ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

伊香保への旅 完

2006-05-14 | visit/drive

ゴールデンウィークから一週間が過ぎ、今日は「母の日」だというのに、
biancaはまだ、一泊二日の「伊香保への旅」を引きずっています。ワハハハ・・・
得した気分、と申しましょうかその余韻を存分に楽しんで居ります。
とゆーのではなく、終わらない、ってゆーか、まだ書くことが&写真
があるんです。
the blog of bianca, by bianca, for bianca
でありますから、もうしばらくお付き合いの程お願いします。


 

榛名湖をあとにし、昼飯の前に寄らなくてはならない場所が
〈徳富蘆花記念文学館〉



水澤うどんの店はそのずっと先なので、道順からすると腹は減っても文学館が先、となるのです。
お腹が減ると不機嫌になる人もいる我がファミリーですが、寄りたい人を優先させましょう。
ということでまずは文学館に寄りました。

先ず目を見張ったのがこの浪子像です。前回ブログ中の、『不如帰』の引用文にある、
・・伊香保千明の三階の障子を開けて夕景色を挑むる年頃十八九の婦人、片岡浪子。
夕景色を挑むる人は浪子でなく、本当は蘆花本人だったのですね。




               パンフレットより  黒田清輝 画 「浪子」 

ここは常設と企画展示室がそれぞれ一つだけ、他に喫茶室と、記念館があるだけ
なのでさっと回ればすぐに終わります。

でも、

◇6歳年上の兄、徳富蘇峰とは、確執が訣別にまでいたったのだ!
  だが、余命幾ばくかの時に、「伊香保で死ぬ」と言い張り、医師は蘆花の
  精神力を信じ挙行となる。伊香保千明仁泉亭での約2ヶ月間の療養生活の
  最後の日に、15年ぶりに兄、蘇峰と対面、和解するも同日臨終を迎えた。
  蘆花は蘇峰との再会約束の電報を打った後、「しまった。負けた!」と叫んだ、だと!

◇「勝ち犬(蘇峰)、負け犬(蘆花)」との図式化で、又、蘇峰=悪役 蘆花=善玉
  というように、研究者によって兄弟の関係が勝手に方向付け
されていたんだ!
    勝ち犬は帝国主義、負け犬は社会主義に走ったんだ。
  
◇えぇっ、トルストイと交流があったんだ!
  ロシアでも日本でも会っていたんだ!
  そしてトルストイの影響で「美的百姓生活」を送るべく、生活の場
を千歳村粕谷に移し、
  ここ永住の地と定め、晴耕雨読の生活を始め
たんだ!
  そこがあの、芦花公園だったのね。世田谷区って所は昔、途方もない田舎だったんだ!

◇『寄生木』において【軍隊に入隊するも、婚約破談から自暴自棄になり、
やがては
  ピストル自殺して28年の生涯を閉じた】
主人公「篠原良平」は、岩手県宮古出身
  である小笠原善平という
実在のモデルがいて、彼が認めたノートをもとに書かれたんだ!
  実際、蘆花も山本久栄との恋に破れて鹿児島に出奔したんだ!

◇叔母矢島楫子(女子学院初代院長)の波乱に満ちた人生(なんたるこっちゃ!)と
  彼女の生き方(結婚・出産・離婚・不倫・出産)に反発するクリスチャンとしての蘆花。
  明治時代にあっても楫子という女性は一本筋が通っています。女性を女性ではなく、
  蘆花と同じ、一人の人間として見ていれば楫子が時代の荒波の中で、蘆花の思惑を
  絶するくらいに苦しみ、乗り越え、人間として、更には母として強く逞しく生きていく事
  しか残されていないとしたら? 母は強しです。
  これをUPするのが母の日でよかったぁ~と、今、や~れやれの帳尻合わせで~す。
  フフフゥ~~♪

などなど、興味が尽きません。受付の近くに、峯岸英雄著の「徳富蘆花の思想源流」
と言う本が、著者の意向で無料で数冊置いてあったので頂いてきました。論文調の形式
なので一見活字ばかり。堅苦しくて読みにくい印象でしたが、(今でもそうですが)
ちょっと読み始めると、よく調べ上げたなぁと思うほど、興味深いのです。素晴らしい!
彼は「徳富蘆花と伊香保」の中でこう書いています。

  伊香保との関係の意義を今一度作品に即して考えてみれば 『不如帰』で
  小説家として出発し、『自然と人生』で自然詩人としての要素を培い、『榛名山頂より』
  で文字通りの復活、再出発をなし、『黒い眼と茶色の目』で夫婦の危機を脱出し、
  十回目の伊香保行において最後の復活をかけた。
  なにやら蘆花にとって伊香保は「聖地」のようにも思えてくるのである。
  蘆花が伊香保を終焉の地に選んだことには更に大きな意義がある。(中略)
  自ら畑を耕す実的百姓となった蘆花。粕谷の方がむしろ終焉の地としてはふさわしい。
  しかし、蘆花は伊香保を選んだ。伊香保には『自然と人生』以降、追い求めていた
  “自然”があった。“自然児”蘆花が終焉の地として選んだのは、故郷熊本ではなく、
  粕谷でもなく、伊香保であった。

また、「徳富蘆花美的百姓生活論序説」の最後の方で見つけた、
・・・宮沢賢治と小岩井農場、武者小路実篤と「新しき村」、賀川豊彦と農業協同組合・・・
と言う所で吃驚しました。先週、「新しき村」の名前をTさんから聞いたばかりだったからです!

そうそう、山村 暮鳥も萩原朔太郎も、そういえば群馬の出身でしたね。

とっくに見終わった皆は、腹ぺこで私を待っていたのでこのあたりで引き上げる事にしました。
私たちの宿泊旅館の運転手さんに前もって聞いていた、水澤うどんの美味しい店へ直行。



日本三大うどんとは?
秋田県の稲庭うどん、香川県の讃岐うどん、そして群馬県は伊香保名物、水澤うどん!
私も第2までは知っていましたが、水澤うどんに関しては今回初めて知りました。
水澤寺を開いた僧が地元の人に伝えたのが始まりだそうです。
私たちの運転手さんは、ほんとうに安くておいしい所を紹介して下さいましたね。
兎も角
、我が旅館そして我らが食したうどん屋は、パンフレットの除外版デス。
門前のうどん屋さんは二くち三くちで終わってしまう上、お高いのに、ここの
山一屋は美味しい安い量が多い、で聞いておいてよかった版でした。
門前のうどん屋ではまだ味わっていませんので、次回比較できるかな、と思います。


食後は坂東33番礼所中第16番礼所で天台宗の古刹、水澤観世音へ。

   
      一隅を照らそう                                       ご朱印
 

          
           12支の石像

ツアーでは必ず立ち寄るお寺のようですが、お地蔵様の数に圧倒されました。
鐘楼一打100円とのことで、せっかくなので打ってきました。
行きつ戻りつしながら、勢いをつけて打ち付けるのです。
  ゴ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン
耳をつんざくような大反響。思わず両耳を塞いで飛び跳ねてしまったらパパが、
「打ったあと、鐘の中に頭を突っ込まないとご利益が無いんだよ」ですって。
「まさか、うっそぉ~!」
              web上より拝借 →         
                              
            煙りに巻かれて祈る

最後にハルナグラスに寄って買い物を終え、息子の運転で帰路へへと向かいました。
渋川伊香保インターに入ったところで息子が、
「あっ、新潟方面にきちゃった。」
「え~っ、ちょっとォ~!やめてよ!」
「どうしよう。次の出口で出て入り直すしかないか」
「もう~、これだから・・・・xxxxx!」
 
     「・・・てなわけないでしょ!」
  
     
     「エイプリルフールでもないのにィ~~このォ馬●●●!!」

                                    
                                               

  
    息子が買った牛さん入りのボール