とあった。 それで、なるほどなあ、Solitaire With Numberかい、数の独り遊び、ということか、と納得したのだった。

液晶版がついた小さなプラスチックの箱でこの遊びが出来るのを娘が家人にプレゼントしたのは先週家族四人でこの国の南部、なだらかな丘陵地のあるリンブルグ州の田舎を2日で45kmほど歩いた夜、ホテルのレストランで鹿の肉を楽しんだあとだったのだが、電池を入れるなり妙な音を立てるので一瞬周りの他の客を気にしたものだ。

それで、今晩、屋根裏部屋でチャット中の私の後ろでバッテリー充電器を捜して家人が下に降りたわけが今分かった。 小箱のバッテリーがきれて充電ということだ、それで、ソファーで新聞の「スドク」に毒されているという仕様だ。

私は玉露を淹れて階段をそろそろと上がり、今、それもおおかた胃の中に納まり、さて外の月夜を思いながら寝床に入って20ページほどの読みかけの本を目蓋が支えきれなくなるまで読もうと思う。 

夢を見るたちではないが今晩はそとの月夜が夢に出てくればいいと思うのだが。




Wed. 11-01-06  解凍ピザ

2006年01月12日 03時29分57秒 | 喰う
解凍ピザ


朝、昼   トースト バター 蜂蜜
      トースト バター 苺ジャム
      ミルクティー 500cc


午後    フルーツジュース 200cc


夕     解凍ピザ
      ミックスサラダ 
      炭酸水 300cc

      グループフルーツ 1個

      コーヒー  250cc
      アップルパイ 1片

夜     フルーツジュース  300cc
      あげおかき