ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

諦めて乗り切る(スケートふう)

2015-12-19 22:05:48 | 日記

 きのうはなんとかお昼休みに詠草集のコピーをし、定時にタイムカードを押して、バスに乗りました。

 

 神楽岡歌会の会場についたのは18時30分くらいでしたが、すでに何人か来ておられました。 差し入れのお蜜柑をいただきながらしばしほっこり。 19時の開始までにみなさんは選歌タイムなのですが、自分で詠草集を作るようになってからはあらかじめ選んできているのでこの時間だけはひとりほっこりしています。

 

 久しぶりの人や、旅のついでに寄ったという人が来て、なごやかなムードで歌会開始。 私の歌は、

 

 ・賛成でも反対でもないプラタナス夜に一本おきに抜かれて

 

 6票。 「歯のように抜かれた感じ」「重機で引き抜くようなおおごとなことなのに、草でも抜くかのような淡々とした詠み方」「実景とは思えない。夜になると陰になって1本おきにしか見えないのか」「いや、実景にしか読めない、実景だから票を入れた」などのコメントがありました。

 

 もともとプラタナスは私の苦手世界遺産にかなり古くから登録されているものですが、バスで通る七条通り、西大路通りがプラタナスの並木が続いていて、かなり毎朝おびえていました。年数も経っているようでどの樹も白い馬の胴体みたいに太くて、なんとかならないものかと思っていたのです。 ある日、バスを降りて横断歩道を渡ろうとして、いつも伏し目がちにおびえているポイントなのに、怖くありません。 え、と思って歩道を見ると、なくなっていたのです。 切られたのではなく、ずぼっと抜いてあとを埋めた感じです。 黄土色の土がまだ新しいのでした。

 

 そして、通りをみると、1本おきに抜かれているではありませんか。 1本が大きいので見た目には気づきにくいのですが。 夜のうちに歯を抜くみたいにずぼっずぼっと抜かれていたんだな、と思うだけでまた怖くなりました。 怖いときは歌にします。 12月の月詠草にはテーブルの歌とプラタナスの歌をいくつか作ってだしました。

 

 実際には抜かれたあとしかみていないので、歌が「淡々として」いたのかもしれません。

 

 きょうは塔の忘年歌会でした。 出した歌は

 

 ・大切に君が育てた紫陽花もハイポネックスも冬空の下

 

 「君はもう亡くなったか遠くへいってしまったか、どこにも書いていないけれどそんな寂しさがある」「綺麗にさいていた紫陽花がいまは花も葉も落として、枯れて冬空の下にある」「ハイポネクスは液体肥料でペットボトルのようないれものに入っていて、普通は棚かどこかにしまっているはずなのに、それが外に出したままになっている、ぶっきらぼうさが寂しさを増している」などというコメントがありました。 

 この歌のテーマは「置き去りの庭」だったので、深く読んでいただいて、ありがたかったです。 

 

 16日~25日までの日程をスケートにたとえたら、16日はいきなり休んだので予定していたジャンプが失敗、気をとりなおして18日の歌会には参加、そのあとの忘年会は行かずに帰りました。3回転の予定を2回転にして乗り切った感じでしょうか。 きょうの忘年歌会も途中までは忘年会まで参加するつもりでしたが、体調がよくなかったのと、寒気がして熱がでてきそうだったので大事をとって忘年会は行かず。 あしたの校正、あさっての職場の忘年会、残業、勉強会、残業、勉強会というスケジュールです。 もともとこのプログラムがきつすぎなのかも。 全部完璧にはできないとして、どこかをあきらめて乗り切るしかありません。

 

 帰宅して少し眠って、夕ご飯を作りました。 ご飯を作っていると、いろいろ回復してくるような気がしました。

 

 仕事が忙しいと、すべてが手抜きになってきて、いい加減なご飯ばかりだったので、それも自分で嫌だったのだと思います。

コメント
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