ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

世界は美しい

2015-06-01 23:12:38 | 日記

 6月になりました。

 ブログの会社から6月中ごろまでに変更するように、っていうお知らせがきたので、変更ボタンを

 押したら、こんなふうになりました。 慣れないので読みづらいかもしれませんが、

 もう少し読みやすいように書けるよう、徐々に慣れていきたいと思いますのでどうぞよろしくお願いします。

 

 さて。 なにも代わり映えのしない会社への往復の毎日ですが、きょうの夕方ちょっといいものを見つけました。

 

 コピー室の隣が小さな会議室になっています。 コピーをしようと席をたち、コピー室に入る手前で

会議室のドアが開いていることに気づきました。 腰の高さくらいの小豆色の折り畳み式の机が置いてあります。

そこに、窓にかかっているブラインドをとおして西日がさしこんで、ブラインドのしましまの影がちょうど机に映っていました。

まるで、木琴のようです。 小学生のときに持ち歩いた木琴ではなくて、吹奏楽部のパーカッションの担当の子が叩くような

ちょっと本格的な木琴。

 

 きれいだなぁと思ってしばらく眺めていました。

 

 それから、おととい、実家へ帰るときの国道で信号待ちをしているときに、中央分離帯に雑草が群生していました。

秋のススキをちょっと小型にしたような、ぽわぽわの穂が揺れてとてもかわいいのでした。 

 

 実家の庭の柿の木のあおあおとした葉っぱ。 風がそよぐと光がゆれていっそうあおあおとして、

なんであんなにきれいな色が自然に芽吹いてくるんだろうなぁと思いました。

 

 実家から帰ってくるときは、助手席にお気に入りのCDを置いて乗りました。 ささっと取り替えられるように

つぎにかけるのを準備しておいたのですが、そこに日が差して、ずっと四角い太陽を助手席に乗せているようでした。

 

 きょうの会社の帰り、バスを降りて歩いていたら、月がぼんやりと丸く浮かんでいました。

輪郭のはっきりしないおぼろ月です。 そこへ牛の形をしたちいさな雲がやってきて、月の前を横切っていくのがみえました。

ああ、マザーグースの「牛が三日月飛び越えた」っていうのはこういうことからの発想だったのかもしれないな、

と思いました。

 

 世界にはたくさんたくさん美しいものが「在る」。 眼が見えにくくなったり、記憶力が低下したり、生きているうちに少しずつ

なにかを失ってばかりのように思ってきたけれど、見えていなかった美しいものに気づくことができるように

身体のパーツがぼんやりとしてくるものなのかもしれないなぁと思うこのごろです。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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