10月のはじめに「ジオシティーズ終了のお知らせ」というメールがきた。
このブログの前に書いていた場所。閉鎖になってからも読める事は読めていたのでたまに懐かしくなったらふらりと読んでいた。メールの内容では今後は読めなくなるみたい。そこには「ほよほよ日記」として2004年2月6日から2014年4月16日までの10年分の日記がある。メールにはそれを保存する方法が書かれているのだけど、少し読んで諦める。私の能力を超えている。
読めなくなるのはさびしいなぁ。息子が10歳から20歳。家族の記録でもあり、私の記録でもある。
このあいだ、息子が泊まっていったときに、「むかしのほよほよ日記の保存やってみて」と頼んだら、メールを見ながらちょこちょこっとやって、全部移動してくれた。ひゃあたすかった~ だんだん堺の親のようになってきている・・・ すぐに頼るのはよくないと思いつつ・・・・
そして、保存しながらまた読む。なつかしいなぁ。
2014年の3月にNHK短歌の4月号を購入してミキコさんと食事にいって見せている。錦見映理子さんが連載していた「えりこ日記」に私とのエピソードと歌が載っていたのだった。ミキコさんはゲラゲラ笑い、帰宅して夫にみせたら涙をながして笑った、とある。そして「この人、文章うまいな、目に見えるようや」と言った、と書いてあった。そうそう、そうだった。
そして、最後の4月16日には私がお花見吟行で、息子が履修届をだしに学校へいくのに、いっしょに駅まで歩いている。そこで「連翹とシャガ」のことをきかれて私が花の名前を答えて、「私が息子に教えられるのはもう花の名前くらいになってしまった」、で終わっている。
・ゆるぎなく子に言えることもうなくてああその花は合歓というのよ
という歌を数カ月前に作ったけれど、私は4年前からずっと花の名前しか教えることがなかったんだなぁ。
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