ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

地元のお祭り

2008-06-20 | weblog

 向こう側は清瀧神社、手前側は豊受神社のお神輿。その境界を流れているのが境川。
 

6月14・15日に、四年に一度の三社祭が行われました。ちょうど一週間前の今日が大祭前夜の「宵宮」。神輿に神様の魂を入れる入魂祭の儀式が堀江の清瀧神社、猫実の豊受神社、当代島の稲荷神社の三社で行われていたのです。スープの冷め切った・・・どころではない、大幅遅れのブログupとなってしまいましたが、色々と技を試そうとして失敗し続け、結局諦めたということです。
  
 
 
わが浦安市は、埋め立てが始まる前の元からある元町(東西線「浦安」駅周辺)と、海面埋め立てにより新しく変貌した市の臨海部が中心となっている中町(京葉線「新浦安」駅周辺)、そして第二期埋め立てにより出来上がった最も海側の新しい町、新町(この区域に住む人々を世間は“マリナーゼ”と言っているらしい。)の三地域で成り立っています。湾岸道路が旧と新市街地を隔て、全く別の顔が一つの市を成り立たせているんです。最寄駅が「新浦安」の私たちには、そんなわけで、元町で行われているお祭りの熱気が全く伝わって来ません。わが団地のお祭りには、元町の方々が長年の「お祭りノウハウ」を伝授下さり、担ぎ手としても毎年参加・応援下さっています。だけど、元町中心の三社祭には、興味を持ってそこまで行かなくては中町、新町の人は、見ること知ることが出来ないんです。 
           
土曜日の夕刻に、バスで浦安駅まで行き、清瀧神社周辺で最後の神輿が戻るまでを見守りました。新橋付近に行くと、境川を隔ててこっち側は豊受神社、あっち側は清瀧神社の神輿が通る所でした。どっちの神社のか・・は、あとでわかったことですが、双方を一度に見れるロケーションにちょっと興奮気味。最初は手前が稲荷神社かとばかり思っていました。豊受神社の縄張り?ってとっても広いんですねぇ。清瀧神社の周辺は人で埋め尽くされ、神輿が近づくに従い、良く見える場所に立とうものなら、ラッシュアワーの電車並みの状態になりました。

ここで倒れたら押し潰されるんだろうな、と、一瞬恐怖さえ覚えたのです。随分前に起こった、駅前の歩道橋での惨事が頭をよぎったほどです。混雑の中、偶然知人に会ったり、我が団地の「祭り男」で有名な方が交通整理をしながら神輿を先導する姿に出会ったりと、思いがけないこともありました。この町にきてから20年余。元町のお祭りがこんなに大掛かりで勢いのある素晴らしいものだとは知らず、本当に惜しかった!見るだけでもよし、写真を撮るだけでもよし、そうやって参加する事でこの熱い気配を共有できるんだ、とやっと納得したのであります。お祭りを終えた土曜夜の町はなかなか静まりません。今日の労いと明日に備えてしっかりと充電中なのです。四年に一度の大祭への思いが、町を歩きながらも肌で感じとれました。
   
  
  

日曜日に再び、今度は姉と豊受神社まで出かけ、前夜同様に最後の神輿が神社に戻るまでを見届けました。最高に疲れてヘトヘトなはずの担ぎ手たちが、力を振り絞って神社に戻ってきた時の、あたりの興奮は見ているだけでドキドキものでした。次の三社祭まで、あと4年間も待たなくてはならないんですもの。人人人で、お神輿が見えない中、デジカメを背伸びしながら高く掲げて撮った写真の殆どはピンボケ。
マエダ!マエダ!の掛け声も威勢いいけど、マワセ!マワセ!と言いながら神輿を低く下げたまま回転させる「地擦り」は特別カッコイイ~!天まで届け、とばかりに神輿を高く放り投げる時は周囲から大きな歓声が湧き起こりました。

   
  
  最後のクライマックス時には・・・前へ行けない~! 見えない~~! つぶされるぅ~~!

初めて体感した我が街の三社祭。ネットやブログ情報のお陰で、「ちょっと行って見ようかな」
が、2晩も通ってしまう結果になりました。長い歴史のなかで残ってきたもの。それには思いの
ほか地域を巻き込み団結・熱狂させる力が潜んでいるんですね。
稲荷神社の地域には今回、行けなくてとても残念でした。4年後を楽しみに~♪

とは、
一説に「たてまつる」の意味があると言われ「まつ」には神意が告げられるのを
「待つ」という意味も含まれ、捧げ物をして神に降臨して頂き、降臨した神に心から
感謝を捧げたり神意を伺ったりする人々の願いを聞いて頂く儀式と言えます。
古来、日本人は祭によって神と交わろうとしたのです。そして、降臨した神が乗るのが
神輿で御霊信仰が盛んになった平安中期に神輿が一番多く用いられ、神輿の普及
は神幸祭の一般化によって全国に広まったのが、世の中が平穏になった江戸時代です
(webより)