きょうはカットに行って(普段よりおしゃれふう)、そのあと全国大会で配布するバックナンバーをホテルに送ろうとして、転んでしまいました。
小さめのみかん箱2つだったので、そんなに重くないと思って油断していました。1つ目を宅配所へ運んで、2つ目を車からおろし、車にキーをかけようとしたところ(単にキーについているボタンを押すだけのことだったのに)、バランスを崩し、後ろに箱ごとひっくり返ってしまいました。一瞬、ああ、もう今年は大会には行けない、と頭にいろいろよぎったのですが、肘と膝を擦りむいただけで、大丈夫でした。気をつけないといけません。駐車場の私の車のとなりの車のドアで後頭部を打ちましたが、それも大丈夫そうです。誰にもみられていないと思いますが。思いたいです。
さて、きょうは水曜日。短歌の日です。吉岡太朗さんの『ひだりききの機械』から。
この歌集は、頁が「顔」という文字(顔文字じゃないんです)で埋めて、そのなかにひらがなで歌がとぎれとぎれに挟まってあったり、最後の一連は手書きだったり、歌集の作りに工夫がされています。私は吉岡さんらしくていいなと思いました。読んでいて、くすっと笑ったり、深く考え込んだり、歌に沿って自分のなかの感情や記憶がつぎつぎに引き出されてきて、それは歌のひとつひとつの力だろうと思います。
それと、やはり歌を作るときに大切なのは、その歌が生まれる直前のそのひとの思いが「ある」かどうか、だなぁとこの歌集を読みながら考えました。思いを「込める」ほどじゃなくていい、「ある」くらいのちょうどいい感じが大事です。
・友はもう友にはあらず公園のベンチの下に割れた鳩笛
「鳩笛」が割れていて、それは誰かのものかもしれないし、喧嘩して割れてしまった自分のものかもしれません。子供のころの回想のようにも読めますが、そのときの感情を思い出させるようなことがあったのではないでしょうか。大人になってからは喧嘩もしないのに、「ああ、もう友達おわりだな」と思うことがあります。その人が「友」で、それまで大切な人だったからこそ悔しいのだと思います。
・自転車で鼻歌なわし 自転車とわしに乗っかり生きのびる唄
・感性のない運転手(おっさん)がバスに板かけわたすとき花を踏んどる
「Ⅱ」に収められた歌は自分のことを「わし」と言ったり、「しとる」といった言い方をしているのですが、私がノートに写したのは「Ⅱ」からが一番多かったです。わしと自転車と鼻歌。「唄」が自転車とわしに乗っかって生きのびているなんて、読んでいるだけでご機嫌になります。
バスの運転手さんはダイヤどおりに運行しないといけないですし、車椅子の人が乗っておられると気をつかって走行しないといけません。車椅子の人が降りるときにはバスを止めて、乗降口まで回り込み、「板」を渡して、重い鉄の車止めを車椅子から外し、降りられたあとは車止めを所定の位置に戻し、板を収納スペースにおさめ、また回り込んで運転席に戻る、という作業があります。そのとき他の乗客はじっと運転手さんの行動を見ていますし、この歌の場合はバス停側から見ています。親切な行為をしながらも、それが「業務」の一環であること。「感性のない」と決めつけたのは、花を踏んでいたこともそうですが、機械的に「業務」としてする行動から感じたことなのかもしれません。
・しろめしを上の前歯にひっかけて歯の裏側の穴へとおとす
・水鳥がとびたつように抜くんやと教わりて抜く口から匙を
介助が必要な人のところへいって研修を受けているときの場面ですが、緊張している指先まで見えてくるようです。「歯の裏側の穴」。 口はまさしく食べ物の入口なのですが、そこだけを集中してみているとそれまでの「口」とは別物のような感覚になるのでしょう。「水鳥がとびたつように」口から匙を抜くなんて、すてきな教え方だと思いました。「匙」が最後にきているのもいいと思います。初めて読んだときは、上から読みますから「抜く」ものといえば、歯とか骨とかを一瞬思うのですが、「匙を」と言われたときの、意外な感じと温かさがふわと伝わってくるような歌になっています。
・ヘッドライトさわればいまだあたたかく言えずに終わってゆく物語
・火にかけたりんごをともに食べてきた話 わたしのしらないひとと
・耳当てをあてるみたいに自動車はサイドミラーをとざして眠る
・すれちがいざまなでられるばかりにて風と握手をしたことがない
「Ⅲ」には、恋愛の歌がたくさんあって、ちょっと寂しかったり、わっと嬉しかったりしながら、微妙な距離の間柄のときの揺れがじんわりしました。
最後にもう一首。「Ⅳ」の最後の手書きの一連「れきしてきいきづかい」より。
・くっついたままでくもみておたがいにえさあたえあうともう四時だ
いろんな楽しみを連れてきてくれる歌集です。