ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

リトリロのおばかさん

2005-10-04 | art/exhibit/museum

今日は息子は夜勤、娘は夕食はいらないとのことで、夜は2人分を用意するだけ。ちょっと気が楽になり、仕事の後に「モーリス・ユトリロ展」を見に島屋まで行くことにした。
お洋服も、バッグも靴も、ずっと買っていないので、こっちのほうも見たいのは山々だが、両方は無理。
6時近くだと会場は空いていて、仕事帰りや画学生風の人たちが多い気がする。
今回は没後50年にあたり、〈白の時代〉の作品を中心に80数点が展観されている。どんよりした空と、抑えた色彩のモンマルトルの風景画は、誰もが見覚えがあると思う。この憂愁感はどうも日本人好みのようだ。父親は不明、母親は恋多き奔放な女性で、ドガ、ルノアール、ロートレックなどのモデルとしても名高かった画家シュザンヌ・ヴァラドン。貧しい洗濯女の私生児として生まれている。
すいているので人に押されることなく、説明文もきちんと読みながら見ていくと、その絵画よりも、彼の生き様に呆気にとられた。中学生のときから、寂しさゆえかアルコールに手を出し、アル中となっていく。(リットル単位でお酒を飲むのでリトリロとも言われたそうだ。)精神病院へ何回も入退院を繰り返し、泥酔すると暴れるので、監禁状態で風景写真の絵葉書を見ながら、全くの独学で絵を描き始めた。絵が評価されてきても、アルコール代のために、二束三文で手放してしまう。
それを見かねた義父(なんと、ユトリロよりも若いのだ!)がマネジャーを買って出て、ユトリロを金蔓とし、絵画製造機械の如くに数多く描かせ、自分達は贅沢三昧の生活をしていたのだ。50代でリュシーと結婚したが、彼女にまで操られてしまっている。
「パリの思い出として、何か一つを持って行かなければならないとしたら何にするか」と聞かれた時、ユトリロは即座に「漆喰」と答えた。
それは、孤独な少年は学校の帰り道に、漆喰の壁にいたずら書きをしたり、落ちた漆喰の断片で遊び、漆喰が唯一の心の通う友達のような物だったから。
建物の漆喰の壁を描出するためには、様々な材料を使用しこだわった。
女性観では、母親のヴァラドンとジャンヌ・ダルク以外の女性には嫌悪感を持っていたともいう。
知れば知るほど古いフランス映画をみているようで、もし、彼がアルコール依存症でなければ、又別のドラマが展開されていただろうと想像してしまう。
解説にはこう書かれている。

彼は本当に風景画家なのだろうか?
自らの孤独を紛らわすもの、自らの孤独を慰めるもの、自らの魂が息づく場所。
ユトリロの絵画、それは風景画ではなく、魂の肖像画である。

リトリロのおばかさん!

         

映画は幕を下ろし、私は現実の世界へ・・・。
デパ地下で2人分のお惣菜を買い、彼へ「今から帰るメール」をし、屋上駐車場にいくと小雨が降っていた。
 ― 姉上様、タダ券を有難うございました。 ―
(☆モーリス・ユトリロ展は10月10日まで日本橋高島屋で開催されています。)